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はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

免許証の住所を書き換え 

2025年08月16日 | 日々の出来事
2025/08/16


昨日はコンサートの後に警察署に行って
免許証の住所変更をしてきました。

マイナンバーの住所変更は済んでいますが
免許証の住所変更は警察署に行って
手続きしてくださいと
市役所で言われていました。

車の運転をしていないので
すぐに変更はしていませんでした。

身分証明はマイナンバーがありますしね。

でも、そろそろしなくては。

家の近くに警察署はないようです。
一番近い警察署を調べて出かけました。

知らない場所でキョロキョロしながら
行ったのですが、大きな通りに面していて
わかりやすかったです。

免許証に新住所を印刷してもらい
スムーズに終えました。





今日はやはり暑い日だったのですが
空の様子がどことなく
秋を感じるようになってきました。


キョウチクトウ



8月7日は立秋でした。
お盆のころになると光や空の様子が
変わってきますね。





夏至の頃に比べると
日の出日の入りが30分づつ短くなっています。

1日の日照時間が1時間少なくなっているから
少しは涼しくなるかしらと
期待しています。


ときどきトンボを見かけるようになりました。



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日航123便事故から40年

2025年08月12日 | 日々の出来事
2025/08/12


今日は日航123便が群馬県上野村の
御巣鷹の尾根に墜落してから40年目
にあたる日だそうです。

私のブログ記事のなかで
青山透子さんの著書『日航123便墜落の新事実』
が多くアクセスされていました。

昨年、あの本を読んだときの衝撃は
大きいものがありました。

 
上の記事には書いてないことが多くあります。

私の読書ノートには
たくさんの書き写しが残っています。

それをここに載せようと思います。
(長くなります)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 青山透子 『日航123便墜落の新事実』河出文庫 2017年7月出版

〈引用〉

重要な証拠物の圧力隔壁が現場でほぼそのままの状態で見つかったにもかかわらず、遺体収容や搬出困難といった理由で、日米合同調査の調査委員が来る前日の15日に自衛隊が大型カッターで5分割にしてしまったのはなぜか。(p20 )

あの夜、上空を飛んだ飛行機の中には、事故機がこの下で燃えていると視認した者もいる。方法も技術もある。なぜ10時間も墜落位置を特定しなかったのか。

中曽根首相は群馬県上野村が自分の選挙区であるにもかかわらず、静養中と称して上野村とはほど近い軽井沢で水泳やゴルフなどを楽しみ、事故発生時には現場に来なかった。

中曽根首相は後に自分が書いた本の中で次のように語っている。
『日航ジャンボ機墜落の報告が私に届いたのは、軽井沢から東京に戻る列車の中で午後7時すぎでした。それで午後8時頃首相官邸の執務室に入って、即時にいろいろな報告を受けたし、こちらから対策の司令も出した。』
その後、東京女子医大病院へ人間ドックに夫人とともに入る。8月17日退院。終えて軽井沢別荘で静養とある。

中曽根は3か月後の11月4日に初めて現場を訪れた。群馬県警から忙しいので伸ばしてほしいと言われて、ひと段落した時期に伺った。 (p.67)

8月12日、20時20分羽田空港に対策本部設置。その羽田東急ホテルで日航の町田副社長は乗客に詰め寄られて「北朝鮮からのミサイルに撃たれたのだ」と叫ぶ。その数日後、社長候補だったにもかかわらず失脚する。(P.82)
 1985年当時、北朝鮮から領空侵犯して相模湾に入ってピンポイントで日航機を打ち落とすほどの技術があるはずもない。当時そんな技術があれば、今さら実験しているわけもない。

(ジャパンタイムズ紙の記事 1985年8月14日)
墜落事故の翌日の13日、中曽根首相と加藤紘一防衛庁長官が、マンスフィールド大使同席のもと、米軍のクラフ米太平洋軍司令官とティッシュ在日米軍司令官に会い、加藤紘一防衛庁長官からクラフ氏に勲章を渡している。その勲章は「The First Class Order of Rising Sun」というもの。そして、米空母ミッドウェイ艦載機の発着訓練基地の確保、自衛隊の継戦能力の充実、防衛協力に関する首相の努力などについて語り合ったという。

