今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

「嶋中事件」が起った日

2008-02-01 | 歴史
1961(昭和36)年2月1日右翼の少年が東京・市谷にある中央公論社の嶋中鵬二社長宅を侵入、社長が留守だったため、婦人を刺して重傷を負わせ、止めに入った家政婦を指し殺した(嶋中事件)。1960(昭和35)年12月号の『中央公論』に掲載された深沢七郎の『風流夢譚』の内容に抗議したもので、犯人の少年小森一孝(17歳)は元大日本愛国党員で、翌朝自首した。小説には夢の中の、「左慾」革命により「天皇一家がつぎつぎ処刑される場面が描かれていた。「左慾」という表記から見てもわかるように、深沢は左翼への揶揄を込めて書いたという見方もあるようだが発売当初から批判が集中。右翼系の日刊紙「帝都日日新聞社」が中央公論社を非難、11月28日には大日本愛国党の党員8名が中央公論社を訪れ謝罪文を要求。宮内庁も11月29日に抗議。これを受けて翌日に竹森清編集長が宮内庁に赴き謝罪していた。ただ、右翼団体側の反発は収まらず、ポスターや立て看板、飛行機から散布するビラで中央公論社を糾弾。国粋会松葉会などの右翼団体が中央公論編集部へ抗議に赴き乱暴したという。同時期には浅沼刺殺事件をモデルにした大江健三郎の「政治少年死す」をめぐり、文藝春秋新社にも右翼の抗議が相次いでいた。こうした抗議活動の中心になっていたのが「帝都日日新聞社」であった。そして、12月発売の『中央公論』1月号では改めて「お詫び」を掲載。併せて竹森編集長を更迭し(後任は置かず嶋中社長が兼任)編集部員も入れ替え、事態は収拾するかに見えたが、翌年1月30日に「赤色革命から国民を守る国民大会」が開催され、事件発生はその翌日のことであった。
逮捕された少年は、「『風流夢譚』の作者も悪いが、あんなものを売って金を儲ける社長は直悪い」と供述したという。
中央公論社は2月7日の新聞各社で同作品掲載について謝罪文を発表。『思想の科学』誌が、嶋中事件1周年に當る翌・1962(昭和37)年1月号で「天皇制特集号」を組むと、発売元であった中央公論社は自主規制(発売停止)にし、無断で裁断(12月)した(「天皇制特集号廃棄事件」)。これに対して、言論人の間に『中央公論』への執筆拒否運動が起こった(『思想の科学』事件)。同時に、マスメディア全体に自主規制を強める契機となり、天皇制論議タブー化の風潮を強めた。
犯人の山口は1962(1937)年2月少年法では最高刑の懲役15年が言い渡された。
1960(昭和35)年は、日本の政界は一連の右翼テロに襲われていた。最初は'60年安保闘争の最中の6月17日衆議院議員面会所で、請願を受けていた社会党顧問、代議士の河上丈太郎が人波にまぎれて近づいた右翼の戸澗(とま)真三郎(20歳)に切り出しナイフで左肩を刺された。戸澗は、全学連の激しい活動に反発を感じ、彼等を「扇動」している社会党を反省させなければならないとの考えたという。これが、戦後初めてのテロであった。安保反対のデモ(demonstration)が続く中、6月21日、日米安全保障条約・新条約新安保条約(新安保条約)の批准、天皇の調印が行われた。「私のやったことは歴史が判断してくれる 」の一言を残し、新安保条約の批准書交換の日の6月23日、混乱の責任をとる形で岸内閣は総辞職した。そして辞任直前の7月14日、岸信介首相が池田隼人が自民党の新総裁に就任したのを祝うレセプション(reception.)から退席する途中、登山用ナイフで左ももを6ヵ所指され瀕死の重傷を負っている。犯人の荒牧退助(65歳)は戦前からの右翼で、逮捕後「岸首相は安保問題で不手際があった。このままだまって止めさせることはできない。岸を傷つけることによって今後よい政治が行われるであろうと思った」と動機を述べたという 。更に3ヵ月後の10月12日、日比谷公会堂で開かれた三党首演説会で、社会党委員長の浅沼稲次郎が右翼山口二矢少年(17歳)によって脇差で刺殺されるという衝撃的な事件が発生している。致命傷はわき腹から30センチに達する深い傷でほぼ即死の状態であった。犯人の山口は、一時赤尾敏主宰の大日本愛国党の党員だったが、赤尾に飽き足らず井上日召の一人一殺主義に共鳴していたという。犯人の少年は浅沼が訪中の際に「米帝国主義は日中両国人民の共同の敵」発言に怒り、浅沼は「日本を共産主義に売り渡そうとしている」として殺したと犯行の動機を述べているという。右翼や財界の一部は、当時の浅沼の発言から見て、事件が起ったのは当然と言う発言もあったようだ。(アサヒクロニクル「週刊0世紀)そして、翌・1961(昭和36)年2月1日のこの日、嶋中事件が発生したのである。
戦後、軍部と言う後ろ盾を失った右翼は衰退していたが、朝鮮戦争前後の反共主義の風潮の中で息を吹き返し、60年安保で「革命近しとの危機感を抱くようになって政治の前面に復帰してきた。その背後では保守政界や財界の一部が支援していたのだろう。
