「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

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日本人が「判官贔屓」をする理由!(日本人だけがなぜ謝るのか?)

2011年02月12日 | 日本人の秘密
どうも!ゆるちょです!

いやあ、一日、寒いですねー。

まあ、このあたりは、仕方ないなあって、あきらめが肝心ですね。

と、先週の所さんの番組「目がテン!」を見ていたんですけど、

けっこう興味深い実験をやっていたので、そのあたりをちょっと考えてみようかなあ、と思いますね。


えー、

「中国人は、絶対、謝らない!」

という噂を、

「ほんとか?」

ということで、検証していたんですね。


実験は、こうです。

まあ、テレビの別番組を作るという触れ込みで、中国人及び同世代の日本人(大学生くらいだったかな)を呼び出し、

それぞれ一人を、ある部屋に、たったひとりにする、というところから始まります。


そこには、

「世界で一番軽い皿」

と、名札をつけられた皿がむき出しでおいてあるわけです。


そりゃ、誰だって興味を持ちますよ。

しかも、ひとりで、置いてきぼりな感じですからね。


まあ、日本人の大学生が、最初に犠牲になるわけですが、

まあ、興味を持って軽さを測るためにもちあげる・・・と、皿は崩壊し、持ち上げた大学生は、顔面蒼白、周りを見回して、

「どうしよう!」

という顔になるわけで、運悪くそこに、番組スタッフが入ってきてしまうので、その時、その大学生は、どういう対応をとるかを

観察する・・・そういう流れなんです。

もちろん、皿には、予め壊れるように、仕掛けがしてある・・・というわけで、

日本人の大学生、と、中国人の大学生で、どういう対応をするかを、比較してみる、という実験なんですねー。


で、結果は、どうだったか!というと、日本人は、だいたいうろたえますが、

「すいません。ほんと、ごめんなさい!」

と、まず、謝るんです。もちろん、

「これ、最初から壊れていたのでは?」

と、思っているはずなんですけど、それは、指摘せず、自分の非をまず認め、相手の対応を待つ、という態度に出るんです。

これは、同じ日本人である僕らは、理解しやすい態度ですよね?