事故の翌日、今まさに現場で遺体を収容している翌日に勲章を渡すとはどういうことなのだろうか。このようなおめでたい話には緊急性はなく、通常はお互いに配慮して延期することも可能なはずである。(p.102)

アントヌッチ氏の証言によると「墜落上空でいち早く駆けつけた米海兵隊を帰還させて他言無用の指示を出した」
在日米軍の最高責任者に、墜落現場にまだ行っていない首相が、何に対して勲章をあげたのだろうか。(p.101)


【時系列】
8月16日には圧力隔壁の修理ミスが事故原因として有力と毎日新聞が報道。
ボーイング社が圧力隔壁説を否定。
日航の整備部長は「突風など何らかの外からの力で垂直尾翼が折れ・・・・」と外的要因を強調。
8月23日 現場調査に実際に行った運輸省の調査官は「隔壁に大穴はなかった」と発言。
9月14日、日航の河野宏明整備部長がボーイング社の整備ミスを否定。
10月2日、ボーイング社が修理ミスを認めるような発言をする。

1990年8月12日公訴時効成立
1999年11月、航空事故調査委員会が日航機事故関連のおよそ1トンもの重要書類を裁断して破棄、焼却したことがわかった。

事故調査委員会から発表されているものはたったの8行。 
『後部圧力隔壁破損によるもので、起因は不適切修理と推定される』とある。つまり断定ではない。(p.28)


【目撃者たちの証言】
2015年9月 突然、出版社をたずねてきた女性がいた。前に出版した本を読んで来たのだという。藤枝市の小林美保子さん、当時22歳。当時、運輸関係の会社に通勤していた。

18時30分頃、キャーンキャーンという悲鳴のような音がして空を見上げた。
日航123便が低空飛行をするのを見た。はっきりと窓が見えるほど高度が低い状態だった。機体の左下のお腹が真っ赤に抜けたように見えた。円筒形で真っ赤。楕円ぽい形でした。胴体に赤い丸い絆創膏を貼ったようなものがくっついていた。
ギザギザに折れた垂直尾翼が目視できていた。
18時35分頃、5分後に目の前を跳ぶファントム機が2機、同じ方向に飛んでいった。 藤枝市立大洲中学付近である。
事故調査委員会の発表では24,900フィート(7470m)と書かれた地点で、目撃情報では超低空飛行だったという証言。

18時40分頃、群馬県吾妻郡東村の自衛隊員もファントム機を目撃していた。
ファントム機が追尾していったのなら、すぐに墜落地点が分かるはず。
群馬の山々の稜線からすると1,000m程度
なぜファントムの存在を隠し続けるのか そうしなくてはいけない理由があった。事故ではなく事件だと感じた。(p.109)

【上野村小学校、中学校の文集 235名の目撃情報】
「小さな目は見た」というタイトル。 
大きな飛行機と小さな飛行機2機が追いかけっこをしている。
5分以上たっているのに、ぐるぐる回ってばかりいる。中学3年生の目撃証言

完全炭化の遺体 骨や歯まで完全に炭化 ポロポロ崩れるほど 
木々の茂る山中に放り出された生身の肉体が炭化するほど焼けるのか?



〈青山さんの推察〉
18時40分にはファントム機2機は上野村上空にいた。
赤い物体は誘導弾では? 誘導弾とは命中率を上げるために自ら動いて目的物まで飛翔する。
訓練用の炸薬非搭載のミサイル…赤色で長さ4∼5mの円筒形、だ円の物体。
高浜機長は自衛隊出身でその存在を知っていたのではないか。 何かが機体に付きまとっている。
相模湾では自衛隊の護衛艦まつゆきが試運転中、短SAMシースパロー(艦対空ミサイル)も垂直発射装置の試験中だった。

赤い破片、ミサイルの痕跡を消すために人命救助は後回し。時間稼ぎをしたのではないか。(p.171)

