○池田大作・創価学会の真実……原島嵩・日新報道<¥1429-購入>
誰も書かなかった池田大作……創価学会の真実
曰本に君臨する男・池田大作の正体
宗教界を冒浣する教団・組織の実態
会則変更で学会員を「池田教」へ洗脳
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◆公明党の陰謀「二階堂擁立劇」
連合・連立でもっとも政府首脳の心胆を寒からしめたのは、昭和五十九年秋の「二
階堂擁立劇」でした。
周知のように二階堂進は「趣味は田中角栄」と公言してはばからなかった人物。田
中角栄と創価学会・公明党の癒着は、昭和四十三年ごろの「田中金脈問題と学会の税
金問題を取引材料」にして以来のことです。両者の密着ぶりが露呈されたのは言論出
版妨害事件の時です。田中角栄はその時、藤原弘達氏が「ところで、あんたは、池田
大作とも親しいの」と聞いた時、「ああ、あれとはツーカーだよ。彼の家にも行った
ことがある。絵ももらつたことがある」と答えています。それ以後も太いパイプでつ
ながっていたことは、昭和五十九年十月二十八日の田中─二階堂のやりとりのなかで
田中の「竹人や池田は、オレが電話すれば一発だ」との発言にもうかがえます。
昭和五十八年末、ロッキード裁判で懲役四年,追徴金五億円の実刑判決を受けて田
中角栄は窮地に追い込まれていました。ところが、この時の総選挙で田中は予想外の
二十二万票を得ました。田中のそれまでの最高得票は、総理に就任した昭和四十七年
の十八万票です。この四万票増のカラクリは何だったのでしようか。
「田中が十八万票獲得した昭和四十七年の総選挙の時、公明党は一人の候補者を立て
ている。古川久志である。古川は三万七百四十七票をとり、その後、創価学会の会員
などわずかながらふえていることを考えれば、もし再度挑戦すれば三万ないし四万票
を獲得することが可能であった。ところが、公明党は立候補を見合わせている」「公
明党票の大多数が、表向き自由投票といいながら田中に流れたと、想定することが出
来る。事実、新潟三区の選挙関係者は口をそろえて「公明党が田中のために猛烈な選
挙運動を展開した』と話している」(毎日新聞政治部『自民党金権の構図」角川文庫)
すなわち、創価学会が組織をあげて応援した結果なのです。それは田中が翌年、同
派の研修会で「創価学会だって、公明党が候補者出していないところは、ちゃーんと
やつてくれてるところがあるんですよ。いつぱいあります」(「田中支配とその崩壊」
朝日文庫)と発言したことでも明らかです。しかも、そのほかの地域でも「田中派・
公明党選挙協力」のあったことまで語っています。
いくつかの例を挙げれば、新潟一区の田中派事務総長・小沢辰男、山梨全県区の金
丸信、福島三区の田中の娘婿の田中直紀、鹿児島三区の二階堂進など、田中派候補の
いる選挙区では、他党からの選挙協力の申し出を拒否しています。これらの地域では、
実質的な「田中派・公明党選挙協力」と指摘されました。このようにして田中派に恩
を売ったうえで、二階堂擁立は仕組まれていきました。
昭和五十八年末、自民党が敗北した時点で、新自由クラブとの連立に反対した二階
堂は、早くも竹入、佐々木(当時、民社党委員長)に連立を打診しました。翌五十九
年初頭、公明党幹部は、田中派幹部にすり寄り、「憲法改正の時はわれわれの力が必
要でしょう」と巧みにもちかけています。
その春、竹入直系の幹部が宴席で「(秋には)二階堂をかつぐんだ」と語っていま
す(「読売新聞」S59.11.13)。永田町界隈でも「秋風が吹く」(二階堂擁立の暗示)
とささやかれていたのは、この頃でした。
池田は、夏ごろから、異常なほどの執念で、竹入、矢野らに二階堂擁立にむけネジ
を巻いていました。八月初めの創価学会の長野研修道場における池田─竹入会談、九
月下旬の両者会談、さらには池田の次男・城久の通夜の日(十月四日)、池田は極秘
に竹入、矢野に会っています。
「竹入・矢野両氏から、逐一、政界情報をインプットされている大作親分にとっては、
願ってもない好機到来である。『なにがなんでも二階堂を擁立せよ』と檄を飛ばした。
ハッスルぶりは、次男・城久が急逝した後の、五十九年十月四日、通夜の席でも、
池田、竹人、矢野三氏だけが別室にとじこもり、一時間以上にわたって、“作戦会議”
がもたれたことでもわかる。血が燃えあがる思いにかられたのであろう。竹人、矢野
両氏は、密談終了後、?を紅潮させ、裏口から、報道陣に気づかれぬよう、こっそり
退出した」(内藤国夫「創価学会・池田大作のあくなき野望』日新報道)
いったい、池田の人間としての異常さをどう表現したらよいのでしょうか。自分の
息子の通夜の席さえ生ぐさい政治的野心の場にしてしまう冷血さは、何なのでしょう
か。それはともかくとして、二階堂進は、池田、竹人などが擁立に動いたことについ
て次のように発言しました。
「竹入氏は創価学会の池田大作氏が現状に不審を持っており、『これで二十一世紀を
迎えられるのか』と非常に心配している。なんとか打開できないのか。自民党副総裁
である君の責任ではないか。私個人ではなく、公明党、創価学会全体の意見だといっ
ていた」〔S59.19.27自民党実力者会談)
「二階堂擁立劇」は、土壇場で頼みにしていた田中角栄の反対にあい幻に終わりまし
た。
ところが、これほど熱心に工作したはずの竹入は、十二月の党大会で、「今回の二
階堂擁立の話は十月二十四日に初めて聞いた」とか「今回は外野席から“フレー、
フレー”とハンカチを振っただけ。それでこれだけのインパクトがあるとわかった。
次にこういう機会があったら上着を脱いでやる」と語りました。これは真っ赤なウソ
で連立政権誕生の党声明まで準備していた二階堂擁立劇は、池田と党首脳が一挙
自民党の乱に乗じて権力の座を狙った陰謀だったのです。
に「社公民を捨てるわけではない。だが折あらばハンカチも振るし、上着も脱ぐ。自民
党の内紛に乗じてなんでもやる、ということである。公明党は結党時の初心などどこ
吹く風で、“灰色高官”と騒がれた政治家とでも、政権に連なることができるのなら、
組もうとするまでに堕落したのである」(富田信男「創価学会の政治局・公明党の研
究』)とある通りです。
────────────────改頁──────166--つづく──