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記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

「西南戦争」始る

2008-02-15 | 歴史
1877(明治10)年の今日(2月15日)「西南戦争」始る。
西南戦争とは、1877(明治10)年に現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において西郷隆盛を盟主にして不平士族たちが、士族の復権を目指して起こした反乱であり、2月4日「佐賀の乱」起るでも書いた、明治初期の一連の士族反乱のうち最大規模のものとされてきた。
明治6年政変によって下野した西郷は1874(明治7)年、鹿児島県全域に私学校とその分校を創設。目的は、西郷と共に下野した不平士族たちを統率するためと、県内の若者を教育するためであったが、外国人講師を採用したり、優秀な私学校徒を欧州へ遊学させる等、積極的に西欧文化を取り入れてるという点から、外征を行うための強固な軍隊を創造することが目的であった。やがてこの私学校はその与党も含め、県令大山綱良の協力のもとで県政の大部分を握る大勢力へと成長し、薩摩はあたかも独立国の体をなしていった。そのことから、私学校を政府への反乱を企てる志士を養成する機関だとする見解(曲解)も本格化してきた。そして、地租改正作業のためおもむいた大蔵省官吏が県境で追い返されるということが起った。西郷立つの風評が流れ、政府は、1877(明治10)年、1月大久保の腹心川路利良大警視は(警察の長官)は、鹿児島県出身の警察官20数名を、帰省と称して帰郷させ、それぞれ私学校の党の離間工作やスパイ活動に従事させたことが発覚した。これが、西郷派への挑発となった。西郷派は陸軍大将西郷隆盛・少将桐野利秋・同篠原国幹の連盟で、「政府に尋問の筋あり、率兵上京す」との通告を発した。1877(明治10)年 2月14日、私学校本校横の練兵場で、騎乗した西郷による1番~5番大隊の閲兵式が行われた。翌・2月15日の今日、薩軍の一番大隊が鹿児島から熊本方面へ先発した。これが西南戦争の始まりである。以後順次大隊が鹿児島を出発。17日には西郷も桐野とともに発し、熊本鎮台が置かれていた熊本城を包囲したのは2月21日であった。
これに対して、政府側は薩軍が熊本城下に着かないうち(2月19日)、つまり、薩軍が動き出してわずか4日目にすでに、鹿児島県逆徒征討の詔を出し、正式に薩軍への出兵を決定、薩軍の邀撃(ようげき)に動き出していた。薩摩士族は士気盛んで、過半は徴兵からなる政府軍を目して「土百姓兵に何ができるか」と豪語・楽観していたが、ついに熊本城は陥落せず、兵力・弾薬に不足する薩軍は逐次後退し、9月西郷は鹿児島の城山での最後の戦いの中で切腹した。(戦争の詳細など、以下参考に記載の「西南戦争の部屋」など見られると良い。)
通説では、西南戦争は、それ以前の神風連の乱秋月の乱萩の乱などとひとまとめにして、保守反動の士族の最後の反乱と決め付けていたが、実態は、かなり異なるもので、薩軍に加担した勢力には、当時の右から左までさまざまな層の人々が含まれ、それぞれが西郷を押し立てることで自らの意を充足させようと望んでいたようだ。その中でも、例えば、宮崎八郎(以下参考ニ記載の「西南戦争における西郷隆盛と士族」参照)ら熊本共同隊は、ルソーの『民約論』を信奉する民主主義者であり、最後まで西郷と行を共にした益田宗太郎(以下参考の「中津藩」参照)ら中津隊も、「人民天賦の権利」の回復(以下参考に記載の「天賦人権説」参照)をスローガンに薩軍へ参加している(「河伯洞往来 著者: 玉井史太郎」の94P~95P参照)。
又、西郷を比類なき偉人とした勝海舟や自主独立の「文明の精神」の持ち主として尊敬した福沢諭吉も、初めこの戦乱が西郷の意思でないと知らずに薩軍の上京を強く期待していた。仮に薩軍が勝利したとしても、西郷の資質と従軍した人達の構成からみて、その後に、政府が宣伝したような西洋文明否定・士族特権回復などを政策としたとは到底考えられない。徳富蘇峰も西郷を「超進歩主義者」とみなし、「近世日本国民史」の中で、薩軍敗北の結果、人々は武力によらず言論によって、政治を動かす方向へ向かったとして、「西郷は一身を犠牲にして民権者流を多量に生産し、民権論の勃興に貢献する結果になった」(大意)と書いているという(週刊朝日百科「日本の歴史」)
「明治6年の政変」は長い間、「征韓論政変」とよばれ、征韓(韓国への武力行使)派の西郷と非征韓派の大久保利通との対立と見られていたがそれは、少し違っているようであり、西郷の主張ははひしひしと南下してくるロシア帝国の圧力に日韓が協力して対抗すべく朝鮮国との国交を正常化し友好関係を固めることにあった。これは、むしろ、征韓論とは正反対の立場であった。政変後、政府に残留した内務卿大久保利通らは有司専制体制強化に努め、他方、下野した板垣退助・江藤新平らは、「民選議員設立建白書」を発表し、自由民権運動を開始して、政府に対抗した。江藤はその直後に勃発した佐賀の乱に巻き込まれて刑死する悲運にあっていた。そのことは、前に2月4日「佐賀の乱」起るで書いた通りである。自由民権運動には士族反乱も交錯していた。鹿児島に引退していた西郷は朝野(朝廷と民間。政府と民間。官民)両派から超然とした立場を保持していたが、その一挙一動は全国から注目されていたのである。
