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ローマ人への手紙

2018-01-07 15:31:45 | 日記
<ローマ第15章>
キリスト者の倫理(12・1-15・13)
愛における一致(15・1―13)
1.わたしたち強い者は、強くない者たちの弱さをになうべきであって、自分だけを喜ばせることをしてはならない。
2.わたしたちひとりびとりは、隣り人の徳を高めるために、その益を図って彼らを喜ばすべきである。
3.キリストさえ、ご自身を喜ばせることは、なさらなかった。むしろ「あなたをそしる者のそしりが、わたしに降りかかった」と書いてあるとおりであった。

現象我を実相我(実相のわれ)に転ずべし

2018-01-07 11:21:08 | 日記
現象心は人間心だから
心配する心であり、
因果律に支配される心だ。
実相心は「神の心」だから
円満完全の実相の心だ。
真理の勉強をしていても
実相を分った気になったり、
現象につかまれて
あれこれ心配したりする。
でも聖典を読み四部経を継続的に読み、
神想観に習熟し、
実相を観ることが熟達してくると、
実相を本気で信じられるようになる。
「神の心」が顕われるようになる。
そうなると
一切心配事は消失し、
万事喜びの世界が続出してくる。
これが「生命の実相」というものだ。
一発で現象我が実相我に換わるなんてことがなくても、
次第に行くやり方であっても、
行けば、着ければよいのである。

“実相あるがまま”の意味

2018-01-07 10:57:22 | 日記
『正法眼蔵を読む』に
あるがまま、ということについて
書かれていた。
「人間がいくらさとっても、当り前のことが当り前に行われるのであって、そのままが仏だというのである。」
現象は実相の展開であるから、
実相あるがまま、
ということである。
健康であろうと病気であろうと
現象は実相の展開だ(実相の不在も含めての話)。
ただ病気や不幸は
実相の心に
自分の現象の迷い心が付加したものであるから、
実相のレンズに自分の心のレンズを切り換えれば良いのであって、
そうすれば現象の不幸や病気も
消えていくのである。
「現象は実相あるがまま」を知った上で、
現象心の迷いのレンズを
「神の心」しかないんだという真理に
置き換えることである。

やっと出始めた実相の喜び

2018-01-07 09:35:11 | 日記
昨日の夜
「実相は即ちわれ、われ即ち実相」と
丸ごと念ずる神想観をしました。
この観の仕方は
生命の実相の第8巻に書かれているとおりですので、
安心してできます。
今朝起きたら、
この方法で
自分が神(実相)であることを観じることができるなんて
最高に幸せなことだ、
と感じました。
今まで
実相の真理探究一筋に生きてきたことが、
何と幸せなことだったかと
しみじみ思いました。
そのことしか興味関心もなかったのですが、
実際に真理を追究してきたので、
最高に幸せだったわけです。
今後実相に属する喜びごとが
どんどん出てくるような
気がしております。