はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

感染者が増えている

2020年07月31日 | 新型コロナ肺炎

2020/07/31

 

今日の東京都のコロナの感染者数は463人!

ますます増えていますね! しかも東京だけでなく全国的に増えています。感染経路不明というのが多く、じわじわと生活圏に広がってきています。

そんな状況なのに、日本のPCR検査の人口比での実施数は「世界で159位」。

「誰でも、いつでも、何度でも検査を受けられる」というふうにならないといけません。私たちだって、いつ検査を受けたいと思う状況に陥るか、わかりません。

世界各国の統計資料を分析しているウェブサイト「ワールドメーター」によると、29日現在の最新データでは、人口100万人あたりのPCR検査実施数で日本は215の国・地域中で159位となっています。

日本の検査総数は75万人近くに達していますが、100万人あたりでは5902人。主要7カ国(G7)のなかでは最低です。英国(14位)、米国(21位)、ドイツ(45位)などと比べ突出して低くなっています。

昨日、東京都医師会・尾崎治夫会長は記者会見を開いて、感染拡大防止に向けて国が金銭的な補償を伴う休業要請を行い、応じない場合は罰則を適用できるよう、新型コロナ対応の特別措置法の改正を政府に求めていく考えを示しました。

「良識のある国会議員のみなさん、コロナに夏休みはない。国会をひらき、国がすべきことを国民に示し、国民、都民を安心させてほしい」と早急な対応を訴えました。

 

〈会見では、新宿の歌舞伎町や池袋の繁華街をはじめとした感染が集中している地域向けの施策として、①休業補償を伴う強制力のある休業要請を地域限定で14日間ほど行う②その地域で集中的にPCR検査を実施し、無症状者も含めた感染者の洗い出しと対策を徹底する――ことなどを提言した。

 尾崎会長は、東京だけでなく愛知、大阪、福岡、沖縄でも感染者が急増していると指摘。「休業のお願いという(従来の)形のままだと日本全体が感染の火だるまに陥っていく。国が特措法を改正することが全国の火だねを消す唯一の方法だ」と危機感をあらわにした。

PCR検査の拡大についても、「保健所中心(の いまの態勢)では能力的に無理。大学や研究所などを動員してしっかりやることが大事で、感染症法の改正が必要になってくるかもしれない」などと述べた。〉(朝日新聞)

東大の児玉龍彦教授や山中教授は、大学には検査能力があるから、大学を使うべきだと前から言っています。

7月16日のニュースですが、

[東京 16日 ロイター] - 東京大学先端科学技術研究センター名誉教授の児玉龍彦氏は16日の参院予算委員会(閉会中審査)で参考人として発言し、新宿区に新型コロナウイルスのエピセンター(感染集積地)が形成されつつあると指摘した。感染拡大防止に「国の総力を挙げないとニューヨークの二の舞になる」と述べ、大規模なPCR検査の実施などを通じて制圧することが急務だとの認識を示した。杉尾秀哉委員(立憲・国民、新緑風会・社民)らへの答弁。

外出自粛を呼びかけるステイホームでなく、「遺伝子工学・計測科学を使った(感染者の)制圧が重要。致死率は時間と共に上昇する」と懸念を示した。

その上で「責任者を明確にしてトップダウンで前向きの対応が必要」として、「今すぐ国会を開くべきで、今する対応は来週する対応の百倍の価値がある」と提言した。

https://www.newsweekjapan.jp/headlines/world/2020/07/284704.php

 

政治家のトップにこの声は届くんでしょうか。特措法のための臨時国会は開かれるんでしょうか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Summerだったのね

2020年07月30日 | ピアノ

2020/07/30

 

ラジオから流れていた曲に、ふと耳を澄ましました。

「あ、この曲懐かしい~ 隣のアヤちゃんが弾いていた曲だ!」

静岡に住んでいたとき、隣のアヤちゃんが弾いていた曲。聴こえてくるんですよね。その時は特に気にも留めなかったし、題名を知ろうとも思わなかったのですが、何回も練習しているのを聴くうちに覚えてしまいました。

その曲がラジオから流れていたので、「この曲の題名がわかるかも」と待っていると、清塚信也さんの弾いている「Summer」という曲だったのです。

清塚さんの演奏だったことにも少し驚いて、「Summerという題だったのね」という、今さらながらの納得。

 

