万物は神のコトバであり、
神のいのちの振動である。
しかもそれは空なるものであり、
本当は無いのである。
でも目には見えないが
神のコトバ自体は
核として存在している。
素晴らしい箇所があった。
(参考 大聖師御講義『続々甘露の法雨』谷口清超編纂 日本教文社 p69)
【キリスト教では、「神はコトバである」ということがヨハネ伝の第一章に書かれておるのであります。】
【そこに、神ということに就いて、
「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、万(よろず)のものこれに由りて成り、・・・・」
と、書かれているのであります。太初というのは事物の根源です。本源というのは“もののはじめ”という意味です。“事物の太初”即ち“事物の生ずる本源”は、コトバであると書かれているわけです。先刻(さっき)申上げました通り、コトバというのは、生命の有意味的波動であり、心の響き、心の震動であります。神様は、宇宙に充ち満ちている大生命であり、その生命の有意味的動きが“心”であり“コトバ”であって、その心が動いてコトバとなれば、「一切の現象展開して万物成る」と、いうのでありまして、全てのものは神様の生命が動き出してそれがコトバとなったら、其れが形に現われてくるという順序であります。】
神のいのちの振動である。
しかもそれは空なるものであり、
本当は無いのである。
でも目には見えないが
神のコトバ自体は
核として存在している。
素晴らしい箇所があった。
(参考 大聖師御講義『続々甘露の法雨』谷口清超編纂 日本教文社 p69)
【キリスト教では、「神はコトバである」ということがヨハネ伝の第一章に書かれておるのであります。】
【そこに、神ということに就いて、
「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、万(よろず)のものこれに由りて成り、・・・・」
と、書かれているのであります。太初というのは事物の根源です。本源というのは“もののはじめ”という意味です。“事物の太初”即ち“事物の生ずる本源”は、コトバであると書かれているわけです。先刻(さっき)申上げました通り、コトバというのは、生命の有意味的波動であり、心の響き、心の震動であります。神様は、宇宙に充ち満ちている大生命であり、その生命の有意味的動きが“心”であり“コトバ”であって、その心が動いてコトバとなれば、「一切の現象展開して万物成る」と、いうのでありまして、全てのものは神様の生命が動き出してそれがコトバとなったら、其れが形に現われてくるという順序であります。】