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ローマ人への手紙

2018-01-30 11:36:01 | 日記
<ローマ第15章16章>
あとがき(15・14-16・27)
頌栄(16・25―27)
25.願わくは、わたしの福音とイエス・キリストの宣教とにより、かつ、長き世々にわたって、隠されていたが、今やあらわされ、預言の書を通して、永遠の神の命令に従い、信仰の従順に至らせるために、もろもろの国人に告げ知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを力づけることのできるかた、
27.すなわち、唯一の知恵深き神に、イエス・キリストにより、栄光が永遠より永遠にあるように、アァメン。

ただ一つの真理は「人間は神の子である」ということです

2018-01-30 10:00:20 | 日記
この世界は人間の心の所現であり、
幸も不幸も
病気も健康も
失敗も成功も
心が創る世界です。
でも実在(実相)においては
人間は本来神の子であり、
神の国に住んでいるのです。
だから真実の存在である実相(神の子)を
一人一人が自覚しさえすれば、
神の子・神の国が
現象に展開され、
地上天国が実現する。
これを伝えるために
谷口雅春先生は世に出たのです。
ただ一つの真理は
「人間は神の子である」ということです。

「そのままの心」を大切にすべし

2018-01-30 09:29:37 | 日記
「そのままの心を大切にすべし」の“そのままの心”
というのは、
実相の心、つまり神の心をいうのであって、
円満完全大調和の「神の心」のことであり、
痛し痒しの現象の心とか恐怖心のことではありません。
今感じたり思ったりする現象の心と
“そのままの心”とはちがうのです。
“そのままの心”とは
神の心ということですから、
神の心、神のコトバ、神の理念つまり実相の心ということです。
人間は神の子なのですから、そのままの心が自分の本当の心です。
(参考 大聖師御講義『続々甘露の法雨』谷口清超編纂 日本教文社 )
【生長の家では“そのまま”という言葉をよく使うのであります。「即心是仏」なんていう仏教の語(ことば)や「即心即仏」という仏教語がありますが、これは、即心是仏すなわち「そのままの心、是れ仏である」また「そのままの心、そのままに仏である」という意味であります。神様の心“そのまま”が、そのまま仏であり、その仏の心が現われたならば、「悪いもの」は一つもないということになります。これが此の聖経『続々甘露の法雨』にありますところの“全ての不幸と悲惨とは神の所造に非ざるなり”ということでありまして、全ての不幸も悲惨も、“そのままの心”-すなわち神様の“そのままの心”が現われないから起るのでありまして、“そのままの心”が現われている世界には、其の不幸も悲惨も決してないのである。なぜなら「悪いもの」は神様は創らないのでありますから、戦争があろうが病気があろうが或いは強盗があろうが殺人があろうが、若し「悪いもの」が現(で)て来たら、それは皆神様の責任ではない、“そのままの心”が現われていない、われわれの我の“迷いの心”があらわれているのであるというわけなんです。】