2つの動画を貼っておきます。

作曲者は久石譲さん。映画「菊次郎の夏」のテーマソングだったのですね。

 

清塚さんの演奏のほうは、ラジオで聴いたのより、もっと自由にアレンジして演奏して素敵です。

 

そういえば、今は真夏なんだなあ

西日本は酷暑になったようですが、まだ東京は真夏というには涼しいです。

コロナのこともあるし、夏だ!太陽だ!という感じが少ない今日この頃です。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベランダのようす

2020年07月29日 | 花・植物

2020/07/29

 

ゴーヤが大きくなっています。

ツルがぐんぐん伸びてきたので支柱を立てたのですが、いかにも雑な感じですね(笑)

今、ベランダの花は少ないのです。

というのも6月に花にハダニが発生してしまったのです。

ハダニ用のスプレー殺虫剤やオルトランを土にまいたので、今はいなくなりましたが、狭いベランダでもこういうことがあるのですね。買った花苗にくっついてきたのでしょうか。

それでペチュニアやペンタス、インパチェンスがあまり咲いていないのです。

今咲いているのはブルーサルビアくらい

派手でない小さな花もかわいいです。

ベランダに緑があるのは癒されます。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

健康体操に参加

2020年07月28日 | 健康

2020/07/28

 

7月も終わりごろになったのに、梅雨があけないで蒸し蒸しする今日この頃ですね。

ひろばで行われた単発の健康体操に参加しました。

講師の先生は治療院の鍼灸師のかた。

高齢者向けのハードでない体操。音楽に合わせて体を動かすということでしたが、座ったまま、手をグーパーしたり、腿を上げ下げしたりするもの。頭は使いますね。

私も介護予防サポーターですから、講師の先生の話し方、間の取り方、選曲、体操の速度、資料の掲示など参考になりました。

わかりやすくて、急がないんです。

子どもたちの場合、飽きさせないように、スピード感をもって流れていくということを、いつも考えますが、高齢者の場合、せわしないのはついていくのに難しいだろうなあ。

こうして様々な講座に参加させていただくと、いろいろな経験ができますね。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徳岡孝夫著『五衰の人 三島由紀夫私記』③

2020年07月27日 | 三島由紀夫

2020/07/27

 

『五衰の人 三島由紀夫私記』感想の3回目です。

 

本書には三島由紀夫の妻・瑤子夫人のことも書かれています。

三島があのようなショッキングな亡くなり方をしたとき、家族はどんなだったろう、妻はどうしただろうと思っていました。

瑤子夫人は大学在学中の21歳で、三島由紀夫とお見合結婚をします。

恋愛結婚ならいざ知らず、大学を辞めて結婚するなんて、ずいぶん急いだのだなあと私は思いました。昭和33年(1958年)当時でも、中退して結婚するのはそれほど一般的ではなかったのじゃないかしら。

「瑤子夫人の死後の2011年(平成22年)に湯浅あつ子が証言したところによれば、杉山家との最初の面会の後、三島は縁談を断っていたのだという(理由は、娘が大学在学中にも関わらず、自分との縁談を急ぐ杉山元子夫人とその実家に、あまりよくない印象を受けたためとされる)。結局は瑤子の強い意志と要望で、両家の直の話し合いの末に結婚の運びとなったとされ、実は瑤子の方が三島に会って、すぐに気に入っていたのだという」(Wikiより)

『五衰の人』から瑤子夫人について書かれた部分を引用します。

(作者が)瑤子夫人に会った時も、故人のことは何も聞かなかった。瑤子夫人が決意をもって亡き夫の私事を守る人であるのを承知していた。

周知のように、三島さんは愛を前提としない結婚をした人だった。「結婚適齢期で、文学なんかにはちっとも興味をもたず、家事が好きで、両親を大切に思ってくれる素直な女らしいやさしい人、ハイヒールをはいても僕より背が低く、僕の好みの丸顔で可愛らしいお嬢さん。僕の仕事に決して立ち入ることなしに、家庭をキチンとして、そのことで間接に僕を支えてくれる人」(『私の見合い結婚』)という条件を出し、日本画家・杉山寧氏の長女と結婚した。(p.279)

