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全てのものは神のコトバであり、生命の有意味的波動である

2018-01-27 19:41:00 | 日記
万物は神のコトバであり、
神のいのちの振動である。
しかもそれは空なるものであり、
本当は無いのである。
でも目には見えないが
神のコトバ自体は
核として存在している。
素晴らしい箇所があった。
(参考 大聖師御講義『続々甘露の法雨』谷口清超編纂 日本教文社 p69)
【キリスト教では、「神はコトバである」ということがヨハネ伝の第一章に書かれておるのであります。】
【そこに、神ということに就いて、
「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、万(よろず)のものこれに由りて成り、・・・・」
と、書かれているのであります。太初というのは事物の根源です。本源というのは“もののはじめ”という意味です。“事物の太初”即ち“事物の生ずる本源”は、コトバであると書かれているわけです。先刻(さっき)申上げました通り、コトバというのは、生命の有意味的波動であり、心の響き、心の震動であります。神様は、宇宙に充ち満ちている大生命であり、その生命の有意味的動きが“心”であり“コトバ”であって、その心が動いてコトバとなれば、「一切の現象展開して万物成る」と、いうのでありまして、全てのものは神様の生命が動き出してそれがコトバとなったら、其れが形に現われてくるという順序であります。】


ローマ人への手紙

2018-01-27 18:35:59 | 日記
<ローマ第15章16章>
あとがき(15・14-16・27)
勧告(16・17―20)
17.さて兄弟たちよ。あなたがたに勧告する。あなたがたが学んだ教にそむいて分裂を引き起し、つまずきを与える人々を警戒し、かつ彼らから遠ざかるがよい。
18.なぜなら、こうした人々は、わたしたちの主キリストに仕えないで、自分の腹に仕え、そして甘言と美辞とをもって、純朴な人々の心を欺く者だからである。
19.あなたがたの従順は、すべての人々の耳に達しており、それをあなたがたのために喜んでいる。しかし、わたしの願うところは、あなたがたが善にさとく、悪には、うとくあってほしいことである。

「物質無」を常時根底に置く

2018-01-27 10:03:16 | 日記
「物質はない」を説かないと
生長の家の教えになりません。
生長の家のみ教えは
「物質無」に始まり
「物質無」に終わる。
「物質無」ということは
「肉体無」ということと同じです。
でも「肉体無し」であっても
私は病院で治療もし、
薬も服んでいます。
それは何故かというと、
「物質無」の真理は
なかなか難しいからです。
「物質無」の真理が完全に体得されれば、
病気や不幸等から癒されるというか、
そういうものが消えるのですが、
そのような心境になるまでは
病気の人は医療は受けるしか無いです。
でも「肉体無し、現象なし、心も無し、実相あるのみ」が
生長の家のみ教えの根幹ですから、
このことが貫かれていないと、
生長の家のみ教え〔での〕救済は
不可能になってしまいます。
いつもいつもこのこと(肉体無、現象無、心の無、実相独在)を
踏まえているべきです。