創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価・池田大作をブッた斬る-25

2018-03-05 08:41:58 | Weblog

創価学会-池田大作をブッた斬る  藤原弘達 1988=昭和63年
                   (日新報道/¥1,000)
    ------(P.140)---(以下、本文)-------

第五章 池田創価党自滅の構図
       自分の墓穴は自分で掘れ
◆ 創価学会ユートピアの幻想
 昭和三十一年一月、甲府で起きた立正交成会(現「佼成」)の「長沼妙佼重病人踏み殺し事件」で、読売新聞は激しい批判キャンペーンを展開した。この攻撃をうけて五月、交成会会長・庭野日敬は会員に対して、反省、自己批判の講演を行なった。なお、同年六月三日には衆議院法務委員会で「不正なる宗教活動に対する決議」という、厳しい内容のものが採択されている。
 庭野交成会会長の講演について、宗教学者・高木宏夫は著書でこう書いている。(「日本の新興宗教」岩波析書)
 「なお、この談話で読売新聞の問題にふれたあと、『私どもは今日まで批判されるには、そこに因があるのではないか、われわれが善意にもとづいてしたことでも、おおぜいの人のことであるから、たまにはまちがったことがあったかもしれない。これは大いに反省、ザンゲをしなければならない(中略)』と自己批判し、さらに『私どもは凡夫でありまして、仏さまを信ずるところの信者であり、法華経を行ずるところの行者でありまして、また仏さまや神さまではないのであります。』と教祖の神秘化を自ら打ち破った」
 この前後の創価学会は、昭和三十年十二月、創価学会への破防法(破壊活動防止法)適用問題が起き、三十一年には初めて参院選に六人立候補、三人が当選。戸田城聖は「王仏冥合論」を発表し、年末には学会員四九万世帯になるという「折伏大行進」のさなかにあった。
 創価学会が先発新興宗教・立正交成会の域に追いつき追い越すには、昭和三十年代の長い時間を必要としなかった。三十四年には会員一二八万世帯、三十七年には二七〇万世帯、公明党結成の三十九年には四六〇万会員を擁するに至った。
 創価学会は、この時期、既に政教一体、池田王国のグランド・デザインを描いているのである。公明党結成、衆議院進出がそれを象徴していた。
 結党時の公明党綱領には、「王仏冥合の大理念を掲げて、地球民族主義にのっとり、人類の危機を救い、世界に恒久平和の礎を築く……」と、調子よく謳いあげている。しかし、どう考えてみても、日蓮の時代の王仏冥合の大理念と、二十世紀の民族主義、世界の恒久平和とは簡単につながってこない。人類とか世界とかいった概念を王仏冥合の「大理念」とつなごうとするから、ご都合主義、空想的になったのであろう。
 王仏冥合を空想的ユートビアの世界としておく分には、問題は起きなかった。ところが、政治の世界に持ち込んできたから、矛盾が大きく目立つ。矛盾・ボ口隠しに近代政治概念をやたらとかぶせる。いうなれば、ウソの上塗りだ。
 これに比べれば、戦前の武者小路実篤の「新しき村」(トルストイ主義?)、西田天香の「燈園(無一物教?)、戦後では一種のコミューン思想の「ヤマギシ会」など、ユートピア思想の小実験だったが、それほどのペテンのようなウソはなかったといえよう。彼らは空想的ユートビアンであって権威も権力も持たなかったが、創価学会は権威(日蓮正宗のカンバン)と権力(政治権力と財力)を二つながら追求した。
 旧天皇制の崩壊した日本では、国家権力による絶対的権威が吹っ飛んだ。絶対的な神様がなくなった後に、十七人の“熊沢天皇”が名乗りをあげた。熊沢天皇も戦後新興宗教のいわばハシリであったが、天皇制的宗教では現世利益を売る神々のラッシュアワーにはとても対抗できなかった。
 創価学会のように、邪教撲滅、日蓮正宗絶対で折伏活動を展開する集団は、極端に戦闘的行動で勢力を伸ばすためにも、やはり公明党の存在が大きかったのである。いかにも、現代における“僧兵”として、池田創価学会の政治的発言に呼応する勢力を目指したものだ。
 創価学会ユートビアは、むろんすぐに崩れる幻想だ。これを説くにはもっともっとウソで固めなければならない。池田や公明党のウソは一々検証するまでもないが、美辞麗句でやたらと飾りたてるのが特徴だ。「巧言令色スクナシ仁」を地でいく。
 作家の松本清張との対談(「文芸春秋」43・2号)で、池田はこういう。
 「戦前は、極左か、極右にかたよっており、真の中道はなかった。西洋には極左、極右の他に中道派があった。戦後は、保守、革新の葛藤をみるにつけ、へーゲルの弁証法ではないけれど、時代は中道を欲していることは否定できない。とくにわれわれの中道主義は、民衆から盛り上がったものである」
 へーゲルの弁証法がでてくるにしては、池田の理論は飛躍が多すぎる。それはさて措き、公明党も池田の美辞麗句にならうのである。
「一、わが党は、人間性尊重の中道主義を貫く、国民政党として、革新の意欲と実践をもって、大衆とともに前進する。
一、わが党は、人間性社会主義に基づき、責任ある自由な経済活動と、その成果の公正な分配を保障する経済体制を確立し、社会の繁栄と個人の幸福を、ともに実現する福祉社会の建設をめざす」(池田の政教分離公約の後、第八回党大会で採択した新綱領)
 私は、こういうツギハギだらけの作文をみながら、思わずタイムスリップさせて、「王道楽土建設」の幻想に日本を引きずり込んだ東亜連盟の石原莞爾まで連想してしまう。資本主義でもない、社会主義でもない、王道楽土、五族協和(共和党改め協和会)…なんと賑々しき軍国主義の幻想まであったことか。戦前の右翼の日蓮・法華経狂信者の戦後版を、創価学会ユートピアはあえて再び演じかねないのである。
 「新しき村」も「一燈園」も「ヤマギシ会」も、それぞれの意味において、新興宗教的である。
 しかし、ユートピアである彼らの世界では、支配・被支配の関係はなく、カネで“ご利益”を買うこともできない。この点、いわゆる新興宗教にはなりえなかった。これに比べると、創価学会ユートピアは、まさしく幻想そのものだ。広宣流布を宗教理念だと謳いながら、裏声で学会・公明党政権獲得を謳つている。
 かっての日蓮主義右翼と同じように、幻想を地上に「現世利益」として実現させようとする
から、ただインチキだ、ウソだといっていられないのである。