岸信介は、第2次世界大戦後の東京裁判A級戦犯に指定されていた人物であり、このような経歴の政治家がなぜか、GHQより突然に解放され、「日米共同防衛」などといい始めたことに対して、国民はその裏に戦争の匂いを感じとり、大きな反対運動を起こした。しかし。この反安保闘争であるとともに、反岸の闘争でもあり、岸の退陣によって、安保闘争は沈静化してゆくが、その裏には、右翼だけでなく、、同じA級戦犯容疑であった児玉誉士夫等を通しての暗黒街の親分衆の活躍もあったようだ(60年安保騒動参照)。又、「嶋中事件」の小森一孝は17歳の少年だったが、朝日新聞は「浅沼刺殺事件」の山口二矢に続いて、犯人の年齢が17歳であり、今なら、本来は匿名報道となるべきところを最初から実名報道にしている。しかし、この当時の新聞報道では、少年加害者は絶対に匿名にしなければならないという不文律が存在しておらず、各新聞社の裁量によるところが大きかったためである。
以下参考に記載の発禁小説「政治少年死す」によると、『月刊日本』2003年6月号に、掲載された山口二矢の供述調書の内容が記されていた。
「社会党、共産党、労働組合、新聞などは戦争中は軍隊が悪いとか、天皇が悪いなどと一言も触れないでいて、戦争が終って左翼的な社会になると、その頃のことを頬かむりして後になって自分の国を卑下することは全く怪しからん連中だと思い戦前の日本にも「国を愛する気持ち、信義を守ること、忠孝、家族制度」など非常に良いものがあり、この伝統は引き継いでいかなくてはならないと考えました」・・と。
テロ行為によって何の関係もないものが殺害されるのは許すわけには行かないが、巨大な権力に対して何の対抗手段も持たない弱者が対抗できる手段としてはテロしかないともいわれている。戦時中に日本の軍部による独裁的な支配の下に置かれてきた者が、戦後、左派よりになったのもわからぬこともないのだが、確かに、戦後から、60年安保時までの左派の行動には行き過ぎの面があったかもしれない。しかし、この当時に、学生運動をはじめ左派の行動を徹底的に取り締まってきたため、この時代以降の日本の若者には、覇気が見られず非常に軟弱になったように思う。もう、今の若者には、権力者に対抗する気力も気概も無いのだろうが、今の世相を見ていると、これがもし1960年代の当時なら、どこでどんな、デモが起り、テロにも繋がっていたかもしれないな~と思われる事などが多くある。
(画像は、警視庁の家宅捜査を受ける東京・台東区の大日本愛国等本部。中央は当主の赤尾敏。アサヒクロニクル「週刊20世紀」より)
嶋中事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B6%8B%E4%B8%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6
安保闘争 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E4%BF%9D%E9%97%98%E4%BA%89
紙魚の筺( 深沢七郎「風流夢譚]・深沢七郎「風流夢譚」など)
http://azure2004.sakura.ne.jp/index.html
発禁小説「政治少年死す」
http://www.tanken.com/seven.html
誰か昭和を想わざる そしてすべては暗転した
http://www.geocities.jp/showahistory/history04/36a.html
雜誌「思想の科学」
http://noz.hp.infoseek.co.jp/Magazine/Shisonokagaku/
大江健三郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E5%81%A5%E4%B8%89%E9%83%8E
天皇制廃止論 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%88%B6%E5%BB%83%E6%AD%A2%E8%AB%96
テロリズム - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0
記録今あの時を
http://karano-web.hp.infoseek.co.jp/kiroku.html
オワリナキアクム/事件録
http://yabusaka.moo.jp/c.html
日米安保条約基礎知識 - [よくわかる政治]All About
http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20040706A/index2.htm
河上丈太郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E4%B8%8A%E4%B8%88%E5%A4%AA%E9%83%8E
井上日召 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E6%97%A5%E5%8F%AC