ゆきちゃん通信++日記++

自閉症の娘、由紀子の毎日を
母親(tomi)の目を通してお伝えします。

音楽療法 4 (自閉症の特性46)

2016年05月31日 | 自閉症の特性
先日、H崎先生とランチをした時に
最近の音楽療法について話を聞きました。

ゆきちゃんには聴けない曲がいっぱいあるのだけれど
「その曲が嫌いなのだ」という事を
パニックとか自傷行為ではなく
冷静に相手に伝えることができるようになって欲しいと
思いながらレッスンをしている。
だから、「嫌いだ!」とゆきちゃんが言えたときには
ちゃんと言えたことを、すごく誉めるようにしている。

ゆきちゃんにとって、音楽は
自分の気持ちを伝える
コミュニケーションの手段になると思う。




先生のその思いのおかげで
由紀子が成長した姿が日記の中に残っていました。

「ドキドキするの!」

S子先生(Tさん)がピアノを弾いてくれた時
大好きな曲だったので、
聴いている途中で、ドキドキしてしまった由紀子が
ちゃんと「ドキドキするの!」と言って
曲を止めてもらったという話です。


自分の気持ちを意識できて
それを冷静に相手に伝えることができました。


他の場面では
まだまだパニックや自傷行為で
嫌いな曲などに反応することがありますが
H崎先生とのレッスンでは
ちゃんとできるようになっています。

これが、もっと積み重なれば
自分の気持ちを人に伝えられるように
なるかもしれませんね!?


ゆきちゃんとのレッスンは
まるでイントロクイズのようになることが多いです。
本当にたくさんの曲を知っていて
3音ぐらいで当てられてしまいます。
音楽療法の仲間にゆきちゃんの話をすると
みんなにびっくりされます。(笑)


由紀子に曲選びをさせる時に
ついついやってしまうのが・・・

「この曲は?」

「嫌いなの!」

「あぁ、ダメか…!」


「じゃぁ~、これは?」

「嫌いなの!」

「これもダメか…!」


「嫌い!」イコール「ダメ!」
と、言うような表現をしてしまいがちです。


でも、それをやってしまうと
由紀子は自分を否定されていると思って
ストレスを感じて不安定になってしまいます。


そこで先生は、
由紀子には聴けない曲がすぐに解る事を逆手にとって
イントロクイズの形で当てさせて
当たると本気で喜んで誉めてくれます。

そうやって、由紀子に自信を
つけてくれているのだろうと思います。


正直、母から見ても
由紀子はすごく音楽療法がやりにくい子だと思います。


機嫌が悪い日は、何もできないこともあります。

もっとひどい時には
泣き叫んで、ピアノを叩いたり
先生に殴りかかったこともあると思います。


それでも、いつも由紀子に寄り添ってくれて
由紀子の一番難しいこだわりである音楽で
ずっと繋がってくれている先生に
心から感謝をしています。


先生が最後に言われていたことは・・・

一つだけ残念な事があります。
昔はゆきちゃんの歌声をたくさん聞けたのに
最近は、本当にまれにしか歌ってくれなくなりました。

でも・・・
これは。ゆきちゃんが大人になった
という事なのかもしれませんね?


確かに!!(笑)

昔はコンサートをやりたいね?!
と、冗談でいう程
いろんな歌を唄っていましたっけ・・・

人に歌って聞かせることも好きでした。(笑)

最近は、お気に入りのフレーズだけを唄う事はありますが
一曲全てを唄う事は少なくなりました。


やっぱり、あの頃
コンサートをやっとけばよかったかもですね?!
o(〃^▽^〃)oあははっ♪


大人になっていく由紀子の音楽療法は
これからどんな形に変わっていくのでしょうか?

母は楽しみにしています!!

=END=
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音楽療法 3 (自閉症の特性45)

2016年05月30日 | 自閉症の特性
由紀子が学校にも行かず、家に籠るようになって
いろんなことができなくなりました。

そんな中で、音楽療法も諦めかけた母ですが
やっぱり諦めきれなくて・・・


そんな時、H崎先生が
ゆきちゃんが来れないのならば
大村でレッスンをしましょう!

