「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

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日本人の正義の話をしよう!(マイケル・サンデルさん来日記念!(笑))

2011年02月22日 | お昼間カフェ
どうも!ゆるちょです!

さて、今日、二本目の夜向け記事ですが、さて、何を話ましょうかねー(笑)。

そういやあ、昨日、マイケル・サンデルさんが、テレビに出ていたようですから、

それ絡みの話をしますかねー。


先日、友人と飲んでいた折に出た話ですけど、

「マイケル・サンデルは、欧米的な正義について話しているけど、日本的な正義って何なんだよ?」

と、聞かれたので、「翔ぶが如く」を読みながら、僕の中に出来上がった、

「日本的正義」

というものについて、話しました。もっとも、日本的なのか、どうか、はよくわかりませんけど、

とにかく、日本人の正義!というあたりについて、これをいい機会にして、いろいろ話したいわけです。


日本人の正義ってのは、それぞれが強く持っているんですよね。


生まれた環境や、育った環境、人との出会いや、いじめられた経験、何かを獲得した経験、挫折した経験など、いろいろな経験から、

そのひと個人に、そのひとなりの正義というものが、できる。

欧米のように、聖書に正義が書いてあるのではなく、社会というものから、環境というものから、自然に自分なりの正義をつくっていくのが、

日本人独特のところです。

これは、道徳教育によるものではなく、生きてきた経験によって、そのひとの中に確立するもんなんですよね。

だから、みんな、同じ正義じゃないんです。まあ、もちろん、聖書の解釈はいろいろあると思いますが、

聖書が存在するからこそ、神と悪魔、二律背反の浅い道徳しかないのが、欧米なんです。


それに比べて、日本人は、社会を見て、自分の正義を確立する。そこに多様性が生まれているんですね。


紙に書かれた作り話から正義と悪というものを学び、それに依存する人間が、欧米人と、ざっくり言ってしまってもいいでしょう。

それに比べ、日本人の先人達は、社会の有り様の中から、いろいろな正義を考えてきた。

それが、武士道という形にまとめられ、日本人のDNAに納められてきたんです。


人工的に作られた正義と、社会を見ながら経験的に作られてきた正義、そういう違いがあるんですよ。欧米と日本ではね。


第二次世界大戦での敗戦からこの方、教師はひしゃげてしまった。

それは、欧米的人工的正義の考え方が入ってきてしまったからでもあります。

教師は、自分の教育に自信が持てずに、日本的な道徳教育というものも、

「してはいけないのではないか」

と、感じる始末。僕らの頃の道徳教育なんて、教育テレビの教育用ドラマを20分見るくらいで、そんなに深くもなかったです。

それに、教師自体が、群れを統めるボスでなく、単なるサラリーマン教師でしたから、深い関係性も結ぶことなくおざなりの道徳教育でしたしね。


だから、そんなもんで、道徳が身につくわけではなく、考えてみたら、その多くは、テレビから学んでいましたねー。

いわゆる、ドラマとか、ニュースとか、大河ドラマからも、多くのことを学んだ、そして時代劇からも。

そうです。僕らが持っている正義・・・武士道から来ている価値観というのは、テレビでその多くを学んでいるんじゃないでしょうか?

