今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

昭和天皇の大喪の礼

2008-02-24 | 行事
昭和天皇の大喪の礼の為、1989(平成元)年の2月24日は休日になった。
裕仁天皇(昭和天皇)は、1989(昭和64)年1月7日に崩御され、おりからパリで開催中の化学兵器禁止国際会議の席上、参加149か国の全員により黙とうが捧(ささ)げられた。そして、同年2月24日、新宿御苑において大喪の礼(たいそうのれい)が行われ、世界164か国、EC及び27の国際機関の元首、弔問使節が参列し、粛々と行われた。参列した国の数及びその参列者のレベルは、史上例のないものであった。
1909(明治42)年に皇室服喪令(以下参考に記載の「中野文庫 - 皇室服喪令」参照)が制定され、大喪を、大行天皇(天皇が崩御した後、追号が贈られるまでの呼称)、太皇大后皇太后皇后の裳にあたるときと定めた。さらに、1926(大正15)年制定の皇室喪儀礼によって、大喪儀の諸儀式が定められた。いずれも、「天皇は神聖にして侵すべからず」とうたった明治憲法下での法令であり、象徴天皇となった現在の日本国憲法下では、新皇室典範に「天皇が崩じたときは、大喪の礼を行う」(第25条)の規定があるだけ。大葬儀は、崩御以後1ヵ月以内にわたる儀式の総称である。
大喪の礼とは、国の儀式として行われる天皇の葬儀のことであるが、皇室喪儀礼では、大葬儀中、殯宮移御(もがりのみやいぎょ)の儀、轜車発引(じしゃはついん)の儀、斂葬(れんそう)の儀(葬場殿の儀、陵所の儀)を夜間に行うことも定められていた。斂葬の儀が、一般の本葬に当る。明治以降の天皇の葬儀は「骨格は平安期の後一条天皇の葬場形式が参考にされると共にその儀礼を貫く本義、古代から続いた殯宮儀礼によるところが大きかった」(岡田国学院大助教授)という(毎日グラフ緊急増刊『昭和天皇大喪」)。
1989(平成元)年の2月24日、この日の大喪については、1月7日の天皇崩御の日に政府は臨時閣議を開き、「大喪の礼(一般の告別式)」を行うことを決定。別に、本葬にあたり「斂葬の儀」は私的な皇室行事とすることを決定した。 (以下参考に記載の「大喪の礼を国の儀式として行う件」参照)
つまり、皇室行事は神道に則って行われる為、1947(昭和22)年の憲法改正以後初となる昭和天皇の大喪の際には憲法 第20条政教分離の原則への配慮から、皇室の儀式「天皇大喪儀」の一部である「斂葬の儀(れんそう)」の内の「葬場殿の儀」の後、葬場から鳥居等の宗教的要素を持つものを撤去したものを、引続いて国の儀式である「大喪の礼」として行われたのである。しかし、その諸儀式について宮内庁は、「憲法の趣旨に沿いつつも、伝統を尊重していく方針だ」とし、故陛下の葬送儀礼も、大正天皇の時より簡素化はされるものの、さまざまな儀式はほとんど変わらぬ形をとることになったようだ。(以下参考に記載の日本財団図書館(電子図書館) 私はこう考える【天皇制について】参照)
天皇の葬儀「大葬の儀」は、おびただしい数の様々な儀式によって構成されており、天皇崩御から約1ヶ月半に及ぶ一連の大葬の儀がおこなわれるが、その儀式の数は非常に多い。実際に、どのように進められたかは、以下参考に記載の「皇室のきょうかしょ - vol.60 天皇の葬儀」が簡単にかつ詳しく判りやすく書かれているので参照されると良い。
とは、死去してから埋葬するまでの葬送儀礼の一つである。【殯】(ヒン)の解字は、「歹(死体)+賓(お客、そばにいるあいて)」の会意兼形声文字で、死人をそばにいる客として、しばらく身辺に安置すること(学習研究社『漢和大字典』)だという。
天皇が死去してから大喪の礼を行うまで皇室で行われる「殯」に関わる儀式が延々何と1ヵ月半もおこなわれているのである。殯は日本の古代において普遍的に行われていた喪葬の形態であり、一定期間柩(きゅう=ひつぎ=棺)を仮小屋(殯宮)に安置したり仮埋葬したりしておいて、諸儀礼を尽くして霊魂を慰撫しその後に埋葬するのが殯である。古代においては盛大に行われていたようだ。殯の儀式は大化の改新以降に出された薄葬令によって葬儀の簡素化や墳墓の小型化が進められた結果、仏教とともに日本に伝わったと言われる火葬の普及もあり、急速に衰退していったといわれるが、天皇家において実際には、そうともいえないようだ(以下参考に記載の「中村幸雄論集 新「大化改新」論争の提唱」参照)。
もともと、こ「殯」は現代の「喪」とは意味合いが違っていたようで、「死霊がたたらないようにするための鎮魂の儀礼だった」のではないか。ある天皇に関しては殯宮で「大祓(おおはらえ)」をしたと記されており、蘇生しないと確かめたあと、荒らぶる魂にならないよう鎮めるのが主な目的だった」のではないかとする説もあるようだ(以下参考に記載の「asahi.com:カンヌ映画グランプリ「殯の森」の殯とは? 」参照)。
昨2007年、第60回カンヌ国際映画祭で、河瀬直美監督の『殯の森』がグランプリを受賞した。
この映画のラストで、認知症のジイサンが山の中で1晩を過した翌朝、妻と思われる幻影に会い、ダンスをした後、 山奥に分け入り懸命に一点を掘り始める。そこには1本の木が目印に立っており、それはジイサンの妻の墓だった。どんどんと掘り続けていた、それをじっと見ていた同伴者の介護士の女性の前で倒れ、満足気な表情で横たわりそのまま絶命する。天を見上げて号泣する介護士の女性。しばらくして画面が突然暗転。「殯り」の短い説明文が現れて映画は終わる。 映画は、現代では余り耳にすることもなくなった「殯」という言葉をあえて使い、かけがえのない者の死をどのように受容するかを現代に問いかけているのだという。
