ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

ステレオタイプ

2015-04-28 07:59:53 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「ステレオタイプ」4月21日
 精神科医の香山リカ氏が、『科学の目と人間の目』という表題でコラムを書かれていました。その中で香山氏は、『病院や医療の世界を舞台にしたテレビドラマは~(中略)~必ず「良くない医者」が出てくるが、その特徴がいつも同じということだ。患者さんの話を聞かずに短時間診療で終わらせる、診察よりも検査データを重要視する、すぐに薬を出したり手術しようとしたりする…。じっくり時間をかけて手当てをする「医は仁術」的な医者の対極にあるイメージだ』と書かれています。
 香山氏は、そうしたイメージに疑問を呈しています。検査データも必要ですし、一人の患者に長時間費やすことが現実的でないことも、よく考えればわかることです。実は私も、いわゆる「学園ドラマ」に登場する「良くない教員」の描かれ方にかねがね不満をもっていました。
 子供の話をじっくりと聞こうとしない、授業で疑問やこだわりをもっている子供にきちんと対応しない、など。また、必ず校長や副校長といった管理職は、2人とも、もしくはどちらかが悪者として描かれています。自分の出世や学校の評判、世間体を優先させ、子供よりも教委の方に顔が向いているというタイプとして、です。
 私はそんな「学園ドラマ」を見て、ときどき考えることがあります。もし、自分の子供が通う学校で、我が子の担任の教員が、問題を抱える1人の子供の話に耳を傾け、そのために授業を自習にさせたり、他の子供のトラブルを見逃したりしたら、それでも「子供の悩みにとことん付き合ってくれる良い先生ね」と言ってくれるか、と。あるいは、授業中に分からない子供にマンツーマンで教え、その分授業が大幅に遅れたとしたら、それでも「一人も落ちこぼれを作らないっていう信念って素晴らしいわね」と言ってくれるか、と。
 あるいは、教員に対しても、子供に対しても、性善説で一切の管理を「悪」として排除するような管理職がいたとしたら、歓迎してくれるのでしょうか。私が教委に勤務していたときに接した保護者や市民の方々の多くは、教員を思い通りに動かすことができる強い校長や強い教委を求めていたように思います。もちろん、自分の子供にとって有利になるように学校を動かすという意味でですが。
 つまり私の経験からは、ドラマに出てくるような「良い教員」は、実際には保護者も市民も子供でさえ求めてはいないのに、もしそんな教員が出てくれば、「早く授業を進めて」「一人の子供にだけ多くの時間を費やすのはひいきです」などというくせに、どうしてドラマではそうした教員が求められるのだろうという疑問が消えません。
 もっとも私も、病院に行くと40分待って5分しか診てくれなかったという愚痴をこぼし、そのとき、もし、担当医師が一人に30分もかけて診察していたら5~6時間も待たなければいけないとは考えませんし、医師を増やし、その分健康保険料を今の10倍出してもよいとも思わないのですから、他人のことは言えませんが。
 結局は刷り込まれたステレオタイプで判断するのが楽ということなのかもしれません。生産的ではありませんが。

 

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