と、言ってくださって
お友達の教室を借りて
レッスンを再開してもらえることになりました。


8月に新しい教室の下見に
由紀子を連れて行きました。

少しずつ立ち直ってきているとはいえ
まだ大きなパニックが続いていたので
新しい教室にどんな反応をするのか心配!!
(⌒-⌒;)ドキドキ・・・

でも、最初こそ拒否をしていましたが
最後には歌を唄う事ができました。

"(σ・ω・`*)嬉シスギル....

なんとか由紀子が新しい教室を
受け入れてくれそうなので
9月からレッスンを再開することになりました。


そして、再開の日!

以前と同じように
母はレッスンには参加しませんでした。

でも、母がレッスンの様子を気にしているだろうと
H崎先生がその日の夜に
メールで様子を知らせてくれました。

・・・H崎先生からのメール・・・

はじめは環境を確かめている様子でした。 
ピアノを見たり。。。 
蚊にかまれて、(4カ所も)
かいてくれといって私の手を持ってカキカキ。。。 
赤くなっていました(笑) 
 
私やTさんがピアノを弾くように促しますが、
『弾かない!』と言ったので、そ~っと様子を観察していました。 

私がグランドピアノの下に潜り込み、
カリンバで音を出してみました。
 
音に気づいてくれましたが自分で演奏はしません。
 
しばらくそのまま様子観察

すると突然『トイレ』と立ち上がりました。 
トイレに自分で行って場所を確認。 
用を済ませると手を洗って部屋へ戻り、
自分でピアノのふたを開け一つずつ音を確かめるように弾き始めました。
 
『チョップスティック』の曲も自分で弾き始めました。 
Tさんと二人で、目を合わせて笑顔をかわしました。 
 
読売新聞のフレーズを思い出したようで(笑)
繰り返しオクターブ(下から上へ)繰り返し弾いていました。
 
音のたかさでピンと来た(原曲と一致した)
高さのところを見つけたようです。 

一瞬『うん???』と手がとまりました。 
(私はこの原曲を聴いたことがないので、
是非是非聞いてみたいと思いました。) 

 
それからいくつかのフレーズを弾いていました。 
いつものような即興もできました。 

(今回は用心深く接し、
由紀ちゃんが一人で弾くことに徹そうと思ったのですが、 
由紀ちゃんが私の手を持って弾くように催促する場面もありました。
私自身の方が驚きました。) 
 
しばらくピアノを弾くと自分で蓋を閉めピアノは終了。
 
『すごいね由紀ちゃん。ピアノ弾けたね』
とTさんからもほめられて嬉しそうでした。 
 
『こっちにおいで』
と持って行った楽器の方へ誘うと
自然に楽器遊びを始めました。
 
Tさんとも一緒に手作りのビリンバウで音を変化させて
『びよよ~~ん』♪ 
ディジュリドゥも『ぶ~~~ぶ~~~』と
お互いに響かして楽しみました。 

そんな中お母さんが戻ってこられました。 



Tさんとは、教室を貸してくださった
ピアノ教室の先生です。

Tさんが時間がある時は
一緒にレッスンに入ってくださるので
由紀子一人に先生が二人という
何とも贅沢な音楽療法となりました。(笑)


この日の日記の終わりに
母はこう書いています。


大村に引越しをして来て、
今まで積み重ねてきたものが一度に崩れてしまいました。 
それはとてもつらくて悲しいことでした。
でも、こうしてまた崩れてしまった積み木も
もう一度積み直すことができることを実感することができました。 
本当にうれしいです。 
 
今度は簡単に崩れないように
丁寧に一つずつきれいに積み重ねて行こうと思っています。



この日は9月2日!
学校も二学期になっていました。

学校側が由紀子の為にケース会議を開いてくれて
個人プログラムを作って
特別な支援が始まりました。

おかげで、由紀子も新しい環境を
少しずつ受け入れられるようになって
学校でも笑顔が増えました。



でも、一度始まった強度行動障害は
そんなに簡単には治りません!