昔は、「遺族にとって、近親者は亡くなってもただちに『死者』になるわけではなく、葬送や喪の期間は生者が『死者』になっていくプロセスだ」と考え、庶民の間にも殯の風習はあったようだが、仏教伝来以降、見ることもなくなった。というか、仏教では、命あるものは死んでは次の生へと生まれ変わることを繰り返す輪廻転生)とされており、死んでから次の生が始まるまでを「中有」(中陰とも)と言い、この中有の期間が四十九日と考えられた七日ごとに親族は法要を営み、死者の死を悼みつつ、死者が次の生ではより良い世界に生まれることを祈るようになった。天皇家が仏教ではなく殯の儀式を死して後、1ヵ月もの間、一体何を、実際にしているのかはベールのうちのことでよくわからないが、人間宣言をした天皇、古式に則った儀式をひっそりと続けられていることを思うと、まだまだ、神がかり的な思想が残っているのだろうか・・・などと考えたりもするのだが・・・。
(画像は、毎日グラフ緊急増刊「昭和天皇大喪」表紙。三重の入れ子構造の柩は、車から葱華輦に移され葬場内に運ばれる。表紙の写真は、「葱華輦」を担ぐ人達。明治天皇と大正天皇の大葬の儀にあたっては、八瀬童子が葱華輦を担ぐ習慣であったが、昭和天皇の時は警備上の都合により、束帯をまとった皇宮護衛官が駕輿丁となった。また、棺の移動には自動車が使われたため、葱華輦は葬場内の移動にのみ使用され、八瀬童子の代表者数名がオブザーバーとして参加していたようだ。)
参考:
宮内庁
http://www.kunaicho.go.jp/
大喪の礼 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%96%AA%E3%81%AE%E7%A4%BC
皇室令 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%AE%A4%E4%BB%A4
YouTube - 昭和天皇、大喪(葬場殿の儀など)
http://www.youtube.com/watch?v=0fCkZdTCa4s
中野文庫 - 皇室服喪令
http://www.geocities.jp/nakanolib/kou/km42-12.htm
中野文庫 - 内閣告示(昭和64年)
http://www.geocities.jp/nakanolib/kokuji/kn-s64.htm
中野文庫 - 宮内庁告示(平成元年)
http://www.geocities.jp/nakanolib/kokuji/kk-h01.htm
中野文庫 - 誄(平成時代)
http://www.geocities.jp/nakanolib/gosata/rui2.htm
大喪の礼を国の儀式として行う件(平成元年内閣告示第1号)/網際情報館
http://www2s.biglobe.ne.jp/~law/law/ldb/H01K0001.htm
皇室のきょうかしょ - vol.60 天皇の葬儀
http://www.fujitv.co.jp/takeshi/column/koshitsu/koshitsu60.html
日本財団図書館(電子図書館) 私はこう考える【天皇制について】
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/01291/contents/010.htm
皇室のきょうかしょ - vol.60 天皇の葬儀
http://www.fujitv.co.jp/takeshi/column/koshitsu/koshitsu60.html
外 交 青 書第2節 世界の中の日本
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1989/h01-1-2.htm
漢字にみる死と悲嘆
http://www.osoushiki-plaza.com/institut/dw/199402.html
漢字について
http://suzuka.cool.ne.jp/kondo_hiro/proverb/busyu/kanji.htm
形声文字(ことばありき)--漢字家族
http://ww81.tiki.ne.jp/~nothing/kanji/moji_3.html
第60回カンヌ国際映画祭 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC60%E5%9B%9E%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%8C%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%98%A0%E7%94%BB%E7%A5%AD
殯の森- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%AF%E3%81%AE%E6%A3%AE
映画「殯(もがり)の森」小論
http://www.st.rim.or.jp/~success/mogari_ye.html
asahi.com:カンヌ映画グランプリ「殯の森」の殯とは?
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200706230111.html
中村幸雄論集 新「大化改新」論争の提唱
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nakamura/nakamur4.html
日本人の仏教
http://www.ohaka-im.com/butsuji-49nichi.html