西南戦争後の日本帝国が隆盛に向かったため、西郷らは、保守反動として片付けられ、彼等の敗北が近代国家成立に必要なことだったとされてきた(※以下参考に記載の「明治・その時代を考えてみよう」の■地租改正から西南戦争へ「「台湾の役」について」参照)。
しかし、もし、西郷軍が勝利して政権をとっていれば、少なくとも民衆不在の政治、官僚専制、そして、西郷が強く否定していた無制限な軍備拡張などといったことは無かったかも知れないとする説もある。西郷が、明治5年の段階で「民選議院設立建白」の口火をきったことなどを考えると、恐らく早い時点で明治憲法よりもはるかに民主的な憲法や民法ができ、第二次大戦なしに我々の父祖の代から民主的社会制度が出来ていたかもしれない。
福沢諭吉が西郷を悼(いた)んで書いた『丁丑(ていちゅう)公論』 において緒言において、政府が専制になるのは当然の事とし、これに「抵抗する精神」の重要性を説く。さらに、「今、西郷(さいごう)氏は政府に抗するに武力を用いたる者にて、余輩(よはい)の考(かんがえ)とは少しく趣を殊(こと)にするところあれども、結局その精神に至ては間然(かんぜん)すべきものなし」、つまり「西郷隆盛は武力で政府に抵抗した点で、私とは考えが異なるが、その抵抗の精神においては非難すべきものはない」と述べて、武力で政府に反抗した点は評価しないにしても、西郷隆盛の「抵抗の精神」を賞揚している。また、政府が西郷の官位を剥奪した途端、新聞が一斉に非難を始めたことに対して、「新聞記者は政府の飼犬に似たり」と述べて、新聞の論調が誹謗中傷の一色になったことと、それに迎合する世論に対して反論する。
そして、本文において、「そもそも西郷は生涯に政府の顛覆(てんぷく)を企(くわだ)てたること二度にして、初には成(な)りて後には敗(はい)したる者なり」、すなわち「西郷は生涯に政府の転覆を2度企てて、最初の明治維新は成功し、2度目の西南戦争では失敗した者である」として、西郷を明治維新の功労者であって忠臣として賞賛し、同時に西南戦争の首謀者であって逆賊として非難することは、ダブルスタンダード(公平でない考え方、不当な区別)であるとする。最期に、「西郷は天下の人物なり。日本狭しといえども、国法厳なりといえども、豈(あに)一人を容るるに余地なからんや」、すなわち「西郷は偉大な人物である。国の法がいかに激しいものであっても一人の人物を受け入れる余地はなかったのか」と述べて、西郷の人物を惜しみ、いつかこの人物を起用する時もあったはずであると結んでいる。
現代の日本のいい加減な政治に対して、何も西郷のように、命を懸けなくても良いが、政治生命をかけてでも対抗してくれる人は出てこないものだろうかね~。民主党もその党首も余りあてにならないが・・・。それに、マスコミ・・マスコミはなんだかんだといいながら、何時の時代も政府に尻尾を振るのは変らないようだね~。それに迎合する世論・・・。日本人と言うのは何時まで経っても、何も変らない民族ということか???
(西南戦争・鹿児島暴徒出陣図 月岡芳年画。フリー百科事典Wikipediaより)
西南戦争-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/西南戦争
士族の反乱
http://www.geocities.co.jp/NeverLand-Mirai/5070/kindai/seinansensou.html
Category:士族反乱-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E5%A3%AB%E6%97%8F%E5%8F%8D%E4%B9%B1
西南戦争の部屋
http://seinan1877.hp.infoseek.co.jp/
[PDF] 西南戦争における西郷隆盛と士族
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48351/1/68_1.pdf
中津藩
http://jpco.sakura.ne.jp/shishitati1/kakuhan-page1/105.htm
天賦人権説
http://www.tabiken.com/history/doc/M/M239R100.HTM
河伯洞往来 著者: 玉井史太郎
http://books.google.com/books?id=C3fAKxiq-_wC&pg=PA95&lpg=PA95&dq=%22%E4%BA%BA%E6%B0%91+%E5%A4%A9%E8%B3%A6+%E3%81%AE+%E6%A8%A9%E5%88%A9%22&source=web&ots=WwgKucMdsn&sig=TSmDIssBujQgeEo8VvcgYwSKJ1A#PPA96,M1
近世日本国民史 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%B8%96%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%8F%B2
明治・その時代を考えてみよう
http://homepage2.nifty.com/kumando/index.html#top
明治憲法実録
http://www.geocities.jp/somohompo/meiken/index.html
政変は誰のために
http://www.asahi-net.or.jp/~bh3h-smjy/rekisi/mei6.htm