しつこいくらいに雨の降る1930年の上海が舞台の映画だ。
日本の支配下になろうとしている中国で出会う日本人の男と中国人の女性。時代の大きな流れが、自分たちの気持ちだけでは行動出来ない二人の選択肢をどんどん狭め、一つの流れがどんどん違う大きな流れを作っていく。
そしてそんな時代の流れなど一つも関係なかったはずの男性も、ただ上着を間違えてしまった、ただそれだけのことで自分の意思とは関係なしに大きな時代の流れに飲まれていってしまう。
日本人の男伊丹と中国人女性シンシアは満州で会った時も、そして上海で再会した後も口数は少ない。思いのたけを沢山の言葉で語るわけでもなく、街中で二人歩く時も手を絡めるわけでもなし、視線を合わせるわけでもない。そんな二人の雰囲気に見ている側も誰が何を企み、そしてどんな風に時代の波に飲まれていくのか次第に分からなくなってくるのだ。
特に仲村トオル演じる伊丹の気持ちがなかなかつかみどころがない。時代の流れに逆らうのか、それともチャン・ツィイー演じる中国人女性との愛に生きるのか。彼の行き着くところがどこなのかはっきりしないにも関わらず、非常に凛とした雰囲気が漂っている。自分の意思などなく時代の流れに巻き込まれる若者を演じるリュウ・イェが非常に猫背で戸惑っている姿とは対照的だ。
雨が降り続く上海の街をオレンジ色の照明で映し出すカメラも綺麗だった。
パープル・バタフライ 公式サイト
昨日の午前中用事で新宿に行く用事があったので、丁度時間のあったこの映画を観る。(春の雪かエリザベスタウンでもよかったのだが、時間が合わず今回は見送る)初日ということで夕方の回に仲村トオルの舞台挨拶があり「夕方の回にされてはいかがですか?」と劇場の人から紹介まで受けるがこちらも時間が合わず断念。(仲村トオルがとても良かったので、是非彼の撮影当時のエピソードを聞きたかったものだ)共演のリュウ・イェは自分の意思に関係なく巻き込まれた役柄のせいか、前半はとても情け無い感じがし(二人の恋に溺れる感じはするが、それだけでどうも頼りない)それが更に仲村トオルの凛々しさや男らしさを際立たせる結果になっていた。勿論リュウ・イェも後半の演技には見るべきものありだが・・・
日本の支配下になろうとしている中国で出会う日本人の男と中国人の女性。時代の大きな流れが、自分たちの気持ちだけでは行動出来ない二人の選択肢をどんどん狭め、一つの流れがどんどん違う大きな流れを作っていく。
そしてそんな時代の流れなど一つも関係なかったはずの男性も、ただ上着を間違えてしまった、ただそれだけのことで自分の意思とは関係なしに大きな時代の流れに飲まれていってしまう。
日本人の男伊丹と中国人女性シンシアは満州で会った時も、そして上海で再会した後も口数は少ない。思いのたけを沢山の言葉で語るわけでもなく、街中で二人歩く時も手を絡めるわけでもなし、視線を合わせるわけでもない。そんな二人の雰囲気に見ている側も誰が何を企み、そしてどんな風に時代の波に飲まれていくのか次第に分からなくなってくるのだ。
特に仲村トオル演じる伊丹の気持ちがなかなかつかみどころがない。時代の流れに逆らうのか、それともチャン・ツィイー演じる中国人女性との愛に生きるのか。彼の行き着くところがどこなのかはっきりしないにも関わらず、非常に凛とした雰囲気が漂っている。自分の意思などなく時代の流れに巻き込まれる若者を演じるリュウ・イェが非常に猫背で戸惑っている姿とは対照的だ。
雨が降り続く上海の街をオレンジ色の照明で映し出すカメラも綺麗だった。
パープル・バタフライ 公式サイト
昨日の午前中用事で新宿に行く用事があったので、丁度時間のあったこの映画を観る。(春の雪かエリザベスタウンでもよかったのだが、時間が合わず今回は見送る)初日ということで夕方の回に仲村トオルの舞台挨拶があり「夕方の回にされてはいかがですか?」と劇場の人から紹介まで受けるがこちらも時間が合わず断念。(仲村トオルがとても良かったので、是非彼の撮影当時のエピソードを聞きたかったものだ)共演のリュウ・イェは自分の意思に関係なく巻き込まれた役柄のせいか、前半はとても情け無い感じがし(二人の恋に溺れる感じはするが、それだけでどうも頼りない)それが更に仲村トオルの凛々しさや男らしさを際立たせる結果になっていた。勿論リュウ・イェも後半の演技には見るべきものありだが・・・
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