ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

今日は良いレッスンになって嬉しかったですよー💕

2022年05月01日 22時35分35秒 | 音楽&トランペット&レッスン
こんばんはー!!

ホテルのお風呂の中でデュオリンゴなんか必死こいてやってるから、もう汗ダックだくですww

アッツイアッツイ!!!

明日の朝、シャワーして出かけよう!


今朝は5時に起きて、岩原温泉を一発キメて、5時40分には出発!
途中眠くなっちゃったけど、なんとか新潟に辿り着きましたー。

で、午前はトランペットのレッスンと進級試験、それから午後は合奏でした。

あ!!!そう言えば・・・生徒にプレッシャーかけちまったのか、「年長だから新人さんの面倒見てあげてねー!」って言ったら、「えー、○○がいるから年長じゃないよ」って言われたけど、○○はもう上に進級したからいないよって伝えたら、午後から居なくなっちゃったんだけど、なんか悪いこと言ったんだろうか・・・(;´・ω・)

自覚を促そうと思ったんだが、衝撃が強すぎた??え??衝撃かなぁ・・・???どうなの??どうなんだ???


うーん、分からん。男心は分からん。。。😢

そのことは、一旦置いておこう・・・(;^ω^)

で、午前と午後にレッスンをしたんですけど、

子どもって、やっぱすごいね。
今日も「子どもと学ぶ」「子どもが育つ」ってことを大事にしようと、レッスンしたわけなんだけど、

これがさ、今まであれこれ言っても全然上手く行かなかったのに、不思議なくらいに「道理を理解」した瞬間、勝手に自分たちでやれるようになっていくのよ・・・なんだ???どういうことだ?ってくらいにスゴイ。

なんか大人が良かれと思って、いかに余計なことしてたかってことを思い知らされるよ。

結局あれこれ教えすぎるから、言葉や説明だけが頭の中に氾濫して、もう知らんがな~って理解することを諦める・・・

でも、どういうことをやってるのか?ってことだけ分かれば、それを実現するには・・・って自分たちであれこれ勝手に耳やなんかを使って考え始めるから、かなりシンプルに進むんですねー。。。

今日は、楽語と曲の作り(各セクションの役割)みたいなモノをちょっと理解したんじゃなかろうか???

それに、いつもは指揮の見方だのなんだの、細かく説明したりやってみたりするんだけど、

今日はもう、さっさとワケわからなくても良いから合わせてみて、その上で、どこが上手く行かなかったか、どうなってたか?などをピックアップして、そこを解決していきながらやって行ったから、最低限のことだけインプットすればよかったんじゃないかと!

それに、やっぱり「サービスしすぎちゃダメ」なんだなーって思います。

大人はあれこれやってあげて、自分の影響力が高くなった方が、自分の存在価値も上がるし、他人からの承認欲求も満たせますし、しかも「子供のため」ってんだから、メッチャ良いことって感じがするけど、

よーく考えたら、子どもの学びのチャンスを奪ってるかもしれないってことだから、結構酷いかもしれん・・・

子どものため、とかそう言うのはきっといけないんだね。。。

ま、「○○のため」とか言うと恩着せがましいっちゃー恩着せがましいw

かく言う私も、結構放任の方だけど、それでもなんか教え方とか教えるテクニックとか、効率よくとか、そういうことめっちゃ考えたり使ったりしてきたから、全く人のこと言えません😅

あ!!!

そうそう、最近めっちゃ思うことね。

なんか「国」とか「チーム」とか、まあなんでもいいんだけど、そういうモノってあるでしょ?まぁ「学校」とか「オーケストラ」とかでもいいさ、そういうモノ。

これをさ、ついつい間違っちゃうのは、「国」とか「チーム」とかって言う入れ物みたいなモノがあって、その中に自分が入ったり出たりするけど、入れ物としての「国」は変わらない、、、、

みたいな考えって、持ちがちだよね。

そう言う考えだと、自分は常に受け身で、「国が悪い」とか「国に何とかしてほしい」とか「どうせ自分がなんかしても変わらない」みたいな、要求はするけど諦めてもいて、ついでに被害者っぽい立ち位置になるみたいなことになりがち。

でもさー、、、本当は、私やあなたや君がいて、それがもっともっと集まったら村になったり、チームになったり、学校になったり、国になったりするわけで、

決して誰かが作った入れ物みたいなモノがあるわけじゃないんだよね。

自分が「そのモノ」を構成している要素の1つなんだよ。
要素が抜ければ、「そのモノ」だって変化する。
新しい要素が加われば、また「そのモノ」は新しい形に変化するんだよね。

その感覚を是非いつも持ってほしい。

だから例えばジュニアオーケストラってモノがあったとしたら、

私が入団しようが退団しようが、変わらないジュニアオーケストラがあるんじゃない。

どんな要素で構成されるかで、まったく違うジュニアオーケストラになるわけよ!

あるいは人間って、自分の意思で変わることもできるじゃない?
その「意思」が変われば、構成要素である自分が変わるわけで、そしたら全体だってまた変化するんだよねー。

そのそれぞれの変化もあって、そして多様な人たちがいて、それぞれが関係しあって、そのチームってモノが形作られるんだよね。。。

「多様」ってところがまた大切。

ついついチームとか集団を作ろうとすると、「均一」とか「同じ」とか「一つの」とか、そういうことを考えがち。

そうするとさ、ちょっと自分は当てはまらないな、とか思うと居づらくなるし、また違うモノを排除したくなったりする。

でもそれじゃーダメだ。

むしろ多様だから良い。その方がいろんな可能性があるでしょ??

多様だから、人間もまだ滅びないで済んでるってもんよ。

多様だと、もちろん得意も不得意も人によって違う。
チームの良さは、それぞれの良さでほかの人の不得意を補完することもできるし、影響し合うことで、良さが倍増するってこともあるじゃない?!

それぞれが出来ないことをできるようにするってことが目的じゃない。
みんながそれぞれで良い。それぞれのできることを結集して、何かを作れたら、楽しいじゃーん?ってこと。


それはなんにでも当てはめることが出来ると思う。
その感覚!!!これが本当に大事なことだと思うから。

そう言うのって、もしかしたら子どもとかは本能的に知ってるのかもな??なんて今急に思ったよ。どーなのだろ??

だってさ、子ども同士で、相手の重箱の隅を突っつくような練習の仕方ってしないよね。してるとしたら、大人がそういうやり方してるから、真似してるんだよね。

今日は終わった後に、それぞれの子たちが自分の言葉をしゃべってた気がして、凄く楽しい感じだったー!

おっとっと、だんだん話がそれてきたけど、もう書きたいことは書き終わったから、今日はこれにて寝ることにしよー!!

それではみなさまおやすみなさーい🥰

それでは、みなさんまた明日ねー!!

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