今日も駅前まで歩き、
ファミリーマートの2階の休憩所で勉強して
歩いて帰る途中で思った。
俺が今歩いているのは
肉体が歩いているというよりも、
「いのち」が俺を歩かせているんだ、
つまり、
「いのち」が歩いているんだ。
「いのち」というのは「神の子」なんだ。
「神のコトバ」と云ってもいい。
だから、
肉体のことを気にするのは、
馬鹿らしいことなんだ、と。
聖経『続々甘露の法雨』には
病気や症状のことを
ボロクソと言える感じで書かれているが、
実相独在の立場からいえば
そんなものなんと思う。
ファミリーマートの2階の休憩所で勉強して
歩いて帰る途中で思った。
俺が今歩いているのは
肉体が歩いているというよりも、
「いのち」が俺を歩かせているんだ、
つまり、
「いのち」が歩いているんだ。
「いのち」というのは「神の子」なんだ。
「神のコトバ」と云ってもいい。
だから、
肉体のことを気にするのは、
馬鹿らしいことなんだ、と。
聖経『続々甘露の法雨』には
病気や症状のことを
ボロクソと言える感じで書かれているが、
実相独在の立場からいえば
そんなものなんと思う。