2024/09/27
『キンノヒマワリ 中村紘子の記憶』
の感想の続きを書くつもりでいますが
その前に
私のなかでの中村紘子(敬称略)
の記憶を書いておきましょう。
もちろん直接話したことはないのですが
コンサートと公開レッスンで2度
彼女を見ているのです。
静岡時代に静岡市民文化会館で
行なわれたリサイタルを見に行きました。
25∼30年前のことではなかったかしら。
前から2番目の席で間近に見ることができました。
一緒にいた友だちと話したことも覚えています。
「こういうリサイタルではピアニストの体調が気になるのよ。
今日は調子はどう?ちゃんと弾ける?って思っちゃう」
と私は言ったのです。
そうしたら友だちは目を丸くして
「そんなふうに考えたことはない。心配性なんだね」
と言われて…。
(ああ、そんなこと思うのは私だけ?)
出演者の体調とか、準備とか進行とか
舞台裏の段取りがスムーズにいくか
そういうことが気になってしまうタチなのです。
(まあ、それはいらぬ話でした。)
この時彼女が何を弾いたか
覚えていないのですが
力強く、男性的に感じる演奏だった
ことは覚えています。
2回目は静岡にある私立短期大学に
彼女がピアノの公開レッスンに来た時に
一般聴講生として参加したのです。
海外(東欧だったか)のコンクールで
入賞した学生が
ショパンのスケルツォ2番を弾いたのです。
そのときに
「あなた入賞なんてよくやったわね。えらい。」
と褒めていたことが印象的でした。
指導の感じは、NHKで見ていた
『ピアノとともに』そのままでした。
とても上品な話し方。
ピアノとともに(講師:中村紘子):初回「バラード第1番」(ショパン):その1
『キンノヒマワリ』にも書かれていますが
中村紘子は若手の教育に力を注いだ人でした。
こんなことを書いています。
『ピアニストだって冒険する』より
〈ピアノやヴァイオリンといった演奏分野は、大脳生理学からいっても非常に若い年代で完成を見る分野である。いま世界的に活躍している演奏家たちの殆どは、実は10歳になるかならないかの年齢で基本的に完成してしまっているのである。高校や大学に入って、あれこれと技術を磨き直しているようでは、もう遅い。〉
1996年から中村紘子は浜松ピアノアカデミーで
若手の指導を始めていました。
多くのコンクールの審査員になって
日本人と欧米やロシアの参加者の違いは
日本人には「響きがない」「音が硬い」ことに
日本人と欧米やロシアの参加者の違いは
日本人には「響きがない」「音が硬い」ことに
気づいたと言います。
それは古風な日本流ピアニズムを
身につけていることに彼女は気づいたのです。
それは古風な日本流ピアニズムを
身につけていることに彼女は気づいたのです。
若手を育てることに大変な情熱を
注いだのでした。
韓国のトンヨンで
15歳のチョ・ソンジンを見つけ
浜松ピアノアカデミーに招いて育成して
彼は浜松コンクールで優勝した後に
21歳でショパンコンクールにも優勝したのです。
藤田真央君もこのアカデミーで学びましたね。
日本音楽コンクールに優勝した頃
1959年 15歳
(本書よりスマホ撮りです)