もちろん、DNAにも、情報として、存在しています。だから、時代劇を見て、納得する、というか、

「悪代官が摘発され、御白洲で頭を下げることに快感を感じるんだ」

と僕は思っています。


だから、日本人の正義というのは、広い意味では、武士道に根ざしたものだと言えるんですよ。


でも、だからと言って日本人は、欧米人のような(というか、二律背反の宗教的な)平板な同じ正義を持っているわけじゃない。

司馬遼太郎原作の「翔ぶが如く」では、太政官側と薩軍側の戦いが描かれている。司馬遼太郎は、薩軍側を徹底的に時代遅れの驕慢者として、書いていて、

「時代の勝者になれなかったバカ」

という批判をしています。


僕は、これについて異を唱えています。


日本人のしあわせは、何かを考えた時、薩軍の人間が、武器も兵力も劣っているのに、なぜ、あれだけ戦えるか、死んでいけるのかを見れば、

「自分の正義に殉じることに、よろこびを感じている」

ということがすぐにわかります。日本では、自分の正義を捨てて、「時代の勝者」になることは、決してしあわせは生まない。

むしろ、自分の正義に殉じてはじめて、しあわせを得ることができる。それは、死よりも、高い位置にあるしあわせ、なんですよ。

だから、死をも、厭わない彼らの行動が説明されるんです。

つまり、司馬遼太郎は、日本人の物語を書きながら、日本人のしあわせ、というものを全く理解していなかったことになるんですが、それは、まあいいでしょう。


そこから、すれば、日本人のしあわせとは、各個人それぞれの正義の実行に、ある、と言えるんですね。


つまり、多様な正義が、日本には存在するんです。


ただ、その正義の、基本にあるのは、武士道なんですよね。


僕はよく、政治について批判記事をあげますが、気をつけているのは、自分の政治信条と比較して、話をしないことです。

僕は、日本人は、日本人的美意識によって、政治を見ている、と考えています。いや、実際そうでしょう。

だから、日本人の美意識として、政治を行っている人間がどう見られるか、を書いている。

小沢氏が徹底的に嫌われるのも、武士道にもとる行いを示しているからです。

政治がうまいか、へたか、という観念で、見てはいない。このあたり、日本人独特な政治へのアプローチだと思います。


実際、政治というのは、結果責任です。

どのようなプロセスを踏もうと、結果的に、それが、選挙民の為になったか、ならないかで、評価されるものです。

実際、これが、政治というものを見るときの、一番の原則なんですが、まあ、こういっちゃあれですが、日本人はそれは知っているけれど、

そういう目で見る前に、武士道的価値観で観てしまいます。

さらに言えば、日本人は、高度なストーリー好きです。二律背反のアメコミ的なストーリーは、子供向けの幼稚なストーリーだと自然に思う、

高度なストーリー好きの人間達です。ですから、実は結果よりも、プロセス好きなんですよ。


ここ十年で、最も人気のあった指導者は、もちろん、小泉氏です。

彼は大きな目標を掲げ、敵を設定し、

「痛みがあるが、これを乗り越えれば、しあわせになれる」

というストーリーでもって、国民を説得し、それに成功した。だから、あれだけの人気を得た。

つまり、小泉氏は、日本人の高度なストーリー好きの国民性を、しっかりと読み切り、高度なストーリーを与えたから、人々は彼のストーリーに乗ったんです。


ポピュリズムだ、小泉劇場だ、大衆迎合だ、いろいろな声がありますが、そんな評価は、本質を突いていません。

彼は、高度なストーリーを好む日本人の国民性を読み切り、それに最も合致する政策を実施したに過ぎないんです。


昨日、予算委員会の場で、バカ首相が、武部氏に、

「小泉首相は死ぬ気で政策を実行した。あなたにそういう覚悟があるとは思えない」

と質問されて、

「政治は結果責任だ。小泉氏の政策は、結果的に格差を生んだ。それは評価できない」

と言いました。まあ、質問にも答えていないわけだけど。それより問題があるわけで。


人を批判するときだけ、突然、強気になるというこのバカ首相の姿勢、どう思いますか?


結局、人を批判するのは簡単なのに、そこでドヤ顔しているようじゃ、人間として最低だ、ってことを、まーたまた内外に露呈しているんだから、

ほんと、バカだよね。こいつ!

小泉氏の政治の結果で、格差を生もうと、そんなの日本人には、関係ないんです。それに格差が生まれたなんて言っているのは、一部の人間のみでしょ。

小泉政治によって、舞台から下ろされた、あるいは、野党だった人間が勝手に作った言い分に過ぎない。

それより、そんな矮小な目でしか、敵を評価できない、ケツの穴の小ささのほうが、一国の宰相として、問題です。

さらに、言えば、それまで、タジタジだったのに、この点だけ、いきなり自信をもって猛反発。

こんな評価なんて、前々から、負け側の人間が用意した言説だろ?

そこだけ、自信を持って、他人批判。そんなの、誰だって出来るんだよ!バーカ首相!