PMSの時期など大荒れで
音を受け入れられなくなるので
H崎先生は大変だったと思います。


調子が悪くてレッスンに参加できない時は
グランドピアノの真下に由紀子を寝かせて
静かな曲を弾いてくださっていたと聞きました。

由紀子は静かに目をつぶって
その音楽を全身で受けていたのだそうです。

どんなに荒れた日でも
由紀子は音楽療法に行くのを嫌がりませんでした。

それは、H崎先生が
どんな状態の時でも
丸ごと受け止めてくれるからだと思います。


それは、あの現川で
闘いながら作り上げた
二人の信頼関係のおかげだと思います。(笑)



さっき、母の日記からの抜粋の言葉の中に

今度は簡単に崩れないように
丁寧に一つずつきれいに積み重ねて行こうと思っています。
 

と、ありましたが・・・

この後も、何度も積み木は崩れてしまうんですよねぇ~~! 
(ー_ー;)ゞぽりぽり


高等部で再び大荒れの生活になって
一年で退学したり
自傷のせいで網膜剥離を起こしたり
そのせいで大好きだった施設に行けなくなったり


その度に由紀子はどん底に落ちてしまうのですが・・・

立ち直る最初の一歩は
いつも音楽療法の再開だったような気がします。



正直、私はレッスンに参加しないので
音楽療法の様子はよく分かりません。

母がたまにレッスンを見学しようとすると
「お母さんはダメなの!」
と、由紀子に拒否されてしまいます。
(ー_ー;)ゞぽりぽり



だから、時々
先生にレッスン中のエピソードを
教えてもらうくらいです。

でも、それでいいのかもしれないと
思っているんです。

H崎先生との時間は
由紀子の大事な時間ですから!!(笑)

母は知らなくてもいいのだと思います。


ちょっと淋しいけどね…!!
( ̄▽ ̄;)アハハ…


次回は先日、久しぶりに
H崎先生とランチをしながら聞いた
最近の由紀子との音楽療法について書こうと思います。

あぁ・・・
由紀子の日記も書かなくっちゃね!!(笑)

=END=
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音楽療法 2 (自閉症の特性44)

2016年05月29日 | 自閉症の特性
昨日の続きです。

由紀子は長崎から大村へ引っ越しをして
養護学校の中学部へ入学をしました。

それから2か月ほどして
連日大きなパニックを
起こすようになりました。

環境の変化が引き金になって起きた
強度行動障害の急性期というやつです。

今だから、冷静にそんな言葉で書けますが
当時は、目の前で荒れ狂う由紀子の姿に
絶望しかありませんでした。


その大変な日々の始まりの前に
由紀子のSOSともいうべき言葉が
2005年4月の
音楽療法の日の日記の中にありました。

今回、この記事を書く為に
日記を読み返して
母も初めて気が付きました。
( ̄□ ̄=)ハッ!


ちょっと話が横道にそれるかもしれませんが
書き留めておこうと思います。


この日は、引っ越しをしてから
初めての音楽療法の日でした。

大村から現川までJRで行きました。

学校に迎えに行って
現川の教室へ行ったのですが

この日、学校では小さなトラブルを
たくさん起こして
先生方を困らせていた由紀子ですが

音楽療法では
機嫌よくレッスンを受けることができました。

・・・日記からの抜粋・・・

現川では久しぶりにピアノに触って
いろんな曲を即興で弾いたようです。 
楽譜なしで由紀子の感性で鍵盤を叩いて曲にします。 
その中で、自分が知っている曲の音を拾いながら弾いたり・・・
本当に楽しかったようです。 
 