それに対して、中国人の大学生達は、どうだったか。


実験は、十数名にやったようですが、ひとりとして、謝ったものは、いませんでした。

「この皿は、最初から割れていた!」

ということを指摘して、自分の非であることは、全く認めない、という態度でした。


まあ、番組的な結論としては、

「中国人は、何か問題を起こした場合、許される習慣あるいは、環境にない。さらに、責任をとらされる場合、非常に重いものになる」

「だから、必死に、自分の責任を逃れようと抗弁するようになっている」

ということでした。つまり、中国人の世界とは、そういう許容というものがなく、個人の責任において、社会ができている世界であって、

これって、欧米に近いんですよね。

多分、同じ実験を、欧米人にしかけても、中国人と同じ反応を示すと思うんですね。


つまりですねー、日本人だけが、世界では、違う反応をしている、と考えられるんですよ。


従来、このことは、

「世界の仲間はずれの日本」

とか、

「世界に遅れている日本」

的なネガティブな説明してきた識者が多かったです。

でもね、僕はそう思わない。


社会的民族である、日本人は、社会とのつながりを持つことに価値を置きます。

だから、一度失敗したからと言って、

「人間というものは、失敗する動物だし、それだけで、その人間に全ての責任は押し付けられないものだ。管理側の責任も考えるべきだし」

「総体としての責任論が検討されるべきだ」

と言う考えから、個人に責任を押し付けない、という習慣があるんですね。

「全体責任」

という言葉がありますが(昔はいやな言葉だった)、その組織で失敗を共有することが、良いこと、という発想があるんですよね。


それが、まず、あるから、問題を起こした人間は、まず、自分が卑怯でない、ということを証明しなければならないんですね。

「私が、この事件を起こしました」

これだけは、日本人社会では、なんとしても、認めないと、

「その人間は、卑怯!」

というレッテルが貼られ、全ての釈明の機会が取り上げられてしまう。

「あいつは、卑怯じゃない」

と、評価されれば、

「この事件は何故、起こったのか?管理者側の問題はなかったか?彼を皿の前にひとりで残したのが、そもそも問題だったのでは?」

という方向に議論が進み、

「まあ、人間だったら、世界一軽い皿と書かれていれば、手を出すのは当たり前。とすれば、そんな皿の前に、ひとりにした番組スタッフにも責任がある」

という形になり、どちらかと言えば、番組スタッフに問題があった、という採決が下ったりするんですよ。日本では。


これなぜ、こういう形の採決が下ったりするんでしょう?


これねー、喧嘩両成敗にも見えるんですが、実はそれより、一歩踏み込んでいて、弱者を守り強者は、社会を守る義務がある、という考えを根底にしているんです。


この場合、何も知らずに連れてこられてひとりにされた大学生は、明らかに弱者です。社会的弱者。

それに対して、その場所を所有し、その場所をコントロールできる役割を担っている番組スタッフは、大学生に比べて、社会的強者なんですよ。


だから、弱者を守りながら、強者に義務を求めている、という構図になっているんですよ。


つまり、社会的弱者には、今後の成長を期待する態度であり、

社会的強者には、義務として、責任を求めているんです。


これは、社会を構成する人間に対する、社会的民族である、日本人の基本的態度を表現していると言えるんです。


つまり、社会がいい方向に成長するような、判断なんですよ。弱者には、成長を促し、強者は、弱者を守る義務があり、責任がある、ということなんです。


と、いう道理が見つかった、ということは、これ、日本にのみ、見られるとして、よく不可思議な現象の代表として見られる、


「判官びいき」


の理由を説明していることになりませんか?


つまり、日本で若者や社会的弱者として、日本人に思われるひとが、なぜか人気を獲得してしまう理由は、

「強者が、社会的弱者に対して、がんばれ!という感覚が普通にあるから」

ということになるんですよ。社会をいい方向に成長させようという社会的強者の想いがあるから、そういう想いになるんですよ。


なるほど、簡単に説明できちゃうじゃん。


つまり、それほど、日本人は、社会というものに、敏感で、社会の成長を願っているんだ、ということになります。

なにしろ、日本人は、社会で高度に役割を果すことを宿願にしていて、それに価値を置いていますからね。


だから、社会的弱者に対して、社会的強者は、鷹揚な気持ちで、

「まだまだ、だな。だが、今後の社会は、お前ら若いヤツにかかっているんだ。お前も社会的に成長し、社会そのものを成長させろ!」

と、根底で思っているから、いろいろな行動が出てくるんですね。


それに対して、収奪性民族である、弱者から収奪することにしあわせを感じる収奪性民族、欧米人や中国などは、社会のことより、まず、自分なんですよ。


だから、個人社会になるわけで、日本とは、まったく違う価値観の民族だ、ということがわかります。


収奪性民族と、社会性民族の違いを端的に言えば、

収奪性民族は、金を獲得するために働くという発想を持つ人々であり、

社会性民族は、社会で働いていることに価値を置き、お金は二の次というひとである、ということですかね。

もちろん、個人個人いろいろですが、大きな傾向として、そういう傾向がある、ということで、収奪性民族と社会性民族を規定しています。


つまり、収奪性民族では、そういう許容もないし、社会を発展させるために、という発想がそもそもなくて、

個人的に自分、あるいは、自分の家族などが、よければ、それでいい、という発想なんですね。


ということは、要は、収奪性民族は、個の利益しか考えていないのに、対して、社会性民族は、社会の発展まで、考えて、生活している、ということになるんです。


これね、この考えを推し進めれば、どういうことになるかと言えば、まあ、以前も言いましたけど、

世界を平和にする可能性を持つ、民族は、どう考えたって社会性民族筆頭である、日本人以外あり得ないってことになるんですよ。


世界各国を見てください。

自国の発展しか考えてない。

しかし、日本は、どうです?