他の質問には、キョドるは、おどおどするわ、しておいて、この質問だけ、ドヤ顔!

要は、今、自分のやっていることに、まったく自信がない、というのまで、露呈したバカっていうことです。


小泉氏は、人々を動かした素晴らしい政治家です。彼は日本国民というものを、しっかり読みきっていたんですよ。

それに比べて、バカ首相は、何にも見切れていない。何もわかっちゃいない。


日本人の美学に反することばかりやって、

「俺のことを誰も理解してくれない」

と、勝手に「自分は悪くない幻想」にとらわれている。小学生のガキ以下ですよ。

日本人は、しっかり見ている。武士道に反することばかりやっている、そういうプロセスを踏んできたバカだから、嫌気がさしているんですよ。

日本人の美意識にはずれる人間を日本人は徹底的に嫌うんです。そこが、欧米の国民と違うところだ。


このバカ首相は、政治の本場はイギリスだ。そのイギリスで私は学んできた・・・ということを、しきりに言ってきました。

自分は政治のプロだと言いたいんでしょうが、あんた、いったい、どこの国の首相なんだよ。

日本だろ。日本という国や、国民のこと、なーーーーーーーーーーんにも、わかっちゃいない。

そんなの、日本の政治家としては、失格だよ。

日本人の美学に反することばかりやる人間なんぞ、日本人が許すはずないだろう。

わかってないのは、バカ首相、あんたらだけだ。民主党執行部、さらに民主党の人間もだな。


日本人は、高度なストーリーを理解し、その意味するところを、ちゃあんと評価できる、高度な目を持つ民族なんですよ。


バカ首相や、民主党の人間なんて、小泉氏の足元にも及ばない、低能力の人間達と言えるでしょうね。


さて、少し脱線しましたが、日本人の正義は、各個人が持っている。つまり、ひとりひとり、思いによって、違うんです。非常に多様なんです。

ただ、その正義の源泉は、やはり、武士道なんですね。


これが、壊れているひとが、います。日本というアイデンティティを否定してしまった人たちです。

だから、そういうひと達の正義は、日本人の正義から、かけ離れてしまっているんです。

だから、多くの日本人達は、そういう人間を見ると、否定します。

自分の正義に合致しないから。

これは、当たり前の出来事ですよね。


これ、何を言っているか、おわかりですよね?

そうです。民主党の人間達は、反日、反武士道の人間達なんですよ。日本というアイデンティティを否定している人間達です。

反日団体から、お金をもらって動いている反日の政治団体なんですよ。だから、中国とか、北朝鮮やらにシンパシーを感じている。

日本嫌いの人間たちの集まりが、民主党なんです。だから、放っておいても、その実態がわかりさえすれば、

本当の日本人から、嫌われ、否定されていくことは、政権をとった当初から目に見えていたことなんですよ。


日本人の正義から見れば、否定されるべき団体です。


だから、今、政治が、こういう状態になっているんです。


日本人の正義というのは、各個人個人が強く持っています。日本人はサムライですからね。

だから、逆に、自殺も多くなってしまう。

瑛太さんの父親の自殺の例に、

「やさしい人間は、周りに迷惑をかけまいと強く思うから、自分の責任を感じて自殺してしまう」

という説明がなされていましたが、やさしいだけじゃないと僕は思います。


強いからだと思いますよ。


サムライ日本の同士ですからね。迷惑かける前に、死んでしまうのは、江戸時代、いや、戦国時代から、変わらぬ風です。

これを、美風というのか、蛮風というのか、僕には言葉を選びきれません。


社会的役割を果すことに、その生命をかける、社会的民族である日本人は、

その正義の中に、

「他人に迷惑をかけるようなら、死ぬべき」

という条項が入ってしまっているんですね。


これは、サムライだから、としか、言いようがないですよね。


片や、人に迷惑をかけているのに、その自分に気がつかず、権力にしがみつく、大人たちが、政権与党という名で、存在しています。


彼らには、もはや、日本人の美意識というものは、ないんでしょう。


だから、日本人は、自分の正義のこころから、バカ首相をはじめとした、権力にしがみつく人間を徹底的に嫌いぬいているんですよ。



それを考えれば、なぜ、日本の首相が長続きしないか、もわかってくる。


思い出してください。自民党が与党の時、首相が言った辞める理由を。


「わたしでは、もう、政治が立ち行かなくなる」


福田氏も、安倍氏も(まあ、安倍さんは病気によるものだったけれど、実際は、こっちの理由だったでしょ)、そういう言い方をした。


つまり、

「自分が首相として居残ると、日本の政治が停滞するから、自分は役割を果たせず、みんなの迷惑になるから」

やめていったんですよ。小泉首相も、任期を自分から決めて、後進のために、道を譲る形をとった。

まあ、麻生元総理の場合は、任期切れですから、仕方ないですけど、

それでも、彼が批判された理由は、以前から、あった年金問題であって、彼が失政したわけではないでしょ?

漢字の読み間違いとか、庶民感覚がないと、ほとんど、マスコミによる、言いがかりだろ。

僕は今でも覚えていますが、衆議院が解散した日、轟々と吹きまくる逆風の中、自民党の衆議院議員を集め、

「選挙に勝って、また、ここに戻って来よう!」

と、涙を目にためながら、必至の形相で言い放った麻生首相は、かっこよかった。潔さがあったよ。

日本人の美学を、多いに刺激されたよ。それは、行動のかっこよさだけでなく、魂のかっこよさがあった。


今までの首相は、そういう日本人的美学に沿う人間達だったんですよ。


「周りの迷惑にだけは、決してならない。国民に迷惑なぞ、かけられない」


これが、自民党の輩出してきた日本の総理達の魂だ。



それに対して、どうですか?


民主党が輩出してきた総理って、

「国民に迷惑かけまくって、自分だけがよければいい」

という考えの人間ばかりじゃありませんか?


今だって、

「今、選挙をやったら、民主ぼろ負けだから、国民に迷惑かけるけど、自分たちのために、選挙やりません」

って、言っているんでしょ?

「国民の生活が第一!」

とか言ってなかった?うそじゃん!詐欺じゃん!

「国民より、自分たちの党が大事!」

って、言っているわけでしょ?


だいたい、麻生首相が人気を落とした大きな理由として、年金問題があった。

「将来、年金がもらえないかもしれない」

という危機感が、選挙民に自民党にNOを突きつけさせた。

選挙民に、その背中を押した大きな理由は、

「民主党が政権をとれば、国民の皆さんに年金、一律月7万円以上あげますよ。これほんと!」

という公約があった。マニフェストでそう言いましたよね。


多くの国民はそのストーリーに乗ったんですよ。


だから、民主党は政権与党になることができた。これは、国民との大事な契約だ。


それが、何ですか?


今頃になって、

「あの時はそう言ってたけどさ、実は計算してなくってさ。ねえ、野党さん、一緒に考えようよ!」

と、バカ首相は言い出して、さらに、

「国民のために、俺達に協力しないのは、歴史に対する冒涜だ」

とか、わけわからないことを言い出す始末。結果、野党から、総スカン。


当たり前だよ!


国民を騙すは。そのお先棒を野党に担がせようとするわ。


史上最低の政治手法だろ!


素人レベルだ、こんなの。


だから、今の状況があるわけでしょ。


とにかく、国民を騙したことも、謝るでもなく、しれっとしているわけ、このバカ首相は。


そんなバカ、いつまでも、首相にしておくと思っているの?


彼には、日本人の正義が、まったくない!と言わざるを得ないでしょ!


政治的姿勢でなく、同じ日本人として、そのあり方が、日本人の美意識に、思い切り反している。



だから、嫌われるし、消えていかざるを得ないんです。



多くの日本人が、自分の正義に照らし合わせて、


「こいつらは、受け入れられぬ!むしろ、消えるべき!」


と、考えているから、こういう状況になっているんです。


いくら、バカ首相が、


「いい政治をやっているんだ!」


と、言ってもだーれも、聞いてくれないわけは、そこにあるんですよ。


だって、国民に迷惑ばかりかけているだけじゃん。


「もう、あんたの役割は、終わったんだよ!」


そうみんな理解しちゃったの。もう!


