今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

洋服記念日

2004-11-12 | 記念日
今日(11月12日)は「洋服記念日」
1872(明治5)年、「礼服ニハ洋服ヲ採用ス」という太政官布告が出され、軍人や警官に続き文官の礼服にも洋式が採用され、それまでの公家風・武家風の和服礼装(裃や束帯)が廃止され、政府役人に大礼服、通常礼服の着用が義務づけられる事となった。この日を記念して、1929(昭和4)年に、東京都洋服商工協同組合が、1972(昭和47)年に全日本洋服協同組合連合会が、この日を「洋服記念日」と定めた。しかし、この時の太政官布告では男性の礼服が洋装とされただけであり、女官服に洋服が採用されたのは1886(明治19)年のことだそうである。
 1853年のペリー来航 以来、欧米人の来航が頻繁になり、西洋文化の先進性を見せつけられた日本人は、今までは一部の蘭学生、医師、その他出島にいるオランダ人とともに生活している人々の中で模倣されていた服装が武士、町人など新思想の人々に部分的に取り入れられるようになった。そして、1855年、オランダ政府が海軍伝習派遣部隊を幕府に献納。日本から参加した勝麟太郎(勝海舟)他170名の伝習生たちの制服として、オランダから洋服が輸入された。
1859年、横浜が開港。幕末の動乱期、尊攘派と開国派の対立が深まるにつれ、洋服を着用する人が暗殺の対象となり、洋装は一部の武士を除いて敬遠される時期が暫く続いた。また、幕府による部分的衣服禁止令(急進的な異国への傾倒を牽制するため)も発令されたが、軍事訓練の必要から服装を改良、実情を考慮し幕府艦乗組員(御軍艦方)に対する洋服着用禁止令の解除が行われ、1861年、武家服装の長裃廃止、洋装化が本格的に始まった。
1864年 には、第一次長州征伐の為の軍装作りなども有り、この頃から、足袋屋や仕立屋の職人など、日本人の手で洋服が作られるようになったという。そして、1867年、大政奉還。1872(明治5)の太政官布告に至るというのが、大まかな日本の洋服史のようである。
神戸は、1868(慶応3)年に開港し、王政復古は神戸で外国に通告(慶応4年)された。同時に、外国人居留地が設定され、この居留地に移住してきた外国人によって、洋風文化がもたらされたが、1869(明治2)年に、英国人カペル氏が居留地16番地に開店したのが神戸における洋服店の起こりである。そして、日本人では同年に泉小十郎が開業したのが始まり。又、明治16年には、日本初の注文服店「柴田音吉洋服店」が元町に開業し、伊藤博文や昭和天皇の洋服も仕立てたという。(現在4代目が引継ぐ)
以来、地元神戸や、近郊の修行者の他に、開港神戸の名に魅せられて集まってきた従来の仕立て屋、足袋職人からの転職者達が多く就業するようになり、神戸の近代洋服隆盛の基盤が築かれた。神戸は洋行基地、また帰朝の玄関口となり、ヨーロッパ先進国の流行がそのまま上陸した為、ハイカラムードは極めて自然に市中に浸透し、特に神戸の紳士服は、ファッションの最先端として、洋行帰りのトップクラスの人に受け継がれた。中でも、オーダーメイドで仕立て上げられる紳士服のデザイン技術は日本でもトップレベルであり、「神戸洋服」と言われる固有名詞が生まれるまでになった。、昭和48年には、東遊園地(中央区)に「日本近代洋服発祥の地」顕彰稗が建立されている。
参考:
東京都洋服商工共同組合
http://www.yohfuku.or.jp/index.html
神戸元町商店街/元町点描
http://www.kobe-motomachi.or.jp/cont06/tenbyo-08.html
大礼服の制定とその推移,服業界記者クラブ「日本洋服史刊行委員会」発行
「日本洋服史 一世紀の歩みと未来展望」から抜粋
http://www.setsunan.ac.jp/~tosho/external/daireifuku/daireifuku.htm