 池田大作が幻想の中でヤニさがっている例をみてみよう。
 「『広宣流布の時には参義院議員、衆議院議員もいてさ、皆な財布の中には少くとも十万や二十万入れて、洋服も月賦じやないの着てさ、一つ国会議事堂やプリンスホテルや帝国ホテルで会おうじゃないか。要所要所を全部ね学会員で占めなかったら広宣流布出来やしませんよ。一つ天下取るまで諸君は大事な体だからうんと修行して行きなさいよ』(池田大作「遺戒置文講義」、『聖教新聞』五七年九月六日付)」(吉良陽一「創価学会=七つの大罪」新日本出版社)
 この当時、池田大作二十九歳。七月の参院選で選挙違反にひっかかり、プタ箱に入った。創価学会青年部であった。三十二年後の昭和六十三年、創価学会名誉会長・池田大作には、まだ大石寺の“開かずの門”を通る日がきていない。「広宣流布の時、日本国最高の人間がここを通る。それは私だ」と池田はいっているのである。日本国最高の人間とは、学会機関紙「大白蓮華」には、「広宣流布の時、開かずの門を開いて、国主が、その門を通り正本堂に入るが、この国主とは、法華講総講頭であり、つまり私だ」とあったそうだ。学会では池田のことを、「国父」と呼ぶことがあるらしいが、「国主」とか「国父」とは創価学会“密教”部分の暗喩もしくは符牒なのか、どうも意味不明である。
 右翼が憤激して、「池田創価学会は国賊!」というようになった。しかし、国主といい国父といっても、主権在民の日本国にはどうにも似合わないから、おそらく日蓮正宗創価王国の国主であり国父の意味であろう。
 現実政治の世界では野党連合より自民党との連合に照準を合わせている学会・公明党にとっては、まだまだこの種のウソの上塗りを必要とする。
       ---------(145P)-------つづく--

 

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