瑤子夫人の言葉によると、

主人のこと、彼との生活のことについては、いままで1度も書いたことはありません。書く手法も知らないし、主人との昔からの約束もあります。こういう夫でございましたと妻が書いても、それはたかだか興味の対象になるくらいでしょう。私自身、そういうものを読むのが好きではないし、妻が書くことによって亡くなった人の姿を変えるすべもありません。書く意志もなければ書くこともできません。(「諸君!」昭和60年1月号)(P304)

 

「愛のない結婚をした」と書いてあります。三島の同性愛はよく知られたところですが、しかし母親の倭文重は世間並みの結婚を望んでいました。正田美智子さんとお見合いをした、という噂もこの頃のことです。

同性愛についてはまた後日書きたいと思います。

瑤子夫人は三島の名誉を守るため、子どもたちを守るため、そして著作権を守る活動などを精力的にされていたようですね。

 

本書で私が注目した部分を2つほど書いておきましょう。

2年ほど前(平成5年頃)、有名な評論家5人が座談会の形で明治以後の名著百冊を選んだ本が出た。小説もかなり入っているが、三島作品は1冊も採用されていなかった。

「三島はコント作家だ」「『豊饒の海』だって長いショートショートだ」「オチまで我慢してくださいという小説」・・・談笑のうちにボツにされていた。

三島は死後自分の文学は疎んぜられるはずだと見通した。(P.282)

 

私はこの部分を読んだときには、三島の本が1冊も入らないことはないだろうと、誰が選者だったのかと調べてしまいました。まあ、誰だったかは、ここには書かないことにします。

徳岡氏は「フラワーチルドレン達」と形容していますが、この時代の雰囲気がどうであれ、ノーベル賞候補にもなった、今も読み継がれている作家に、それはないなあと思います。しかし、あの事件がなかったら、もっと作品は尊重されていたでしょうね。

 

最後に、徳岡氏は書いています。

三島さんに近い人はなぜか急ぎ足に去っていく。(p283)

1972年、文壇の師だった川端康成氏の不慮の死(ガス自殺)72歳

1973年、市ヶ谷の駐屯地で人質になった益田兼利総監の病死 59歳

1976年、息子についての回想『倅・三島由紀夫』を書いた父の梓氏 82歳

1976年、三島と親しかった翻訳者・アイバン・モリス氏 旅行先のイタリアで急死 51歳

1995年、瑤子夫人 心不全で死亡 58歳 

1996年 平岡千之氏(実弟)肺炎で死亡 65歳

こうして並べてみると、両親は別として、三島と親しかった人はなぜか短命でこの世を去っている人が多いですね。自決事件が何か影響を与えているのでしょうか。

川端さんの死は、三島のことが少なからず遠因にあったと言われています。益田総督の癌による死は、自決事件を目の当たりにしたストレスではないかと石原慎太郎氏は書いています。

あの事件の与えた衝撃は大変なものがあったと思います。

鈴木邦男氏(森田必勝の友人)が書いているものをネットから引用しておきたいと思います。

「三島さんという人も残酷なんだな」と思った。だって、100人の「楯の会」の若者たちは、「その後」皆、悩み、悔やみ、そして苦しんで生きてきた。「なぜ自分を連れて行ってくれなかったのか」と。三島を恨み、絶望し、悲嘆に暮れた。

又、持丸博氏(初代 楯の会学生長)のように、「自分のせいで」…と自責の念に苦しめられた者もいる。「楯の会」時代は楽しかっただろう。しかし、〈11.25〉以降は、〈地獄〉だ。

持丸くんが脱会した1年後のこの衝撃的な事件に対して、彼自身、「あの事件の衝撃が余りにも大きく、その後の30数年間は、ほとんど金縛りにあったような状態が続き、とりわけボクが面接した後任学生長の森田必勝が、三島先生と一緒に自決したことは、長い間ボクの心の澱となっている。ボク自身が今もって、あの三島事件の持つ意味を未だに総括できていない」というほどだ。

と書いています。

あの事件によって人生が変わり、30数年間も悩み苦しみ続けていた人もいたのですね。

『五衰の人』の感想はここで終わります。

(お写真はありがたくネットからお借りしています)

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする