今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

梅田コマスタジアム

2004-11-16 | 歴史
1956年の今日(11月16日)は、大阪に梅田コマスタジアムが開場した日。
1956年4月、京阪神急行電鉄(株)(現阪急電鉄)株主への割当て募集により(株)梅田コマ・スタジアムを設立 し、同年11月、梅田コマ劇場、コマ・ゴールド劇場、コマ・シルバー劇場の3劇場を開場した。(同年12月に開場した新宿コマ劇場は別会社の【株】新宿コマ・スタジアムが設立したもの)
1992(平成4)年9月に、 梅田コマ・スタジアムを北区茶屋町へ移転に伴い梅田コマ劇場、コマ・ゴールド劇場、コマ・シルバー劇場などは閉鎖したが、梅田コマ劇場は、同年11月 「劇場飛天」と名を改めて開場した(この年シアター・ドラマシティ竣工)が、初期の目的を達成できず、入場客数も落ち込んだため、2000(平成12)年4月「劇場飛天」は名称をもとの「梅田コマ劇場」に戻した。しかし、その後も経営不振は続き、阪急電鉄グループが、2004年07月28日、経営再建中のグループ会社(株)コマ・スタジアム所有の「梅田コマ劇場」及び「シアター・ドラマシティー」の資産を2005年3月31日付けで取得し、2005年4月1日より、新たに、梅田コマ劇場及びシアター・ドラマシティーの両劇場を総称して「梅田芸術劇場」とし、現梅田コマ劇場を「メインホール」に改称。現在の梅田コマ劇場に約2億円を投じて、クラシック・コンサート等の開催に相応しい音響レベルを確保するための音響反射板を新設して、貸館サービスを行い、クラシック、オペラ、コンサート等、多彩な公演の招聘を図っていくという。「シアター・ドラマシティー」の名称は引き続き使用するらしい。メインホールでは宝塚歌劇を開催し、宝塚大劇場で同時期に行っている公演とは異なる演目の上演を予定している由。
今までの(株)コマ・スタジアムも引き続き年間4ヶ月程度、当ホールを賃借するかたで公演するとか。
梅田花月、中座、そして近鉄劇場もなくなり、又、梅田コマ劇場までなくなるのかと心配したが、兎に角、阪急グループの手で、新しい芸術劇場として再生するのは喜ばしいことだ。
35年間劇場として西日本一の観客を集めてきた大坂・キタの「梅田コマ劇場」が、阪急不動産茶屋町ビルに移り、コマ劇場の1.5倍の広さ、東京帝国劇場の9mを越える11mの高さをもつ日本一の舞台となり、名称も「劇場飛天」と改め、大衆演劇から脱皮し、大阪の演劇のルネッサンス(復興)を目指し、こけら落としも森繁久弥らによる「孤愁の岸」の豪華な演目で、華々しく幕開けしたが、その分料金も高くなり観客数が激減。バブル崩壊や阪神大震災の直撃もあったが、目的は達成されず挫折。1992(平成4)年に、名称も元の「梅田コマ劇場」に戻し、入場料もかってのレベルまで、引き下げ、観客の呼び戻しを図ったものの、これも、上手く行かず経営が悪化し、先に述べたような結果になったのであるが、今度こそ、成功してもらいたいものだ・・・・。
参考:
(株)コマ・スタジアムからの劇場資産取得並びに劇場運営会社の立ち上げ
http://www.hankyu.co.jp/ir/data/200407282N4.pdf
コマ・スタジアムホームページ
http://www.koma-sta.co.jp/
シアター・ドラマシティ
http://www.dramacity.co.jp/