日本人の正義が、今の政治を全否定しているんだよ。


多様なはずの日本人の正義が、ある一点でまとまってしまったの。



「国民に迷惑をかけるバカ首相は、早く去れ!」



それが、今の、日本人の正義です。


そして、日本人は、自らの正義に殉じる強い自分を持っている。



こわい国でもありますね、日本は。それだけに、おもしろい。



それが、この記事の結論かな。



自殺現象と、今の政治が否定されていることが、つながるとは、思わなかったけど、


そのあたりが、同じ理由だった、というのも、おもしろいね。


それが、日本人の正義なんだな。



これについては、また、いろいろ考えてみたいですね。


と、今日はこんなところにしましょうか。


いやあ、長くなりました。

ここまで読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。

また、次回、お会いしましょう!


ではではー。




セレブって、並大抵じゃあ、なれないよねー!(プリプリ通信を書いていて思ったこと!)

2011年02月22日 | お昼間カフェ
おはようございます!

いやあ、今日は4,8度ということで、

まあ、寒いですけど、でも、日中は、10度越えるみたいですから、

暖かくなりそうですねー。

やっぱり、10度越えると、ちょっとうれしい、と(笑)。

ほんと、寒さに弱い自分です(笑)。


しっかし、日本人は、パンダ大好きだよねー。

気がつくと、日本中に10何頭いるそうで、西日本に多いみたいね。

和歌山のアドベンチャーワールドとか、なつかしいなあ。関空の仕事している頃、行きましたねー。

まだ、大きな迷路が流行っていた時代ですから、もう、遠い昔ですか(笑)。

あったなー、迷路(笑)。

にしても、上野ですからねー。まあ、ここは、博物館によく行くこともあって、

なじみの街ですから、まあ、そのうち、空いてきたら、パンダ会いにいってきますかねー(笑)。

まあ、でも、3年前まで、いたんだよね、パンダ(笑)。

まあ、とにかく、あの愛らしさが、いいですね。うん、また、見に行こう(笑)。


しかし、安藤美姫さんも、高橋大輔くんも、ウエリントンメガネ!?