日航123便以外の事故の生の、ボイスレコーダーは社員に公開されているが、あれだけ(123便)は乗員側が何度申し出ても、遺族への配慮という理由で公開されない。

・・・・・・・・・・・・・

長々と書きました。

抜き書きなのでわかりにくいところも
あるかと思います。

123便は相模湾で訓練中の自衛隊によって誤射をされ
その痕跡を消すために追尾され
ついには自衛隊により御巣鷹山で
撃ち落されたのだという。

その処理のため、炭化するほど焼かれ
場所が特定できないということにして
翌朝まで時間稼ぎをした。

この事故の責任を米ボーイング社に押しつけ
肩代わりしてもらった見返りとして
日本政府はアメリカの言いなりになった。

ということが書かれています。


青山透子さんは、7月に
『日航123便墜落事件 四十年の真実』(河出書房新社)
という本を新たに出版されています。

真実はいったい何なのか。
青山さんの書いたことは本当なのか…
今読み返してみても驚くべき内容です。

本当のことを知っている人が必ずいるはずです。
語ってほしいと思います。








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津波警報が出た一日

2025年07月30日 | 日々の出来事
2025/07/30


朝、スマホが鳴ったので見ると
〈静岡県に津波警報〉
と赤い文字が出ていて
「すぐに逃げてください」
とありました。

日本時間の午前8時24分に
ロシア・カムチャツカ半島沖で
マグニチュード8.8の地震があったとのこと。

東京に住んでいたときは海からも遠く
マンションの中層階で津波の心配は
ありませんでしたから
「すぐに逃げてください」という文字に
驚いてドキドキしました。



逃げなくてはいけないのだろうか…
と思って窓の外を見ても
近所の家は人が出てくる様子もありません。

道を走っている車もいつも通りの感じです。

テレビを見ると
北海道から四国の太平洋沿岸は
津波警報で赤く色取られています。

とにかく、この土地には不慣れな私。
浜松や浜名湖のあたりは
南海トラフが起こったときには
広い範囲で浸水するという防災マップを
見ていたので
軽く考えてはいけないと思いました。

息子からLINEがあり
その「津波警報」のことを伝えると
「とりあえず、家の鍵を締めて
出かけたらどうか」というのです。

私もそう思いました。

地区の小学校が避難地になっているのは
知っていましたが
まだ行ったことがないので
場所をよく知らないのでした。

私もこの暑い季節に
どこに行って時間を過ごそうかと考えて
初めは図書館を考えましたが
駅の方が近いと思いリュックを背負って
駅ビル、デパートに向かいました。

駅ビルは高いし冷房が効いてます。
喫茶、飲食店もあるし、書店もあるし
本を読んだりして時間をつぶせます。

駅前のデパートの中には
各階に居心地のよいベンチがあって
窓からの景色もながめられました。




津波が到達したことを確認するまで
ここにいようと思っていました。

11時30分過ぎに津波は到達したようです。

心配した高さ3mではなかったので
少し安心しました。

しかし、スマホだけでは情報は
よくわからないものですね。

デパートではアナウンスもありませんし
店員も客も静かでふだん通りの様子です。

駅では東海道線が止まっていて
改札口のあたりに多くの人が待っていました。

お昼頃までビルの中にいましたが
とにかく家に帰ることにしました。

家に帰ってからも
テレビをつけっぱなしにして
情報に注目していましたが
ずっと津波警報は続いていました。

その後、午後9時になってやっと
警報が注意報に変わりました。

まだ何度か津波は来ているようですが
今のところ大きな被害はないようで
ほっとしています。

転居して、津波警報が出て
初めて津波を現実のものと感じた私です。

南海トラフが起きたら
そのときはそのときのことさ、などと
軽く考えていたことを反省したのでした。


・・・・・・・・・・・・

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今日は大暑

2025年07月22日 | 日々の出来事
2025/07/22


今日7月22日は二十四節季の大暑。

一年でもっとも暑さが厳しく感じられる頃です。

朝5時頃からセミがやかましく鳴き始めて
もう寝ていられません。

こちらに来てから、早起きになりました。


庭の木にとまって
テレビの音も聞こえないくらい
羽をふるわせて鳴いています。


毎日暑いですが
私は都内にいるときよりも
汗をかくようになったと思います。

今日はフラダンスの自主練習でしたが
私ひとりだけ大汗でした。

28℃に設定したエアコンに
寒いから止めてという人がいたりして
どうしてみんな暑くないのだろうと
不思議に思ったのです…。

もっとも私だけが自転車で来ているので
暑いのかもしれませんね。

汗をかきやすくなったのは
代謝がよくなったせいだと
思うことにしました。
(運動量は前より多少多いかも)


