はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

フィギュアスケートのアサイン出ました

2021年06月30日 | フィギュアスケート

2021/06/30

 

2021年グランプリシリーズに出場する日本代表選手が発表されました。

もうそんな時期なんですね。明日は7月1日、フィギュアスケートの新年です。

 

 

選手の皆さん、体調に気をつけて力を発揮してきてください!

羽生選手は、NHK杯とロステレコム杯に出場。

NHK杯(11月12~14日)は代々木体育館ですから行きたい。

ロステレコム(11月26~28日)はソチなんですって。これは羽生さんにとってはいい思い出のある懐かしい場所ですよね。

グランプリファイナルは大阪、東和薬品RACTABドーム(12月9~12日)。

12月の全日本(12月22~26日)は埼玉スーパーアリーナです。

今年は行ける場所が多い。チケットが取れたら行きたいですね。

 

そういえば、DOI(ドリームオンアイス)のチケットが10倍以上の値段で取引されていたようです。それでDOIの事務局もやっと、入場には本人確認の身分証明書の提示が必要と明記してくれました。

チケット販売のときから、入場の際には本人確認を徹底すると明記してくれると、転売屋の買い占めが減って、当選の確率が上がるかもしれません。

私もチケット取りを頑張ります(頑張り方がわからないので、運に任せます)。

 

 

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クラシックTV   You Tubeと音楽~インスト最前線~

2021年06月30日 | ピアノ

2021/06/30

 

清塚信也さんが司会をしているクラシックTV(Eテレ 毎週木曜夜10時)を、毎回録画して見ています。

https://www.nhk.jp/p/classictv/ts/14LJN694JR/

清塚さんはトークがうまくて、マルチな方ですね。お笑いのツボも心得ている(笑)。クラシックの知識もいただけて、きれいなピアノ演奏も聴けて毎回が楽しみ。

 

24日のYou Tuberの回はことにおもしろくて、普段、You Tubeで見ているピアニストたちがテレビに勢ぞろい。

すごい実力の持ち主ばかりで、さらに全員のファンになりました。

クラシックの基礎を持ちながらも、みんな超絶技巧でアドリブ演奏もうまい。着信音的メロディを耳コピして、即座に自分の曲として演奏してしまう。

今はこういう人たち出てくる時代なんだなあと、ただただ感心して見ていました。

NHK+で放送を配信中です。

(7月1日で終了しました)

https://www.nhk.jp/p/classictv/ts/14LJN694JR/episode/te/YMLMZ9W1R3/

 

 

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半年、使い続けたキッチンスポンジ

2021年06月29日 | 我が家

2021/06/29

 

今年のお正月に息子がくれたキッチンスポンジ。

汚れがつきにくく、泡立ちや水切れがいいので使ってみて、ということで、ネット注文してくれたものです。

サンサンスポンジ

 

使い始めのとき

 

 

半年後

多少使用感はありますけど、半年間、毎日必ず朝昼晩と3回使ってこの状態。

破れてもヘタってもいません。今まで使っていた100均のスポンジは1ヶ月でダメになりました。

鍋もフライパンも洗うし、けっこう力を入れてゴシゴシしたこともあります。(鍋を焦がしたときね)

たいして高いものでもないのに、こんなに持ちがいいとは優れモノですね。

泡立ちや水切れがよく、汚れがスポンジに残りにくい点が一番いいと思います。
 
 
黒を買いましたが、きれいな色もあるようです。
 
 
 
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『街場の親子論』続き

2021年06月28日 | 

2021/06/28

 

『街場の親子論』の続きです。

 
高橋源一郎さんが、この本について紹介しているラジオ(NHK大人の教養講座)がありました。聴いてみると、私の感じ方とはかなり違ってました。
 
ラジオ放送はこちら ↓ 5:30頃からです。
 
 
 
高橋源一郎さんは、内田氏と共著を出したこともあるので、実際の親子のことをご存じなのだろう、そこから出ている感想もあるだろうな、と思って聞いていました。
 
それによると、これは父親が娘を教育する物語だということ。
 
るんちゃんは素人で、初めは書くことに不慣れでとても困っていた。親子といえども、お互いのことがわからなかった。しかし往復書簡を交わす1年間の間にるんちゃんは著しく成長した。
 