でも、ここでも小さな事件がありました。 
レッスンが終わって帰る準備をしている時です。 
由紀子が「おうちに帰ろう!」といった後に、急に涙ぐんだのです。
 
最初は訳がわからなかったのですが、
「どうしたの?」の問いに涙を流しながら
「N町市場のお家!」
由紀子がそういいました。 
 
N町市場のお家・・・それは長崎の家です。
「N町市場前」というバス停を利用していたので
由紀子はそう表現したのです。 

現川から帰ることを考えた時に一瞬、
長崎に帰ると間違ってしまったのでしょう。 
胸が痛くなりました。
 
今由紀子の頭の中にはどんな思い出が
よみがえっているのでしょうか? 
友達のこと、学校のこと・・・
楽しかった2年間でしたからね。 
 
でも私は、
「大村の家に帰ろうね!」
としか言ってやれません。
 
もう、始まってしまった新しい生活に
馴染んでいくしかないのですから・・・。 
由紀子もその後、すぐに立ち直って元気になりました。 
きっと由紀子にもわかっているはずです。 


・・・ここまで・・・

「N町市場のお家」と言ったのは
間違えた訳ではなかったと
今は思います。

会話が苦手な由紀子が

「今の生活は辛いから
長崎の家に戻りたい!」


と、必死に訴えていたのだと思います。

音楽療法はいつもの場所で
いつもの先生と
いつものように楽しかった!

だから、他の生活も
いつもと同じにして欲しかったのでしょう。


長崎の家に戻ることは無理でしたが
由紀子が今の環境に適応できていないことを
もっと重く受け止めてやるべきでした。

この頃の日記を読むと、
自分の都合のいいように全てを解釈して
由紀子の気持ちを置いてきぼりにしていることに
心が痛みます。


この後、由紀子は
学校でも家でも暴れるようになって
最後はうつ状態になってしまいました。

感覚が過敏になって
光も音も受け入れられなくなり
学校にも行けず、
家の中にこもって
薄暗い部屋で、無音の生活をするようになりました。

外出もできなくなったので
音楽療法も無理になりました。


もう、これで音楽療法も終わりかも…


母はそう思っていたのですが
H崎先生は由紀子が立ち直るのを
待っていてくれました。


5か月後
由紀子はやっと学校へ行けるようになりました。


でも、強度行動障害は残ったままで
JRにも乗れないので
現川の教室へは行けませんでした。


すると・・・
由紀子が現川まで来れないのならば
先生が大村に来ると言ってくださって

大村市のお友達の教室を借りて
音楽療法を再開してくれました。


再開した音楽療法の様子は
次回へつづきます。

=END=
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音楽療法 (自閉症の特性43)

2016年05月29日 | 自閉症の特性
音楽へのこだわり その4の終わりで
音楽療法のH崎先生に話を聞いて
その5を書くと約束をしました。

それで昨日、H崎先生に時間を作っていただいて
一緒にランチをしてきました。

久しぶりにゆっくり先生と話ができて
本当に楽しい時間でした。

話をする間に
いろんな思い出が蘇ってきたので
これから数回に分けて
「音楽療法」について書いてみようと思います。


由紀子の音楽療法が始まったのは
2003年の8月でした。

今日もH崎先生と
13年も経ったんですねぇ~!?
と、しみじみしてしまいました。(笑)

私は、その頃の日記に

「音楽は一人で楽しむものだけではなく、
人と楽しむ事もできると由紀子に知って欲しい。 
会話はうまくできなくても、
音楽で人と心を通わせる事ができたら・・・。 
そんな思いでレッスンをお願いした母です。 」


と、書いています。

その頃、音楽へのこだわりが出てきて


音楽の教科書に載っている曲が
自分の知っているキーと違うと言って
パニックになったり!

人と一緒に歌ったりするのを嫌って
自分一人で歌いたいと言ってパニックになったり!