世界平和を盲目的に望み、それが達成できることを至上の歓びに感じている。

それは、なぜか。

他国をお隣さん的に考えているからです。他国も日本と同じように、社会の発展を考えているだろう、だったら、世界平和なんてできるはずだ、

という考えに至っているからです。まあ、そこが、日本人の世界平和論の限界と言えるわけですけど、

その可能性を唯一平和的に考えられるのが、日本人なんです。


だから、以前もどこかで書きましたが、日本的文化の世界への輸出は、世界平和実行の手段でもあるんです。

だから、日本的価値観で描かれている漫画を輸出することは、世界平和への道だ、と僕は主張しているんです。


社会を発展させようという発想のある日本人と、個人のことしか、考えない収奪性民族。


どちらが、生き方に関して鷹揚だと思います?

日本人の方だって、素直に言えるでしょ?

日本人は、社会を使って、しあわせになろうとしているんですよ。

だから、社会性民族である日本人こそ、今後の世界を変えていくキーになると言えるんですね。


なんだか、すごい結論になっちゃったけど、このあたりを考えていくと日本特有の価値観、

「おもてなしのこころ」

にもつながっていくような気がしますね。


そのあたりは、また、別途考えましょう。おもしろそうなネタだから(笑)。


いずれにしろ、日本特有の「判官贔屓」のこころは、社会的強者による、社会的弱者を思いやる暖かいこころの発露だった、ということがわかったので、

ちょっと今回の論考は、おもしろかったかな、という結論にしておきましょう!



ではでは。


深い良作「沈まぬ太陽」を見ちゃいました(四時間って、すげえ!)

2011年02月12日 | お昼間カフェ
おはようございます!