この暑さにもかかわらず
先日もらったハーブがちゃんと根付いて
新しい芽が出てきています。

左の大葉はもう摘んで使っています。


ダイソーで買ったアサガオのタネをまきました。

そうしたら2日くらいで芽が出てきました。




こんなに芽が出るのが早いなんて
よく育ちそうで、期待大です。

アサガオをタネから蒔いて育てるのは
小学校以来かな~











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今週の覚え書き

2025年06月29日 | 日々の出来事
2025/06/29

あっという間に1週間が終わりました。

自分の覚え書き用のメモです。

火曜日にはフラダンスの自主練習
があるということで参加しました。

加入したばかりのフラダンスサークルは
月2回のレッスンですが
先生なしで自主練習もしているそうです。

センターの和室の畳の上で
スリスリとカホロをステップして
新しい曲の振り付けを覚える練習。

私は見よう見まねで手だけ動かして1時間。
足までは意識が届きません。

練習終了後、各自おやつを持ち寄っていて
おしゃべりタイム。(もぐもぐタイム)

わらび餅を作ってきた方もいて
私もおすそ分けにあずかりました。

そのわらび餅がおいしかったので
自分でも作ろうという気になりました。

駅前デパートに富澤商店があるのを知って
わらび餅粉を買い求めました。




水曜日には転居通知はがきを送った
高校時代の同級生Hちゃんから
電話がありました。

最初は事務的な電話かな?と思う声でしたが
「Hちゃん?!」というと
急に昔の声、喋り方になって
ちっとも変わっていないと思いました。

電話は30年ぶりくらいじゃないかしら。
近況報告をしあって、懐かしかったです。

県中部の少し不便な所に住んでいますが
いつか、会いに行きたい。


木曜日は美容院でヘアカット。
これはもう書きましたね。

金曜日は家の床のワックスかけ。
これについては後日書きますね。

ワックスかけを終えた後には
K子さんとMさんが近くで食事していると
LINEがありました。

私はもう家で昼食準備をしていたので
食後、家に寄ってくれました。

残り物ご飯



おみやげのどーなつ😋 
ふんわりもっちり甘さ控えめ

こちらはおやつの準備がなくて
そのままお出して、いただきました。

気のおけない話をして笑って
楽しかった~
おしゃべりは脳トレ、気分転換に最高です 


土曜日は、暑いので夕方まで家に籠り
読み終えたかった本に取り組み
日没後にミント苗を探して
ホームセンターをうろつくという1日でした。
(ミント苗は手に入らず)



庭の紫陽花ももう色褪せてきました。

枯れていく前に切って
花瓶に飾ってながめることにしました。




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初めての美容院に行ってみました

2025年06月26日 | 日々の出来事
2025/06/26


3月に、前に住んでいた所の馴染みの美容院で
髪をカットしてから3か月がたちました。

前の美容院で短くされてしまったのが
幸いしたのか
それほど長くなっていなかったのですが
暑い季節に向かって
切りたいと思っていました。

しかし、どの美容院にするか
これは私にとってかなり大きな問題。

歩ける範囲にしゃれた美容院がありました。

外からチラッと見ると
どうやら若い人向きかなあ‥

(※どのホームページを見ても
カットモデルが若い人ばかりなので)

新しい土地に行くということは
美容院も病院もまた新たに探さねばならず
悩みますよね。

そこで考えたのが近所ではなく駅前。

駅前なら様々な人が行くだろうからと
駅近くの美容室にしました。

私は以前から利用していた
ホットペッパービューティで
予約を入れました。

店に行ってみるとスタッフさんが若い。
(私が都内で以前に行っていた店よりね)

テキパキと洗髪、カットしてくれて
腕は確かなようです。

訊いてみると十数人もスタッフが
いるのだそうです。


バッグは自分でロッカーに入れて
その鍵は自分で持っているとか
服の上から病院で着るような水色の
ガウンを着るのは新鮮でしたけど。

私は物珍しさもあって
以前の美容院でもしていたように
ずっとおしゃべりしていましたが
どうやら話している人は少ない様子。

初めて行って店の様子もわかったので
次回は週刊誌でも読みながら
やってもらいましょう。

こうして髪を切ってもらって
ホッとしています。








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真夏のような直射日光の強さ!