なんか、小顔効果には、でっかいのがいいらしいけど、安藤美姫選手、それどうなの?って感じですが(笑)。

なんか、ウエリントンっていうより、ドクタースランプアラレちゃんって感じなんだけど、

って、古いなー・・・(笑)、と思わず(笑)。

ま、ウエリントン、流行っているんですねー。


さて、今日は、昨日、プリプリ通信を書いていて、ふと、思った辺りを、

ちょっと書いてみようかなあと、思います。

まあ、いつもどおり、結論ありきで、書くわけじゃないので、

まあ、論考シリーズパターンのように、転がるように転がっていくだけです。

なんていうのかな、結論が出たら、いいな、と思って書いていこうと思います。


「江」を作成するにあたって、製作側は、お市とその家族は、戦国時代のセレブだと言い切っています。


つまり、それだけ、セレブという存在が、一般の女性に、うらやましい存在だと思われているんだと思います。

例えば、パリス・ヒルトンを代表するアメリカンセレブ。ヨーロッパの古い家系を代表とするヨーロピアンセレブ。

そして、日本の古来から、ある血筋を守る日本のセレブ。共通点もあれば、異なる点もあるでしょう。


ただ、女性のうらやむセレブ要素というのは、パリス・ヒルトンに象徴されるんじゃないでしょうか。

外見的に美しく生まれ、働かなくても多額の資産があり、それを自由に出来、子供の頃から、同じようなセレブと知り合いで、

日々、そういう友人たちとのセレブパーティーに出席し、楽しく毎日を過ごす。イケメンのお金持ちの友人とデートをし、

恋愛を楽しみ、旅行を楽しみ、グルメを楽しみ、毎日がハッピーハッピー。


まあ、セレブの良い面を抜き出してみると、そんなところでしょうか。


まあ、昨日のプリプリ通信に、セレブはそれだけじゃないよ、ということを書きましたが、それは別として、

現代の女性が、夢見る存在とは、そういうものなんだろうと、大河ドラマの製作者は、考えているところだと思います。


もちろん、僕は、そういうことを否定するつもりはありません。そういう存在になれるのなら、それは、素晴らしいなあ、と思いますね。


でも、僕ら庶民は、外見的にも美しく生まれついてないし、自由にできる多額の資産なんて、ありはしません。

だから、自分自身で、いろいろなものを獲得していかなければいけない。


前向きに前に出て、ガンガン自分の実力を発揮し、しあわせを獲得しながら、資金を獲得していく、というのが、本筋だと思います。

もちろん、それは、男性的な価値観だと思います。女性とすれば、自分がそういう立場に立つより、

そういう頼りがいのある男性を見つけ、あるいは、そういう男性から、見つけられ、シンデレラストーリーを地でいくのが、本筋だろうと思います。


まあ、そうなると、一番手っ取り早いのは、セレブと出会って、結婚することになるんですよね(笑)。そうすりゃ、すぐセレブになれる。

でも、現実はそうは、いかない。というのも、セレブってのは、今ある資産を増やして、次代の人間、まあ、子供達に預ける義務があるからです。

少なくとも、大きく減らしてはならない。資産と言ったってお金ばかりじゃない、不動産だって多量にある。

この不動産資産の価値を減じないように、手段を講じながら、一生を送る義務がある。とすれば、そういう男性に嫁ぐ女性は、多くの能力が求められることになる。

上流階級の舞踏会にデビュタントできるのは、資産やらそのひとの美貌やら、能力やら、家系やら、厳しい審査を通った一握りの人間だけです。

森泉さんがデビュタントしてましたけど、あのレベルでさえ、クレームがあったようです。古い家系でない、ということでね。

そのあたりが、セレブの基本能力ということになるんですよね。ちょっとすごいレベルだと思いますよね。


僕は昨日のプリプリ通信で、

「気を使うのが面倒」

なんて言っている人間は、終わっていく、ということを言いました。

だけど、僕はよく考えてみると、確かに、20代くらいの頃は、周りに気を使って疲れていました。

でも、年齢を重ねると、気を使っていることに、疲れない、というか、自然に気を使っている状況になるんですよね。

一緒に飲んでいる人間に、自然と話題を振ってみたり、自然と酒をついであげたくなったり、乾杯したくなったり、

「自分の気持ちが自然に、相手に気を使っている」

状況になっている。これは、いろいろな経験を重ねたから、そういう能力が自然とついた、と見るべきなんでしょうね。


つまり、

「気を使うのが面倒」

と言っているひとは、そういう経験を積んでいないどころか、そういう経験を積むことを忌避している。つまり逃げている人間ということになるんです。

だから、普通に経験していけば、つく能力を忌避し、自分の中に逃げこんでしまう結果、能力のない、誰からも相手にされない人間になってしまうわけです。


つまり、経験から逃げ、成長しない人間は、結果的に、社会からつまはじきになってしまうということを言っているんですね。


実際のセレブは、そういう人間とは、真逆の人間です。