お互いを理解できて、さまざまなことに了解がついて、最後の書簡にはもう自分たちのことは書かないで、内田氏は自分の父親のこと、るんちゃんは祖母のこと(内田氏の母親)のことを書いて終わっていた。
 
手紙というのは、思いつくままに書くのだけれど、たぶん意図せずに偶然、父娘ともそうなって終わった。これがすごいという。
 
源一郎さんは小説家だから、この往復書簡を1つの物語として全体の構成まで見ている。その視点はなるほどと思いました。
 
私はるんちゃんが最初は書けなくて困っていた、というのが感じられなくて(実際、そう書いてありましたが)、最初、読んだときから、この人は書ける、と思ったのです。ストレートでやや辛辣な語り口が好もしい。この父にしてこの娘あり、というのが私の感じたことでした。

 

おもしろいと思ったところを抜き書き、引用します。

・・・・・

内田(父):自分は親から情が薄い、要領がいいと言われてきた。 あんたはこういう子だよと断定的に言われると、子どもはそれに合わせて自分を造形してしまう。(P.63)

娘:「親の言葉」ってはずみで出てきたような些細な放言でも、子どものほうは深く囚われてしまって、人生の方向性を決めてしまったり、生涯苦しんだりしてしまう。(p.73)

 

これは本当にそう思います。私自身、親に言われた言葉で自分を限定してしまったことがあり、親としても気をつけなければと思いますね。

・・・・・

父:自分は「共感性が低いキャラクター」。

精神科医の名越康文さんに「内田さんはサイコパスですよ」と言われた。(p.65)

少年たちのどういうふるまいが少女たちから見て「好ましい」もので、どういう振る舞いが許せないのか、どの辺が「あと一息」なのか、『若草物語』(オルコット)を読むことを通じて学習した。(p.68)

女の子の眼から男の子を見るように自分自身を見れば、自分の感情を制御する方法がわかるんじゃないかと思った。(P.68)

ぼくの「素のまま」を出しても理解されない。だって変な人だから。でも、「素のままの自分を丸出しにしても理解されないので困っている」という困惑のかたちには一般性がある。そういう人たくさんいますから。(p.69)

自分をそのまま出してもわかってもらえないので、わかってもらえるように、ちょっと遠くから眺めて「こういう人いますよね」というかたちで取り出してみる。(P.69)

自分のことを語る時、ほとんどの人は「説明不足」になります。自分のことを自分はよく知っているから。だから説明を省いちゃうんです。それだとわからない。(p.70)

自分のことを人にわかってもらおうと思ったら、仮説的に「他人の耳で聴く」「他人の眼で読む」という工程をひとつ挟む方がいい。(p.71)

 

・・・・・

 

国会議員が失言を咎められると、「誤解を与えたなら謝罪する」という定型的な言い訳をすること、あれも文章そのものの意味ではなくて、「私は謝らない(だって心に思っていたことを言っただけだし、これからも同じことを言い続けるつもりだから)」というメタメッセージのほうがずっと優先的であって、聴いている方だって、そう聴き取っているんだと思います。

あれはるんちゃんのいう通り、「身内」向けに「ヘヘヘ、オレ、謝ってないでしょ。タフでしょ、オレ」って言ってるんです。

日本人のメッセージでは、コンテンツよりも、それを差し出す時の発信者が「誰か」に対する親疎を示すことのほうが大切なんだと思います。(p.215 )

・・・・・

こんなふうに捉えたことはなかったけれど、おもしろいこと言ってますね。

 

前回はこちらです。

https://blog.goo.ne.jp/yoshieri/e/e810fde87eca02b3c051620a2d9ddec6

 

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『街場の親子論』内田樹X内田るん

2021年06月27日 | 
2021/06/27
 
内田樹氏と娘・るんちゃんの往復書簡の形をとった「父と娘の困難なものがたり」です。
 
 
 
この本はほんとうにおもしろかった。
私は、いつも内田氏の本はおもしろいと言っていますが、これもそうなんですよ。
 
私の興味は、結局人に関する興味で、どんな家庭で育ったか、どんな子ども時代を経験したか、それでどんな大人になったのか、ということなんだと思っているのです。
 
この本の内容ですが、ほとんどの人は、親がいて家庭生活の経験があるわけで、自分の経験に置き換えることができると思うのです。共感したり、比べたり、新しい発見をしたりと、自分の身近に感じられると思います。
 