2025年06月25日 | 日々の出来事
2025/06/25


昨日の雨から一転
青空がまぶしい日になりました。

洗濯をして、布団を干しました。

しかし日射しの強いこと!
大袈裟ではなく肌に当たる直射日光が痛い。


午前中に、玄関前の軒下に置いた温度計は
日陰ですが33℃になっていました。

昨年は都内で
連日の35℃続きを経験していますが
それを思えばまだましな気温のはず。

しかし、この直射日光の強さは強烈ですね。

私はいつも自転車ですから
この暑さを恐れて家にいるつもりでしたが
天気の都合で出かけないのはもったいない。

帽子、黒マスク、黒い腕カバー
冷凍庫から出した保冷剤を包んだマフラーを
首に巻いて出かけました。
(一応熱中症とシミ対策)

首を冷やすと少し楽です。

ところが外に出ると黒い腕カバーの腕が
暑さで痛い!

出かけて1分ほどで
すぐに痛みを感じるほどの熱さ。

黒いぴったりした腕カバーは
余計に熱を吸収するようです。

そうして往復30分ほど
自転車で走っていたのですが
帰ってからも腕がピリピリ。

これではUVカットどころではありませんね。

軽いやけどでもしたのかと思い
流水で洗ってしばらくするとおさまりました。

恐るべし、浜松の日射し😨 



暑い日にはうれしい冷茶


お茶のパックをボトルに入れて
冷蔵庫で冷やして飲んでいます。


庭のトネリコの木に白い花が
咲いていました。


(ボケた写真ですが距離があるのでね)


高い木なので見上げないと
わからないかったのですが
こんな花が咲くんですね。

ネットに出ていた画像




レモンも大きくなってきました。
ゴツゴツと固そうな皮です

とても丈夫そうなレモンの木ですが
葉のあちこちに虫食いの跡があります。

じっと見つめても青虫は見つかりませんが
今日はアゲハチョウがヒラヒラと
飛んできました。



きっとああいうチョウが知らぬ間に
卵を産んでいるのでしょう。

少しくらいの葉は青虫にあげます。




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昔の同僚とランチ会

2025年06月19日 | 日々の出来事
2025/06/19


昔勤めていた職場の同僚たち6人が
6〇会(〇にはアルファベットが入る)
というランチ会を長年やっており
私も誘っていただいてランチをしました。

私も今回、会に入れていただくことになり
7〇会になりました。
(昔は若妻会という初々しい名前だったとか!)

短い間しかいなかった職場ですが
こうして仲間に入れていただいて
本当にありがたいことです。

私は顔もわからなくて
ほぼ「初めまして」だったのですが
旧姓を聞いて、だんだんその頃のことを
思い出してきました。

この会では同期は2人で
他の4人は後輩となりますが
もう長い年月を過ごすと
誰が後輩なのか先輩なのか
わかりませんね。


会が長く続いているのも
みんな仲が良くて
続けようと動いてくれる人が
いたからこそ。

気のおけない仲間でのおしゃべり
近況報告は楽しかったです!


浜松駅近くのイタリアンで


どれもおいしかったのですが
ふっくらした生地のピザが
特においしかった。




皆さん、ありがとうございました
また次の機会を楽しみにしています😊 



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町内清掃に参加

2025年06月08日 | 日々の出来事
2025/06/08


もう2週間前のことになります。

5月25日の日曜日に町内清掃があるという
回覧板がまわって来ました。

私は初めてのことですから
地域を知る意味でも参加しようと思いました。

当日は朝まで雨が降っていて
はっきりしない空模様。

雨天の場合、次の日曜に順延とのことでしたが
私はやるかどうかが気になったので
午前8時すぎに組長さんのお宅に伺ってみました。

そうしたら清掃に参加するのは
「役員だけ」ということでした。

「一般の住民は参加しなくてもいいんじゃないの」
ということでした。

私は「ああそうか、それなら楽だな」
と思ったのですが
こういう機会に地域の人と知り合いになれる
と思っていたので
「最初ですから、参加させてもらえませんか」
というと
組長の奥さんがうれしそうに笑って
快諾してくれました。