上流階級という中で、切磋琢磨しながら、洗練というものを磨いていく、それがセレブです。

気を使うなんてことは、子供のうちから躾され、自然と身についています。

そうでなければ、セレブの世界で、生きていけないからです。

それは、恥ずかしいというより、マナーの出来ない人間は、屈辱を感じるからですよ。

だから、自然と、マナーなんて基本中の基本として、身につけるし、佇まいも優雅、知的で、ウィットに富んで、周りを楽しくする存在になるんです。

そういう男性、女性だからこそ、価値があり、同じセレブの異性から、

「こいつとなら、一緒に生きていける」

と、確信され、結婚に至るんです。


僕も20代の頃、そういう日本のお嬢様とつきあっていました。

まあ、ちょっといま、お休みさせて頂いていますが、「由美ちゃん物語」の登場人物の多くは、その経験を元に、書かせて頂いています。

その由美ちゃんの友人の家に行ったら、うん千万円の置物があったり、でっかいお屋敷に住んでたり、そんなひとばかりでした。

安サラリーマンの僕には、ちょっと別世界な感じでしたけど、由美ちゃんをはじめ、みな、優雅で、知的で、楽しくて、それでいて、しっかりとしたひとばかりでした。

それが、本当のお嬢様だし、ちょっとですが、セレブの世界に触れた瞬間でした。

血が作り出した優雅さ。それが、セレブです。

皆若い時から、たくさん努力していましたよ。人に気を使うなんて、もう、幼稚園くらいから、やっているみたいでしたし、

そのあたりは、スパルタンな躾をうけてましたねー。

でもね、それは、日本の古い家系の教育方法なんですよ。それが、当然なのが、そういうセレブ世界なんですよ。


そういうセレブの世界を、表現するのなら、この「江」という物語にも意味があるかな、と僕的には、思っていました。


しかし、この「江」は、そんなの、ひとつも目指していない。


自分の地位に傲岸不遜。自分の権力を鼻にかけ、子供の頃から、傲慢に振舞う主人公のサルおんな。

躾なんてひとつもされていないどころか、他人の立場に立つこともなく、わがままに振舞うだけの女ども。それが、お市、サルおんな、お初、茶々でしょ?


くだらないですね。

あんなの、セレブではない。

ただの成り上がりの、権力盲者の女どもですよ。


だから、見る価値をあまり感じなくなりました。まあ、プリプリ通信を書くために見ますけどね。

ちゃずさんとも、約束したしね。


でも、はっきり言って、普通の女性の気持ちをたぶらかす、害悪ドラマですよ、これ。


セレブのいい部分だけを見せて、

「あなた達は自由よ。自由に恋愛できるのよ。やりたくなければ、気だって、使わなくていいの!」

こんなメッセージを女性に与えているんですからねー。


これ、信じちゃった女性は、終わっていきますよ?

セレブのあり方と真逆なんだから!


逃げたら、終りです。

女性だって、経験が必要です。経験することで、成長するんです。

例えば、子供を育てあげた女性というのは、皆、強いし、自分の人生に自信がある。

そして、輝いている。美しい女性達ですよ!

あれは、なぜかと言えば、子供を育て上げるというのは、女性が求められた役割を十全に果たしたということだからです。


男性が、自分の仕事を全うし、例えば、会社の社長になり、業績を伸ばしたという経験に匹敵するんですよ。

そして、家族をしあわせにした、男性と同じなんです。

それは、全て経験です。経験があるから、皆、輝くことができる。


人間というのは、誰かが輝かせてくれるわけじゃない。

確かにセレブは輝いている。でも、あれは、それに見合う努力をしたから、経験をしたから、輝いているんです。

僕らだって輝ける。ガンガン自分の目標に向かって、ガンガン経験していけば、どんどん輝けますよ。

そういう輝きを異性が見つけて、恋愛やら、結婚が見えてくるんじゃないですか?

待ってるだけじゃ、輝きません。絶対に。


輝きは、自分が、自分に与えるものです。

どういう輝きにするかは、自分次第!

自分で戦略し、自分を輝かせていく。

それが、高度に出来上がった時、あなたは、はじめてセレブになれるかもしれない。

多くの資産を持ち、運用し、大きな利益をあげるセレブになっているかもしれない。

セレブになるには、努力と経験が必要なんです。


ま、セレブになんかなるより、しあわせであれば、そして、愛する人と、家族がいれば、それら皆で、笑顔を交わしあえれば、僕はいい。

そういうコミュニティを作れれば、僕はそれでいい。

というより、それが、僕が生きる目標のひとつです。


目標なんて、いくつもったって、いい。


その目標に向かって、ガンガン前に出て、経験を重ねていけば、いつか、目標にたどり着けます。

そういう大きな思いで、生きていきたいですね。


それが、今日の結論かな。

間違ったメッセージを信用しちゃいけないっすよ。やっぱりね。


ま、そんなあたり、考えながら、今日は火曜日ですね。

ゆっくり、のんびり、やるべきことは、てきぱきと、がんばりましょう!


ではでは。