今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

西遊記で知られる玄奘(三藏法師。唐の高僧) の忌日

2008-02-05 | 人物
今日(2月5日)は 玄奘(三藏法師。唐の高僧) の麟徳元年(664年3月7日)の忌日。
中国代の訳経僧、玄奘三蔵といっても判らない人でも、三蔵法師(さんぞうほうし)と言えばああ!あの人かとわかる人も多いだろう。
白馬・玉龍に乗った唐僧・三蔵法師のお供である、孫悟空猪八戒沙悟浄らが妖怪や化物を相手に活躍し、さまざまな苦難を乗り越えて天竺へ経を取りに行くという物語、『西遊記』は、日本でも良く知られている。
唐僧玄奘は、20歳の頃より長安を出て中国各地の僧に仏教を学ぶものの、僧によって解釈がさまざまで判然とせず、多くの疑問を解決するため、そして仏教経典を手に入れるために仏教発祥のインド行きを決意する。しかし、当時危険が多かったため国外へ出ることは禁じられており、再三皇帝・太宗へ請願するもかなわず、ついに禁令を犯してインド求法の旅に出たのである。そして、玄奘法師が太宗の貞観3年(629年)8月渡印のため長安を出発してから、19年(645年)正月に長安へ帰朝するまでの実に前後17年の間に、自ら体験し見聞した西域・インドの季候・風土・民族・習俗・言語・境域・物産・伝説等、諸般の事項を記したかれの「志記」(記録)に基づいて編纂された「地志」(地誌)が『大唐西域記』(12巻)として纏められた。私も昔、平凡社の『玄奘三蔵の旅ー大唐西域記』(水谷真成訳)を読んだが、なかなか読みやすく面白く読んだ。又、この玄奘法師の見聞録は、弟子の慧立が『大慈恩寺三蔵法師伝』(10巻)としても纏めている (以下参考に記載の国立国会図書館貴重書展:出展目録を参照)。
『西遊記』は、明代呉承恩(1504年頃 - 1582年頃、江蘇省生まれの官吏・詩人)により、玄奘三蔵の旅の記録を記した『大唐西域記』を元に創られたといわれており、、道教、仏教の天界に仙界、神やや妖怪や仙人など、虚実が入り乱れる一大伝奇小説であり中国四大奇書の一つに数えられている。そして悟空らから「お師匠さま」と呼ばれる三蔵法師は、玄奘法師をモデルとしている。但し、『大唐西域記』には孫悟空や猪八戒、沙悟浄などは登場しない。
三蔵法師とは、仏教経典である三蔵)、すべてに精通した者を指し、単に「三蔵」と呼ぶこともある。玄奘は仏教の経文原典を求めてインドを周遊し般若心経を中国にもたらした。インドや西域から教典をもたらし、漢訳した人々を尊称して、「訳経三蔵」あるいは「三蔵法師」と呼ぶ。四大訳経家に数えられ、鳩摩羅什真諦不空金剛なども多くの教典の漢訳を手がけていることから、「三蔵法師」と呼ばれるが、なかでも最も有名な三蔵法師が、玄奘三蔵である。
この玄奘の歴史的壮挙は、次第に仏教徒の間で伝説化し神聖視された痕跡が各地に残されているという。敦煌莫高窟(ばっこうくつ)から発見された絹本、紙本の絵画及び壁画(9世紀から11世紀半ば)には経巻を背負い虎を伴った徒歩の行脚僧の描かれたものがあり、伝説化した玄奘とする説がある。莫高窟東方約 100 km 安西の楡林窟(ゆりんくつ)、その更に東方約 30 km 安西の東千仏洞(ひがしせんぶつどう)の水月観音図、普賢変図(12世紀後半、西夏末)に含まれる玄奘取経図に描かれた玄奘は猴(マカカ属のサル)と馬を伴っており(莫高窟、楡林窟、東千仏洞などは以下参考に記載の写真でつなぐシルクロードを参照)、また張世南『游宦紀聞』(1228年)所収の張聖者の詩(北宋末から南宋初、12世紀前半と推定される)には「幾生三藏往西天」「苦海波中猴行復」「沈毛江上馬馳前」の字句が見え、12世紀には玄奘の取経伝説には猴と馬が取り込まれていたことが分かるという。
そして、1237年に建立された福建省泉州の開元寺の仁壽塔(西塔)第四層南面には「武帝」に向き合って経文を捧げる「唐三藏」、東北面には、左の人物像には「東海火龍太子」という銘文がある。しかし、右の人物像には銘文が記されていない。しかし、西遊記を知っている人なら、これはどう見ても、「孫悟空」というか、そのご先祖様の「猴行者」に見える。それに、不思議なことがある。、「孫悟空」らしいものが持っている武器は刀である。そして、「東海火龍太子」と銘文に書かれた人物像が持っている武器が金箍棒のように見える。このこと以下に記載のHPの中段以降の「福建省泉州に開元寺というお寺の説明の所で解説されている。”ここにこのような壁面があります”と書かれているところをクリックするとその画像が見れる。
ちゅうごくちゅうどく第16回 竜にまつわる故事成語(二)
