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ローマ人への手紙

2018-01-16 11:50:36 | 日記
<ローマ第15章16章>
あとがき(15・14-16・27)
パウロの伝道方針(15・14―21)
20.その際、わたしの切に望んだところは、他人の土台の上に建てることをしないで、キリストの御名がまだ唱えられていない所に福音を宣べ伝えることであった。
21.すなわち、
「彼のことを宣べ伝えられていなかった人々が見、聞いていなかった人々が悟るであろう」
と書いてあるとおりである。

基本的神想観は自己治療に有効

2018-01-16 11:12:25 | 日記
かつて私は
神想観で
体の良くない場所を治そうとしていると、
ある講師の先生に言ったら
「それは邪道です。そういう考えをすぐやめなさい」と
叱られたことがあった。
30年も昔の話しだ。
でもこれは邪道でもない。
確かに神想観の目的は実相を顕わすことが目的なのであるが、
実相というものは、
実相の不在である(病気や人生苦一般)も
消滅させるのが当然だ。
だから谷口雅春先生のご著書には
病気を扱ったものが沢山あるし、
先生は「どうしたら自分を治せるか」という本も
書かれておられる。
基本的神想観については
生命の実相第8巻の「無限生命に汲む道」に
くわしく書かれているが、
まるで病人に対して書いているみたいだ。
これは何故かと言えば、
病気は“実相の不在”それ自身であるから、
神想観で実相を観ると云うこと自体が
病気を治すこととも同じだからだ。
勿論生命の充実は
実相にあるたくさんの御徳の
一つであるに過ぎないが・・・。
さて、基本的神想観は奥深いので、
修練を重ねて
霊的な実相を念ずる観へと
質的向上していく必要がある。
そうなると
「神の無限の生かすちから、
自分のうちに流れ入る流れ入る」と
神の無限の生かす力(息=生き)が鼻から全身に満ち渡るという所で
霊的治療が行われるのである。
この時、
神想観が深まり霊的になっている度合が強いほど
自己治療の効果は顕著である。
私が言いたいことは
基本的神想観を忠実に実行することによって
実相を顕わすことを第一目的としながら、
同時に
自己治療に役立てることは
素晴らしいことになると
いうことである。
実相が顕われてくるときには
自懐作用を伴うことはよくあることだから
この自懐作用対策としても
基本的神想観は大切だ。

“神の子”の自覚がもてる時が実相顕現の始まり

2018-01-16 10:35:58 | 日記
自分は“神の子”なんだと、
自覚できるようになってくると、
万事好転に向かってくる。
日常的に
自分は神の子なんだと思えずに
でも「生命の実相」を
時々読む人はいっぱいいる。
また自分が神の子だと
頭だけの理解で
人類光明化運動をしている人も
大勢いる。
それが間違っているわけでもない。
でも生命の実相のお蔭が現象的に現われ始めるのは、
自覚的に「自分は人間の姿をしている“神の子”なんだ」と
人間我が神我に
いつの間にか変っていることに気づく時からである。
「生命の実相」の第何巻だったか覚えていないが、
ある信者がどこかで誰かに靴をにまちがえられて履かれていってしまい、
「くつかえられた」ことが
人間我が神我に「くつがえられた」ということの象徴と観る
すごい印象的な箇所があったが、
三正行の継続は
いつかそのように
自分は神の子なんだという日常的な自覚に
なっていくものなのだ。
でも
真理についての徹底した追及と
『甘露の法雨』を含む『四部経』の徹底読み、
さらに愛行が欠かせないと私も思う。
いずれにしても
この三つの根本行を継続して行けば、
誰でも
必ず実相顕現の目標へと達するであろうことは
間違いない。