音楽の授業などに支障が出ていました。

それで、知人にH崎先生を
紹介してもらってレッスンをお願いすることになりました。


音楽療法を始めたばかりの頃は
教室に連れて行っても
先生とのレッスンを拒否して
ピアノにすら触ろうとしなくて・・・


でも、先生が部屋を出た途端に
ピアノを引きはじめたりして・・・(笑)

その頃の由紀子です。


母が側にいると甘えて
先生との関係ができないと思ったので
レッスンは母抜きでお願いをすることにしました。

その当時、教室が現川(うつつがわ)という
山に囲まれた場所にあって
レッスンの間、母はカメラを片手に
自然の中を散策していました。


そこへ、響いてくるのが
由紀子の泣き声と叫び声!!

きーーーーーっヾ(*`Д´*)ノ"彡☆


(ノ_-;)ハア・・・



・・・日記から抜粋です。・・・・

今日から私は別の場所でレッスンが終わるのを待つことにしました。
先生には「闘ってください!」
そうお願いをしました。(笑) 

「闘う!」・・・たぶんその意味はすぐに
わかって頂けたと思います。 


レッスンを始めてすぐに
由紀子の叫び声が聞こえてきました。 

「やだ~!ピアノは嫌いなの!!」
「○○の歌はきらいなの~!」 

先生も必死に由紀子とコミュニケーションを取ろうと
がんばってくださっていますが、
最近の由紀子はそう簡単には心を開きません。
 
「お母さんはどこ?お母さんを探しに行く~!」
 
ピアノを開く事さえ拒否してピアノをがんがん叩いています。 

久々のパニック状態! 
何度か部屋に入ろうかと思いましたが
今日は先生に任せよう・・・
そう思いとどまって外で腕を組んでじっとがまんをしました。


・・・ここまで・・・・

こんなに大暴れをしたのに
帰りの列車の中では笑顔で
「今日はたのしかったねぇ~?」
と、いう由紀子さんでした。(笑)

その笑顔を見て
きっとうまくいく!
そう確信をしていた母でした。


そんな事を何度か繰り返して
H崎先生は由紀子との関係を作ってくださいました。

本当にあれから13年です。



由紀子の音楽療法は
音楽を楽しめるようになることを
目的としているので
毎回レッスン内容が変わります。

一緒にピアノを弾いたりもしますが
由紀子が一本指で引くメロディーに
先生が伴奏を付けてくださったり

由紀子が耳コピーした曲を
ピアノで弾いたりします。


学校でドラムを連打していると話すと
ジャンベという太鼓を持ってきてくださって
一緒に叩いて、リズム遊びです。


由紀子が骨振動を好むことを
見つけてくれたのも先生でした。

これもディジュリドゥという楽器なんですよ!(笑)

耳骨に直接、音の振動が伝わってくるこの楽器が
由紀子のお気に入りになりました。


先生のおかげで由紀子は
音楽の楽しみ方をたくさん知ったと思います。

小学校の5年生の時には
H崎先生が学校に来てくださって
担任の先生と交流学級の先生と一緒に
音楽のセッションをしてくれたこともありました。

二人の先生とも音楽が好きで
教室にドラムセットやギターが
置いてありました。

由紀子にとって、一番音楽に恵まれた年でした。



小学5年生から始めた音楽療法でしたが
養護学校の中学部へ入学する為
私たちは長崎から大村へと引っ越しをしました。

引越しをしても音楽療法は
続けるつもりでいました。

しばらくは大村から現川の教室へ通っていたのですが・・・

中学部一年の時に
環境の変化と思春期の嵐で
由紀子は大きく変わっていきました。

強度行動障害の急性期でした。

車での移動もできなくなって
現川まで連れて行けないので
音楽療法は一時期休むことになりました。


次回へ続きます。


=END=
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音楽へのこだわりについて その4 (自閉症の特性42)

2016年04月29日 | 自閉症の特性
今日は我家ではどのようにして
由紀子のこだわりと折り合いをつけているのかを
書きたいと思います。


由紀子は聴けない音楽がいっぱいですが・・・

困ったことに音楽番組が好きです!(笑)