だからこそ、この本はおもしろかった。1回1回の手紙に様々な感想が湧いてきて、それを書き出すときりがないほどです。
 
 
読む前、離婚した内田氏がるんちゃんをひきとったということを、なぜ父親だったのだろう?と思ってました。
母親になにか親権者になれない原因があったのだろうか、と考えたりしていたのでした。
 
それについては、両親は6歳だったるんちゃんの意見を尊重したのです。両親は、「どちらについていきたい?」とるんちゃんに聞いたのです。
 
るんちゃんは、自分がついていかないと、お父さんは何もかも失ってダメになってしまうと思ったので、お父さんについていったと書いています。
 
〈あのときお父さんは「お母さんの所へ行ったら、もう俺、るんちゃんと会えないかもしれないんだよ」ってワーワー泣いたんだよ。だから私、「わかった。じゃあお父さんと暮らす」って。そうすれば、両方と縁が繋げると思ったから。〉
 
るんちゃんに気持ちを聞いた両親も偉いと思うし、母親っ子であったというるんちゃんが、お父さんを助けるためにお父さんを選んだというのが、いじらしい。
 
子どもって、そうなんだよなあ、よく見ているし、状況がわかっているものなんだ。
 
でも、るんちゃんはこの自分の選択を後になって後悔するのです。それは女の子だから母親がいないと困るということもあったでしょうが、もう少し複雑な気持ちがあったようです。
 

〈「ママがいなくても、私とお父さんだけでも、なんとかなるわ」と本気で思っていたのです。お風呂に入れるのも、髪を洗って乾かすのも、お天気に合わせて私の服を選ぶのも、遊びに行った先の友だちの家に電話を入れてくれたりと、社交のフォローをするのも、すべて母がやってくれていたのだと、それまで気づかなくて…。〉(P.95)

 
〈両親のフォローに回れず離婚に至らせてしまったことすら、私の「かすがい」役の足りなさ、言ってみれば「管理不行き届き」という意識もあり・・・その上、あんなにもお父さんに苦労を掛けてしまったことで、すっかり自信を失ってしまいました。〉(p.98)
 
〈当時、離婚して精神的にショックを受けて、瀕死の子犬のようだったお父さんを哀れに思い、私はできるだけ自分の意見を譲っていました。でもお父さんは「小さなわが子が自分のために自分を押し殺している、自分がそうさせている」と、余計に自信を失ってしまった。〉(p.230 )
 
〈お父さんを憐れんで嘘八百をついた負い目がある〉とも。
 

これに対して内田氏は〈るんちゃんを傷つけるようなことをした時にも怒りや悲しみの言葉を自制してくれたことをとても感謝している。〉(P.86)と書いています。

〈これから自分が一人で育てるのかと思うと、その責任の重さに呆然として、眠れない夜中に、本当に必死になって神様に祈ったことがあります。

取りあえず僕の思い通りになるように「噓をついていた」というのを今になって聴くと「ごめんね」と「ありがとう」の両方の気持ちです。〉(P.237)

〈・・・そんなふうに思ってくれているなんてしりませんでした。 そういうふうに言ってもらえると、色々な後悔も、全部前向きに消化できる気がします。ありがとう。「お父さんを離婚のときにバッサリ捨てて、お父さん一人で身軽に新しい人生を再スタートさせてあげていたほうが、お互いのためだったのでは?」という不安はずっとあったのです。〉(P.253)

 
 
私は、子どもだった経験もあるし、親の経験もあるので、両方の気持ちがわかる。このあたりは痛みを伴って感じます。
 
一方、るんちゃんがお父さんについていくという選択をした時、お母さんはどんな気持ちだったろうかと想像すると、胸が痛むのです。
 
お母さんについては、ほとんど書かれていないし、不特定多数の読者に対して、家庭内のことをあれこれ書き連ねる必要もないと思います。しかし、小さな娘が父親についていくというのは、やはり母親としてはつらかったんじゃないかなと想像するのです。
 
と、まあこれはごく一部のところしか書いていませんが、感想は尽きないのです。
 
内田氏は、前から生活者目線があると感じていて、それが書斎派学者とは違うと思っていたのです。
それは、仕事をして、子育てもして、家事もしてという、父親役も母親役もこなさなくてはならなかったことからきているのかと思ったりしました。
 
婦人公論に親子対談が載っています。
 
 
また感想の続きを書いてみたいと思います。
 
 
 
 
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