今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

ニットの日

2008-02-10 | 記念日
今日(2月10日)は、「ニットの日」、「(2)ニ(10)ット」の語呂合わせ。
1988(昭和33)年に、神奈川県の編み物学校などで組織された「横浜手づくりニット友の会」が制定したもので、ニットの普及キャンペーンを行っているという。1994(平成6)年には、全国的な記念日として日本ニット工業組合連合会も制定したそうだ。
英語の『ニット(knit)」は「編む」であり 、ニット製品と言えば「編んだ衣料, 織物」全般を言っている。私は、昭和30年代初めに大阪本町の商社の繊維部門で仕事をしていたので、「ニット」と言う言葉が懐かしい。当時は、繊維産業が日本の花形産業であり、その中心は大阪の船場であった。繊維製品の中心は、当時はまだ、綿や絹・ウールといった天然繊維であった。合成繊維が出始めたときである。綿を使ったものとしては、布帛メリヤスがあるが、日本の綿糸を使った肌着合繊などで織った靴下などをメリヤスと呼び、漢字では「莫大小」と書いた。日本のメリヤスは江戸時代の延宝 - 天和 - 貞享 - 元禄(1673年 - 1704年)のいずれかの時期に輸入・伝来したとされ、“靴下”を意味する外来語でポルトガル語のメイアシュ(meias)・スペイン語のメジアス(medias)の転訛とされており、日本国内の旧来の布地(布帛)に比べて伸縮性があることから『大きい人でも小さい人でも(さしつかえ莫く)合う』ということから「莫大小」の字が当てられたといわれている(以下参考に記載の「グンゼ博物苑・莫大小蔵」より)。
初期のメリヤスが靴下や肌着等が中心であったことから編物全般をメリヤスと呼ぶようになったが他用途の編物の衣料に肌着・靴下等のイメージが残り、セーター等の衣類と区別するために現代では用途毎にインナーと呼ばれる肌着や生地をメリヤス、アウターのカジュアルウェアをジャージー、編物全般をニットまたはニットウェアなどと呼んでいる。
私がいた商社の場合など、メリヤス製品などの販売の相手は、同じ商社や問屋であり、仕入先は、紡績会社などのメーカー、つまり、問屋が小売店、小売店が消費者を相手にしているのとは異なり、プロとプロの取引である。肌着などのメリヤス類は、正直いって原料の綿糸などを編み機にかけて編んだものをカットし、縫製してを売っているだけであり、余り付加価値の高いものではない。従って、綿糸を重量で売っている感じがあった。製品の縫製などは目で見れば凡その工賃はわかるし、綿糸など市場で毎日相場が立っているので、その価格は専門にしている者なら誰でもわかる。メリヤスは、1本又数本の糸を輪のようにくるくるとリンキング機にかけて織ってゆくが、輪の大きさが同じなら、糸の太さとその輪の針の本数によって織物の密度が違ってくる。肌着などの場合その針の数で1000本とか1200本と言われるものが多かった。だから、入社当時の新米の頃は、毎日毎日肌着の糸の本数をインチ眼鏡で数え、目で見ただけで、糸の太さや本数が判るように訓練した。また、肌着を手に持っては秤にかけ、手に持っただけでどのくらいの目方があるか判るようにも訓練したものだ。そうすれば製品を見ただけで頭に中で計算し原価をはじき出せる。肌着のあと靴下などの商いもした。
メーカーなどで作られ販売されているもの以外では、セーターなど今は家庭で編む場合、手編みのものが多いように思うが、1954(昭和29)年に、ミシンメーカー大手のブラザー工業(株)が編機分野と家庭電器分野に進出したことで、機械織りが可能な家庭用編み機が日本全国の家庭でブームとなり、編み物が衣料用生地の主要な位置を占めるようになった。当時、私の父が商売に失敗し経済的に苦しかった時期であったので、母は家計を助けるため、この毛糸の機械編みを習って、人から頼まれた編み物のセーターなどを作って内職にしていた。母は花嫁修業で、着物の仕立てなどの技能を持っており、着物の仕立てをしていたが、この頃になると洋風化が進み、ニットのシャツなどの依頼の方がくなったからだ。当時は私等成長期の子どものセーターなどは直ぐに小さくなってしまうので、古いものは、解いて、湯のしをして、洗い、染め直しをして、再利用していた。そして、綛(かせ。以下参考に記載の「巻き返し種類綛」参照)の毛糸を、巻いて、編みやすいように毛糸の玉にするために、私が、両手にかせをはめて、母が毛糸を巻きやすいようによく手伝ったことも思い出す。手編みのセーターも良いが、この頃は、機械編みのものが流行っていたようだね~。