http://www.japanphil-21.com/club/haohao/gd-ryu2/hao-gd-ryu2.htm
ここにも書かれているように、『西遊記』の東海竜王のところで、黄河の治水に功を残したの所有物だったという「如意金棒」(如意棒(正式には如意金箍棒〔にょいきんこぼう〕という)をせしめてくる話がある。この話は、以下参考に記載のほぼ日刊イトイ新聞 -西遊記の毎日読む小説「西遊記」の 実力狂時代 ・二 如意棒見つかるにも書かれている。
又、インド神話におけるヴァナラ(猿族)の1人ハヌマーンは、ヒンドゥー教の聖典ともなっている叙事詩『ラーマーヤナ』において勇敢で好奇心に満ちた性質で描かれるそうだが、このハヌマーンが、中国に伝わり、『西遊記』の登場人物である斉天大聖孫悟空のモデルになったとの説もあり、これについては、中国文学者の 中野美代子女史がその著作『孫悟空の誕生 ― サルの民話学と「西遊記」』(1980年)の中で、考察されているようである。
代には今読まれている『西遊記』の原型となる説話「大唐三蔵取經詩話」(三蔵が猴行者〔猴【サル】の行者〕を連れ取経の旅をする)が存在していたようだ。この説話は題名に詩話とあるように、大唐三蔵(三蔵法師)」こと玄奘の西域取経の冒険に材を取った通俗小説話本であり、内容は荒唐無稽、一話ごとに詩を付して締め括っているため「詩話」と言うそうだ。この「大唐三蔵取経詩話」は、中国では既に失われて、日本にのみ伝存する本だそうで、1633(寛永10)年の奥書がある「高山寺聖教目録」に載っているが、玄奘三蔵の西天行脚に憧れを懐いていた明恵上人が、宋国より取り寄せて読んでいたものらしい(以下参考に記載の~高山寺五種目録室町期文書 一巻~参照)。この「「大唐三藏取經詩話」は、以下参考に記載の「※大唐三藏取經詩話」で見る頃ができるよ(訳つき)。
西遊記で今残っている最古のものは代の西遊記の逸話を収録したとみられる朝鮮の書『朴通事諺解』(1677年)によるものだそうである。写本は科挙を目指す書生たちが息抜きに作成していったと言われ、その際、詩文・薀蓄(うんちく)が追加され、拡張されていった。その最も膨らんだ姿が、1592年(明萬暦20)年、金陵世徳堂の刊行した『新刻出像官板大字西遊記』である。三蔵法師が天竺に仏典を求める旅を敢行したおよそ900年後にあたるという。
かって、出版界からはお金の神様といわれた邱永漢氏が、この金陵世徳堂『新刻出像官板大字西遊記』を最初から最後まで通読した上、原本に忠実に、ただ少々面白くして書いたものが5年4ヶ月と言う「中央公論」はじまって以来の長期連載されたが、それを、今藤城清治・影絵付で以下で読むことが出来る。
毎日読む小説「西遊記」(ほぼ日刊イトイ新聞)
http://www.1101.com/saiyuki/
”毎日読む小説”とあるように、短い文章で少しづつ読めるようになっている。ありがたいことだ。興味のある人は、是非読まれるとよい。同サイトの後書きに、日本で知られている西遊記は、石の中から生まれた孤独な猿が孫悟空となり天界荒らしをやる部分と、金角銀角あたりの怪物とわたりあう奇想天外な部分だけで終っており、金陵世徳堂「新刻出像官板大字西遊記」にある天竺にお経をとりに行く長い長い、退屈で苦難に充ちた族程のところは全く省略されている。この族程を原文に忠実に再説しようとすると、退屈きわまりないことになる。それと、現代人の眼から見ると、納得のできないところ(因果応報や勧善懲悪の思想)等を勘案しながら書いたという。先ずは、後書きを呼んでから、読まれた方がよいだろう。
「西遊記」と言えば、思い出されるのが、榎本健一主演のミュージカル&アドベンチャー映画「エノケンの孫悟空」(東宝)。この映画は円谷英二が製作に携わり、日本特撮映画黎明期の代表作の一つとされるなんともどたばたの映画であるが、何度見ても楽しい映画である(内容は以下参考に記載の※エノケンの孫悟空参照)。又、日本テレビ系にて1978(昭和53)年10月1日~1979(昭和54)年4月1日に放送されたドラマ「西遊記」シリーズ。悟空には堺正章、悟浄に岸部シロー(当時/現・岸部四郎)、八戒に西田敏行という絶妙な配役。また、本来は男性である三蔵法師を、女優の夏目雅子が演じるというキャスティングも話題を呼んだ。あんなかわいい三蔵法師なら、私なんかなんでもご命令に従うよ。(^0^)。又、ゴダイゴの主題歌(オープニング:『Monkey Magic』 エンディング:『ガンダーラ』 )も良かったね~。絶大な人気を博したシリーズで、何度も再放送されているが、2006(平成18)年に『西遊記パート1 DVD-BOX』が発売されている。
