今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

第1回ドラフト会議

2004-11-17 | 歴史
11月17日
1965年(昭和40年)の今日(11月17日)、日本のプロ野球で、第1回ドラフト会議が開かれた。ドラフト会議とは、正式名称を「新人選手選択会議」と言い、日本のプロ野球球団が、アマチュア選手との契約交渉権を獲得するために行う会議のことであり、社団法人日本野球機構が主催する。
ドラフト会議という制度は1964年まではなく、プロを希望する選手は球団と交渉し、自分の希望する球団に入ることが出来た。しかし、人気のある球団に入団希望選手が集中し、弱い球団には人が集まらず、人気球団はますます強く、弱い球団ははますます弱くなるという状態が発生すると同時に、選手獲得のための契約金が年々高騰化することとなった。
ドラフト会議はリーグ全体の発展の為に、各球団に有望選手を分散させ、各チームの均等を図ろうとするものであるが、契約金抑止の狙いもあっただろう。しかしこの会議があることで、球団経営に余り熱心ではない球団が、余り選手獲得の努力をしなくてもクジ運だけで有望選手を獲得しようとするような弊害も出てきた。又、プロを希望する選手も、「くじ引き」により球団を決められるのを不満とし、逆に選手の方が入団したい球団を指名するようになるが、選手が希望していない球団が、強行指名して結果的に選手から入団を拒否され、大学や、社会人野球に行くという事態が多発するようになる。
そこで、1993年からは大学生、社会人(2年以上)選手に限り、1位、2位の選択を希望することが出来る「逆指名制度」が採用された。(同年に「FA制度」も導入)だが、高校生にはこれらは適用されず、従来からの抽籖方式のままとなっている。そして、2001年以降「自由獲得枠」に変更され(1チーム最大2名)今日に至っている。このことにより、再び戦力の均等化は難しくなってきた。
なお、1978年のドラフト会議において読売ジャイアンツが、ドラフト会議に関する規約を強引に曲解し『空白の一日』説をぶちあげて強引に江川卓の入団発表を強行した・・・。所謂、江川騒動は日本ドラフト制度史上最大の事件であった。
当然、巨人の無茶苦茶なやり方に対して、リーグは巨人の届け出を拒否したが、それに対して、巨人が、西武を誘って新リーグを設立し、その際他の2~3の球団が追随して、球界再編になるのではと大騒動をし、結果的には、ドラフト会議で、阪神が江川を指名し、当時のコミッショナーが「江川は阪神に入団して巨人にトレードで移籍する」というとんでもない裁定を下した。そして、可哀想にも、巨人のエース小林繁投手が阪神江川との交換トレードの犠牲者にされてしまった。この事件では、巨人ファンも含め、多くの人々からの批判が集まり、金子コミショナーは辞任したが・・、読売新聞ただ一社、一貫して巨人擁護記事を書き続け、ファンおよび購読者の離反を招くことになった。
・・・、この事件、今年の近鉄とオリックスの合併問題から、ひいては、「2リーグ維持か1リーグ移行かの再編問題で揺れているプロ野球界」。場合によっては巨人がセリーグからパリーグへ移るかもといった話となんか、似ていると思いませんか・・・?
巨人が明治大エースに対して現金を渡していたことで、渡辺恒雄オーナーが球界から去り、その後他球団でも同様のことが・・・。新人選手の獲得には巨額の裏金が動いていたであろうことは、今回の不祥事からも「氷山の一角」と推測される。その背景は、人気と資金力のある球団に有力選手が集中するドラフト制度の仕組みに問題があるのだろう。
※16日の朝日新聞朝刊に、「最年少15才指名か」と言う見出しの記事があった。カリフォルニア州サンタアナのマタディーハイスクールに在籍中の辻本投手(神戸市出身)、12歳で渡米、今高校を休学して日本に帰国中の15才の選手が、今日17日のドラフト会議で指名されればドラフト制ができて65年以降最年少選手となる。日本の高校生ならダメだが、彼は米国の高校生だからドラフトが適用されるのだろう・・・どうなるか注目したい。
参考:
スポーツCENTURY(SANSPO)
昭和53年11月21日ドラフトの“不備”つき電撃入団…日本中を敵に回した怪物
江川空白の一日…52年“合法的チャンス”あえて使わず
http://www.sanspo.com/morespo/century/century0035.html