都内のマンションでは町内会の付き合いとか
町内清掃に参加することはありませんでしたが
(町内会費だけは払っていました)
それ以前の戸建てに住んでいた頃には
町内清掃や草刈りには参加していました。

それが情報交換の場になり役に立ったし
お互いに親しくなったのです。

9時になって組長の奥さんに
声をかけてもらって
集合場所の公会堂に行きました。

目立たない小さな公会堂でした。
この場所も知らなかったのですよ。

軍手とゴミ袋をもらって
道端の雑草を抜きましたが
雑草のなんと強いこと!

力一杯引っ張っても抜けるものではありません。

でも途中で折ったりして
地上部はむしり取って
なんとか雑草が減ったように見せかける(笑)

もう随分雑草抜きをしたと思って
ちらっと時計を見ると
まだ20分しかたっていませんでした😨 

雨は上がって、蒸し暑くなっていました。

組長の奥さんに地域のことや昔のことなど
教えていただいて、参考になりました。

草取りをしている地域の人に
紹介をしてもらって
「初めまして」の挨拶ができました。

50分ほど作業をすると
45リットルのゴミ袋もいっぱいになって
重くて運ぶのにも難儀をするほどでした。

公園の入り口にゴミ袋を運んでいって
ペットボトルのお茶と
箱のティッシュをもらって帰ってきました。


大汗をかいて、軍手は泥だらけ。
服には雑草のタネがたくさんくっついていたので
すぐにシャワーを浴びて
来ていた服は洗濯しました。

体力的には大変で筋肉痛になりましたが
地域の方々と近づきになれ
雰囲気も少しわかって
よかったと思います。



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ビデオテープをダビングしたDVDが出来上がって

2025年06月02日 | 日々の出来事
2025/06/02


浜松に引っ越してから
池袋のカメラのキタムラから
ビデオテープのダビングが完了したので
取りに来てほしいと電話がありました。


「もう他県に引っ越しているので
すまないけれど着払いの宅配便で
送ってくれないでしょうか」と
ダメもとで言ってみました。

「そういうサービスはやっていない」
とのことで
5月28日に上京した際に
受け取りに行きました。




6枚で17,840円でした。

ビデオ再生機が壊れて以来
もう20年以上も中を見ていませんでした。

そして帰ってから家でDVDを見てみました。

ほんとうに懐かしいものがたくさん。


2001年の自分のリトミック発表会。

(当時のビデオの映像をパソコンで
再生したものなので画面は不鮮明です)


当時は経験も浅く未熟で
見られたものではないと思いながら
見始めたのですが…

入園前の親子たち、ツクシがニョキニョキ


オタマジャクシになったり
もぐらになったり、ツクシになったり
花になったり・・・。

楽しそうだなあ。
みんなよくやってくれている。


幼稚園クラスの子たち

スカーフを揺らしてます。

「3びきのこぶた」で家を作る子たちと
草のかげに隠れるオオカミ役


こんな道具も作ってたなあ

それなりに頑張っていたんだ
と思い出されました。

ビデオに写っている子たちは
もう30歳前後のはずです。

みんなどうしているかなあ~

つい2~3年前まで年賀状で
つながっている人もいたけれど
年賀状をやめてからは
もう消息はわかりません。




これは静岡県立美術館の講堂でやったもので
息子がビデオに撮ってくれました。

昔は自分一人で頑張っていたような
気持ちでいたけれど
保護者の方々や仲間の先生たちの
協力があってこその発表会だったと
今更ながら感謝の念を覚えたのでした。

至らぬ点もたくさんあったけれど
ちゃんとお礼が言えていたか気がかり(今頃)

昔は未熟だったとばかり思っていた
のですが
もう少し評価してもいいかなあと
思えたのでした。



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