今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

阪神タイガース記念日

2004-11-02 | 記念日
11月2日は「阪神タイガース記念日」。タイガース後援会等が制定。
1985(昭和60)年、日本シリーズで阪神タイガースが西武ライオンズを破り、38年ぶり、2リーグ化後初の日本一になった。
1934年末の大日本東京野球倶楽部(球団名東京巨人軍=現、読売巨人)設立をうけて、阪神電気鉄道が球団を設立し、1935年12月10日、松木謙治郎、藤村富美男らを集めて、大阪野球倶楽部(球団名大阪タイガース=現、阪神タイガース)を発足させる。翌年若林忠志、景浦將等を入団させ、沢村栄治擁する東京巨人軍と熱い戦いを展開。戦前・戦中は常に巨人と優勝争いを繰り広げた。その後戦局も悪化紆余曲折もあったが、戦後の1946(昭和21)年リーグ戦再開。1947年には、若林が選手兼監督としてMVPを受賞する活躍をみせ、戦後初優勝。1番打者・呉昌征から始まる金田正泰、藤村富美男、土井垣武などの強打者を並べた打線は「ダイナマイト打線」と呼ばれた。その後、新球団加盟問題のトラブルなどから、多くの選手が他球団に引き抜かれ低迷を続ける。
1961(昭和36)年、社名・チーム名とも今の「阪神タイガース」に変更。
翌1962年、前年途中より監督に就任した藤本定義の下、小山正明、村山実の両エースの力投と吉田義男、鎌田実らによる守りの野球で2リーグ分裂後では初となる通算5度目の優勝。そして、 1964年にも、小山正明と山内一弘の世紀の大トレードを成立させ打撃を強化、守りの面では、バッキーらが小山正明の抜けた穴を埋め、戦後2回目の優勝を果たしたが、その後は、讀賣ジャイアンツの9連覇などもあり、2位に終ることが多く、ファンの期待を裏切り続けた。
次に、リーグ優勝を果たしたのは、21年ぶりの1985年(戦後3回目)のことである。1番・真弓明信、3番・ランディ・バース、4番・掛布雅之、5番・岡田彰布の強力打線に中西清起がリリーフ投手として大車輪の活躍をした。(バース3冠王。最多セーブ投手、最優秀救援投手に中西清起 )そして日本シリーズでは西武ライオンズと対決、4勝2敗で38年ぶり、リーグ分裂後初の日本一に輝いたのである。(11月2日)
しかし、その優勝からわずか2年後の1987年には最下位となり、長期間不振な成績がつづき、「ダメトラ」などと呼ばれ続けていたが、昨2003年、星野新監督が、開幕より快進撃を続け18年ぶりのリーグ優勝を果した。しかし、星野監督が体長を崩し、今年は、岡田新監督の下に、2連覇なるかと期待を持たせたものの・・・残念な成績に・・・又・・・嫌な予感が・・・・。
(※写真は、コレクションより、阪神タイガース50周年記念「がんばれタイガース」レコードジャケット)
参考:
阪神タイガース公式HP
http://www.hanshintigers.jp/
げんまつWEB タイガース歴史研究室~猛虎歴研~
http://www.jttk.zaq.ne.jp/genmatsu/
1985年・阪神タイガース成績表
http://home.catv.ne.jp/ss/y-k/1985.htm