「通常学級でも」
『木刻凸字 光る学びの跡』という見出しの記事が掲載されました。京都府立盲学校の『「48平方㍍の宝箱」とも呼ばれる同校資料室を特別に見せてもらい、障害がある子どもたちを対象とした特別支援教育の黎明期の取り組みを探った』記事です。
『目が見えなくても文字の形を学べるよう、一方は浮き彫り、その裏は削り込みで、ひらがなやカタカナが表現されている』木刻凸字。『厚紙を裏側から押して文字を浮き上がらせる紙製凸字』。『子どもたちが同じ表現を使って一緒に学べるよう、指や手の形でカタカナを表現した「いんあ五十音字形手勢図」』、『50音を声に出す時の口の開き方や舌の巻き方などを絵で描き、言葉で説明する「発音起源図」』。様々な先人の工夫の跡が残されているそうです。
記事は、こうした資料について、『重度障害の子どもたちに対して、教育は何ができるのか。その可能性を教えてくれる』『障害児教育の資料を読み解くことで、その(共生社会の)実現へのヒントや新たな気付きが得られるかもしれない。そのためにも資料を埋もれさせてはいけない』『個々の学校任せにするのではなく、国や地方自治体、教育機関が連携すべきだ』といった専門家の言葉を紹介して結ばれていました。
同感です。と同時に、こうした学校での指導に用いられてきた「資料」は、特別支援教育に限らず、通常学級の教育で用いられてきたものにも価値があるように思うのです。
私が教員になった頃、視聴覚教育という研究分野がありました。OHP(オーバーヘッドプロジェクター)やスライド映写機、16ミリ映写機、実物投影機などが使われていました。そうした機器を授業の中でいかに活用するかを研究するのが「視聴覚教育研究部会」でした。
今の若い教員たちは使ったことはないでしょう。40代、50代の教員でも自分が子供のときに担任が使っているのを見たころがある、という程度だと思われます。IT機器の活用が一般的になっている現在、これらの骨董品は、無用の長物かもしれません。
しかし、私たちはそうした骨董品を使って資料を作り、授業の工夫を重ねてきました。そのとき、もっとこんなことが出来たら、と考えたアイデアはたくさんあります。それらのうちいくつかはIT化により、今は実際に使うことができます。
視聴覚機器ではありませんが、当時私は「アナライザー」を使っていたことを思い出しました。子供たちに厚紙で三角柱を作らせ、それに赤、青、黄色の色を塗らせ、授業中机の隅に立てさせておくのです。私の説明が分かったら青、分からないときは赤、質問があるときは黄色を教員に見えるように前に向けるという使い方です。個別学習のとき、「先生、先生~」と騒がしくなることを防ぐ意図で使い始めました。懐かしいです。
こうした工夫の跡を、教委が資料室などに残しておくことは大切だと思います。一つは、教員という者が子供のために日々創意工夫に勤めてきた存在であることを知らしめること、それは教員への敬意を育て、学校教育への信頼を培うことにつながると思うからです。
もう一つは、現在の教員が、新しい指導法の工夫を考えるときのヒントが詰まっていると考えるからです。時間はありません。今すぐ取り組みを始めてほしいものです。
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