もちろん、途中で苦手な曲が流れると
耳を押さえて消してくれと
叫んでパニックになります。

なので、基本的には音楽番組は全て
録画してから見せるようにしています。



由紀子が騒ぎ出したら
迷わず早送りをしてその曲を飛ばしてしまいます。


でも、由紀子が苦手でも
母や家族が聴きたいと思っている曲もあります。

その為にも録画をしておけば
由紀子がいない間に聴くこともできますからね!?(笑)


これは、ものまね番組の時もそうです。
ものまねは昔流行った曲が使われることが多いので
要注意です。



でも、最近は早送りをしなくても
音を消すだけでも大丈夫になったので
調子の良い時期は、
リアルタイムで観ることも増えました。


その日の気分によっては、ほとんどの曲を
ミュートにされることもあるのですが・・・

音無しの、口パクだけの音楽番組程
面白くないものはありません!(笑)



それと、時々スペシャル番組で
アニメの曲を短く流してランキングの発表を
するような番組がありますが

曲が一部しか流れないと理解すれば
普段は聴けない曲も楽しそうに聴いています。

そんなタイプの音楽番組が楽でいいです!(笑)



それと、音楽番組を観たり
CDを聴いたりするときには

自分の苦手な曲が流れたら
すぐにミュートにできるように
由紀子にリモコンを持たせるようにしています。



以前、心理の先生に
由紀子の音楽へのこだわりについて相談をした時

由紀子は、音楽が自分の支配下にあれば
大丈夫なのかもしれない!

と、アドバイスをもらったことがあります。


自分が聴きたくないと思っていても
上手く相手に伝わらないし
伝える前に曲は容赦なく流れてくる・・・

だから、他人が主導権を持っている状況は
不安で仕方がないけれど

自分がコントロールできるような
状況を作ってやれば、安心する!

と、いう事だと母は理解しています。


さいわいな事に、由紀子は
機械の操作は得意なので
ミュートも早送りも難なくやってのけてます。(笑)



他は・・・
外出の時ですが

店のテーマ曲が流れるスーパーには
連れて行きません。

繰り返し流れるので、由紀子は覚えてして
パニックになる可能性が大きいからです。


野球の優勝が決まった頃の
大手スーパーも危険です!(笑)



スーパーでのパニックは最悪です!
周りの人の目・・・
あの状況にはどうやっても慣れません!(汗)




それと、パチンコ屋さんの前は
由紀子とは歩いて通らないことにしています。(笑)

防音がしてあるので、
扉が閉まっている時は静かですが

扉が開いた途端に、
一気に音が流れ出してきます。



小さな頃、その瞬間に
何度か由紀子に手を振り払われて
逃げられたことがあります。

パチンコ屋さんは危険です!
(||゜Д゜)ヒィィィ!


母は、由紀子と一緒によく歌を唄います。

それは、合いの手を入れたり
リズムをとって、伴奏を口ずさんだり・・・
いろいろな方法で一緒に音楽を楽しむのですが、


由紀子と音楽を楽しみたいときは

由紀子がどのフレーズを好きかを
知っておく必要があります。

そして、そのフレーズ以外は
絶対に歌わないという信頼を得ることです。(笑)


要は、すべて信頼関係が必要なのかもしれませんね・・・

この人は、自分が嫌だという曲を
無理やり聞かせることはしない!

その信頼を得られれば、
ちょっと気に触るような歌を
口ずさんでしまっても
ごめん!ごめん!と笑えば
許してくれます。




あぁ・・・対処法を書くと言いましたが
まとめるのがとても難しいです。
(A;´・ω・)アセアセ

他にも無意識のうちにやっていることが
あると思うのですが・・・
今は思い浮かびません!





母以外に、由紀子の音楽へのこだわりを
見守り続けてくれている人が
もう一人います。(笑)

音楽療法のH崎先生です。


次は先生がどうやって音楽療法をされているのか
取材をしてから書こうかと思います。(笑)

少し時間がかかると思いますが
必ず書きます!!


=END=
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