いやあ、3連休の2日目ということですが、

まあ、ゆったりな感じですねー。

というか、今朝は、なんだか、いつもより早く目が覚めてしまって、

気がついたら録画機に、「沈まぬ太陽」も、録画されている・・・ということで、

超朝で、「沈まぬ太陽」、えー、4時間ですよ。見ちゃいましたー(笑)。


いやー、4時間の映像体験は、ひっさしぶりっていうか、はじめてじゃないかなー。


まあ、ねー、そのあたりを書いてみようかと、思うんですが、

なんか、いろいろな想いがあって、どっから、書けばいいんだって感じですよね。


だいたい、いつも45分の映像を見て、愚痴を書いているわけですけど、

4時間あると、まあ、さらに濃密ですからねー。


いやあ、でも、端的な感想としては、

「そりゃあ、組織として、なくなりそうになるわな、こんな悪いことしてちゃ・・・」

ということかなあ。あるいは、

「会社って、そんなに、自分をかけなきゃ、いけないもの?」

と、まあ、サラリーマンから転職した身としては、そういう感想になりましたかねー。


まあ、これは、実際に見てもらって、いろいろ感じてもらうのが、一番なんでしょうけど、

一応、軽く話すと、日本航空を題材にしたと思われる航空会社で、労組の委員長をやった人間が、懲罰人事で、

パキスタンやテヘラン、ケニアなどをたらい回しにされるが・・・という話で、まあ、そこに御巣鷹山の事件も絡んできて・・・、

という話で、とにかく、濃厚でしたねー。

主人公は、渡辺謙さんなんですけど、彼の片腕をやっていた人物が三浦友和さんなんですよね。

この三浦さんが、渡辺謙さんが海外に飛ばされた後、会社側に転ぶわけです。で、まあ、分かりやすい悪をやっていくんですよー。

それが、具体的にわかりやすく表現されているわけですね。

国交省のお偉いさんには、マンションを用意し、女も用意する。女には、多額の金をつかませ、会社の上層部にも、接待攻勢、女をあてがい、意のままに操る。

政治家に情報をリークし、邪魔者となった会長を引退に追い込むは、まあ、とにかく、その手腕は、徹底的。そういう悪を、三浦友和さんが、重厚に演じました。

とにかく、人間、好きなものに弱いんだなあ・・・と、実感した感じがありますねー。

お金とか、お金とか、女とかね・・・。

つーか、お偉いさんになればなるほど、意地汚い感じがあって、いやあ、偉くなるひとってのは、清濁併せ飲むというより、濁濁ばかり飲むって感じがしましたねー。

っていうか、途中出てくる政治家の姿が、現実にいる誰かみたくて、ちょっと笑いましたね。あれは、絶対ビジュアルを似せてあるな。


僕は、前の職場は、メーカー務めでしたが、関西国際空港を担当していたので、航空会社は、よく使いました。


もう、毎週、羽田から、関空へ飛んでましたから、まあ、航空会社の方には、よく会ったわけですが、

まあ、当時から、いろいろ噂はあって、僕が使っていたホテルの支配人と話したときに、

「ある航空会社は、とにかく、神様のように扱え!とか、言うんですよ。従業員の方が当ホテルを使ってくれるのは、いいんですが、何様のつもりなんでしょうね」

と、ポロッと、いかにも、苦々しげに言っていたのを覚えています。

(バーでお酒おごってもらったんだよね(笑)。「ほんと、お仕事大変そうで・・・」とか言われて(笑)。懐かしい思い出だ(笑)。)


とにかく、俺は偉いんだ、と思っているひとが、確かに多かったですね。


このあたりは、村上春樹さんが、エッセイで書いておられますが、僕はそのあたりを知っていたので、

「ははー。なるほど、ほんと、勘違いしているな、こいつら」

という目で見ていました。だから、機内でサービスされてもね・・・という感じだったんで、僕はできるだけ、当該航空会社は使わず、別の航空会社を

使うようにしていました。確か、村上春樹さんも、そうしていると書いていましたね。


まあ、そんな俺偉い病の人々だったから、今の体たらくなわけでしょ?