西遊記の中に、私の好きな話「釈迦の手のひら」がある。悟空は、天界でも屈指の強さを持っており、彼の持つ筋斗雲に乗れば光のような速さで移動が出来る。そんな悟空が、どこまで遠くにいけるか、釈迦と賭けを行った。悟空は光の速さで宇宙の端まで行き、そこにあった柱に来た証拠の名前を書いたおいた。しかし、実は悟空が移動していたのは釈迦の手のひらの範囲に過ぎず、名前は釈迦の中指に書いたものであった。(以下参考に記載の孫悟空の「西遊記」の「釈迦の手」を参照)
この世の人間達も、「釈迦の手のひら」にいるようなものだ。競争があり、悩みがあり、限界があり、これが世界の全てだと思っている。しかし、少し大きな視野で見てみると、実はこれらは全て自分に与えられた数多くの選択肢のうちの一つを選んだ結果に過ぎないことがわかるだろう。ああだこうだと、奢らず、高ぶらず、そして、くよくよせずに、生きてゆこうよね~。
(画像は、「西遊記〈10〉 』岩波文庫、翻訳:中野 美代子)
参考は以下をクリックしてください。この下のページに表示されます。
クリック→西遊記で知られる玄奘(三藏法師=唐の高僧) の忌日:参考

西遊記で知られる玄奘(三藏法師=唐の高僧) の忌日:参考

2008-02-05 | 人物
参考:
玄奘三蔵 -Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/玄奘三蔵
国立国会図書館貴重書展:出展目録:書名索引(た行に:「大唐西域記」「大慈恩寺三蔵法師伝」)
http://www.ndl.go.jp/exhibit/50/html/index/shomei.html
「取経詩話」の道行き
http://www.ne.jp/asahi/kagiya/tsumugidou/saibourou/michiyuki/hauta/hauta-michiyuki.htm
写真でつなぐシルクロード(莫高窟、楡林窟、東千仏洞ほか)
http://dsr.nii.ac.jp/photograph/
敦煌(トンコウ)旅行案内_AraChina中国旅行
http://www.arachina.com/attrations/dunhuang.htm
アジア企画のホームページ・敦煌・東千仏洞の概要
http://asiaplan.main.jp/higashi.html
※大唐三藏取經詩話
http://homepage.mac.com/two_yossy/fang-hu_island/04-shuubu/05-shukyoushiwa/001-0-shukyoushiwa_01.html
孫悟空の西遊記
http://www1.ttcn.ne.jp/~kozzy/saiyuuki/saiuki00.htm
『西遊記パート1 DVD-BOX』
http://www.vap.co.jp/saiyuki/
ほぼ日刊イトイ新聞 -西遊記
http://www.1101.com/saiyuki/
ちゅうごくちゅうどく
http://www.japanphil-21.com/club/haohao/hao-gokudoku.html
京都大学霊長類研究所
http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/index-j.html
サル -Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB
ハヌマーン-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%8C%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%B3
高山寺 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B1%B1%E5%AF%BA
~高山寺五種目録室町期文書 一巻~
http://eapub.cneas.tohoku.ac.jp/saika/d_shinshiryo8.html
榎本健一-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A6%8E%E6%9C%AC%E5%81%A5%E4%B8%80
※エノケンの孫悟空
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2781/data/movie/movie02.html
孫悟空の「西遊記」
http://www1.ttcn.ne.jp/~kozzy/saiyuuki/saiuki00.htm