今では、セーターなどのニット製品も既製品で色々デザインの良いものが安価で買えるようになったことから、毛糸の編み物などでは、手編みが主流のようだ。
家人も、編み物は大好きで若い頃から手編みの技能は持っていたが、結婚してから、もう少し、技能を、身に付けたいと、確かボーグ社だったと思うが、教室に習いに行き、講師や指導員免許も取っている。編み物が好きで、資格を取ってからも教室で編み物をしているうちに、先生の手伝いをさせられ、老齢だった先生が亡くなってからは、教室の生徒からの希望で、先生をやらされていた。自分で編むのは好きでも、余り、人に教えたりするのは好きでもないのに、教える羽目になり、そのために、本当は、実用的なものを編みたいのに、いつも新しいデザインのものを生徒用にサンプルとして編まなければいけないといって、ぼやいていた。そして、私用のセーターを次々と作ってくれるのはよいが、セーターだらけになっている。高い毛糸を買って、(問屋から教室用に少しは安く買えるらしいが、・・)、私のものや自分のセーターなどを編み、教室の場所代などを支払えば、たいした収入にもならない。厭だ厭だといいながらそれでも止められず、4~5年は続けていたが止めからは、家で楽しみながら編んでいる。編み物以外他にたいした趣味も無いので、時々教えてくれと家にやってくる友達や、近所の人に教えてやったりしながら、教室で教えていたときに編んだ余り気に入らないものを解いたり、余り毛糸などを利用して、新しいものに編み換えている。
今、編み物のプロでは、広瀬光治がニット界のプリンスとよばれているようだが、私などちょっと古いタイプの男には、少々薄気味悪い感じだが女性を相手に手芸などしている人は皆あんなタイプになるのだろうね~。しかし、ひと昔前までは編みものといえば女性的なイメージしかなかったものだが、最近は男でも編み物が趣味だという人も結構いるらしいとか。手編みは何時どこでもできるので、趣味としては良いし、それに、指を使うのでボケ防止にも良いと言う。家人には、飽きないで何時までもやっていて欲しいね~。(^0^)
昔は、バレンタインデーの時期になると彼氏へのプレゼントとして手編みのセーターやマフラーをつくる女の子たちが、慣れない手つきで最後の追い込みといった風景も見られたものだが、いまの時代チョコレートと同じで、彼氏のためなどではなく「自分のためにつくる」という人がほとんどとも聞くが・・・。
(画像は「広瀬光治の華麗なニット 」広瀬 光治〔著〕)
参考:
日本ニット工業組合連合会
http://www.apalog.com/jkia/
社団法人 日本編物文化協会
http://www.nac-web.org/index.html
広瀬光治 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E7%80%AC%E5%85%89%E6%B2%BB
繊維 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%8A%E7%B6%AD
繊維の知識
http://otsukaya.co.jp/Seni.htm
グンゼ博物苑・莫大小蔵
http://www.nises.affrc.go.jp/pub/silkwave/silkmuseum/KyoGunze/meriyasu.htm
巻き返し種類綛
http://tech.owaritex.jp/winding/winding_kind_hank.htm
バレンタインデー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%BC