っていうか、整理解雇されたひとが、デモやってたけど、いつの時代の感覚だ?って感じで、ニュース映像を見ていました。

なんていうのかな、

「俺たちは、偉いんだ!それ相応の待遇しろ!」

という感じの匂いが、その映像からプンプン臭ってましたね。

整理解雇されたってことは、

「会社には必要な人材ではない!」

と判定されてしまったということなんだよね。

確かに雇用は守られなければいけないけれど、会社が潰れるか、どうかの瀬戸際まで、来たからそうなっちゃったんであって、

「自分に価値がなくなったことすら、わからず、いつまで、鼻高々にしていれば、こいつら、気が済むんだ?」

という感想を持ちましたね。

そういう映像と「沈まぬ太陽」で描かれたむちゃくちゃな人事や、仕事のやり方を見ていると、

「なるべくして、なった体たらくなんだな、あの航空会社は・・・」

と、素直に思えますねー。


まあ、僕も長くサラリーマンをやっていましたし、組織の人間として、人事というのも、見てきましたが、

まあ、技術者の集団だったからかもしれないけど、ああいうむちゃくちゃは、見たことがないですねー。

と言って、それは、僕が知らないだけかもしれないけど、でも、あんな人事やってたら、やっぱり、組織がおかしくなりますよ。


なんていうのかな、目の前にある自分の功だけに固執し、追い求める人間達の集団になってしまったから、

いわゆる、お客様精神みたいなものが、薄れてしまったんでしょうね。

安全より、自分達の功が先・・・俺は偉いんだから、それで当然・・・そういう意識ばかりの人間の集団になってしまったから、

あの御巣鷹山も起こってしまった・・・それは偶然じゃなく、必然だった・・・そんな風に思えましたね。


池波正太郎大先生が言ってましたが、

「いいことってのは、すぐに現れるからいいんだ。だが、悪いことってのは、なかなか明るみに出ない。そして出た時は、もう、取り返しがつかなくなっているんだな」

「それだけに始末に悪い。悪いことはしないことだ」

なんだそうです。なんか、御巣鷹山って、それのような気がしますねー。


まあ、俳優陣は、豪華使いで、もう、満足満足なんですけど、最後の最後に、悪の権化と化した三浦友和さんの前に、特捜が現れるんですけど、

これが、中岡さんなんですよ。スーツ姿で、現代風な外見なんですが、これがやったら、かっこいいの(笑)。

笑っちゃうくらい、かっこ良かったですねー。いやあ、中岡さん、カッチョイイっすねー。


この三浦友和さんの側に転んで、使いっパシリとして、いろいろ悪いことをしていたのが、実は、弥太郎!ということで、香川さんは、ほんと、演技派ですねー。

そういう意味じゃあ、加藤剛さん、首相でしたからね(笑)。「坂の上の雲」の伊藤博文を思い出しました。


まあ、そんなあたりを楽しみながら、ケンワタナベの重厚な演技を楽しみました。たまーに、ドコモのCMを思わせるようなシーンもあって、

ちょっと笑いそうになりましたが、いやー、ほんと、人間は、業を持っているなあ・・・って思いましたねー。


欲に目がくらむと、人生、結局、だめになるんだなあ、とそんな感じがしました。

いやあ、とにかく、この作品は、ほんと見てもらわないと!って感じです。


と、ここまで、書いたところで、用事ができちゃって、ほっぽったまま、この時間まで、

いやあ、もう、昼っすよ(笑)。

ま、急なお仕事は、よくあるもんで(笑)。


しかし、日航に労組が複数ある理由や、ホテルの乱脈経営のあたりも、ちゃんと描かれていて、

そりゃ、ね・・・って感じですね。まあ、フィクションで実際の団体とは、なんら関係ない作品ですけどね(笑)。

しっかし、社内にあれだけ対立構造を持っちゃったら、そりゃ、組織が、消える方向ですよねー。

土佐藩は、2つだったけど、あそこは、いくつあったんだ、対立構造・・・ということで、組織は、皆が同じ方向を向いていないと

力を発揮できないばかりか、消滅方向に行く、という大きな仮説を教えられましたね。


これは、家族でも、大きな組織でも同じですね。


夫婦がいがみ合ってたら、消滅方向でしょ?

つまり、夫婦はお互い共通の目的を持って、一緒に前に進んでいくことが大事!ということですよ。

共通の目的を設定することがなにより、大事で、そのために、日々何が出来ているか、をお互いチェックしながら、

進んでいくことが大事ということですね。


そういや、内部に対立構造を持つ組織って・・・って考えていたら、今の政権与党って、もろ、そのものじゃんって思っちゃいました。

やはり、消滅方向?


そんなことを思いながら、対立構造を持たないって、ことは、大事なんだなーって思いました。

主人公である渡辺謙さんの家族は、途中バラバラになりましたが、決して対立構造にはならなかった・・・危機を一緒に乗り越えて

最終的には、お互いを思いやる家族になっていました。

相手を信じて歩いていくこと、それも大事なんですねー。


と、なんだか、いろいろ考えさせてくれた、「沈まぬ太陽」でした。


ほんと、お薦めです。四時間は、厳しかったけど、その分の、いろいろな思いをこころに浮かべることができますから、

まあ、いい経験になると思いますね。


会社って、なんだろう。生きるってどういうことなんだろう。家族って何なんだろう。


いろいろなことを考えられた良作でした。


これね、録画したら、早めに見ないと見れないっすよー。だって、4時間ですからねー。

3時間の「ハゲタカ」エピソード3を見れてない僕ですから。


あ・・・。


ではではー(笑)。