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はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

捨てるより、好きなものに囲まれて

2025年01月31日 | 
2025/01/31


樋口恵子著『老いの地平線』を読みました。

2023年、評論家の樋口恵子さんが
この本を出版した時は91歳でした。

年相応の衰えもあるようですが
元気にお暮らしのようです。

興味を惹かれる内容もあり
参考になることもあります。

その中のひとつ
「捨てるより、好きなものに囲まれて」
という章から一部抜き書きして
引用させていただきます。


・・・・・・・・・・・・・・・

「捨てるのはご勘弁」

今でも洋服はひと部屋分ほどあります。
私に似たサイズの人が周辺にいますので、
洋服はそういう方々に譲ったりして
手放すことはいたします。

でも捨てることはいたしません。
というより、捨てる能力がないのです。
だから、捨てる方を批判する気は
まったくございません。
むしろ「捨てられるなんて偉いなあ」
と尊敬しています。

そして洋服以上に手放せないのが本です。

84歳で家を建て替えたとき、
ある程度は整理しましたが
いまだにどんどんたまるばかり。

歴史的に価値のある本も
たくさんあるのですが、
あまりにも量が多いので
探すこともできません。

そういう意味で「もったいない」
という気持ちもどこかにあって、
なかなか手放せないのです。

私なんかよりよっぽど学究的な
物書きの方々だって、みんな涙をのんで、
どこかで自分の資料と惜別している
…そう思ってはみても、
しょうがないですよ、これは。

私亡き後はもうガバッと
捨てていただくしかありません。
(p.115)


・・・・・・・・・・・・・・・・


捨てることって、本当に大変です。
でも捨てられなくたって
いいのではないかと。

私自身は何でもとっておくタチ
だったのではないかと最近思ったのです。

それまではけっこう捨てるほうだと
思っていました。

母が生前揃えてくれた着物を
1度も着ないで昨年やっと処分したことは
このブログにも書きました。


20代に着ていた服がまだとってあります。

もう絶対に履かないであろう
足が痛くなるパンプス。

昔、夢中になった趣味の品々。

化粧品やシャンプーの小さな試供品
紙袋、封筒、包装紙、紐、リボン
もらったタオル、ハンカチ
寿司折についていた醤油やワサビの袋まで
捨てないで取っておくのです。

そういう雑多なものでいっぱいになって
あるいは何か月、何年もたってしまって
「これはいらなかった」と
気づいて捨てるのです。

なぜ、すぐに
「これはいらない」と捨てないのかしらね。




それに昔読んだ
ある整理収納アドバイザーの方の言葉が
心に残っていました。

「捨てることはとても大変です。
でも自分亡き後、物の後始末を
子に押しつけてはいけない」

この方は片付けでいろいろな家庭を見て
そして
自分の親の荷物の後始末をしてみて
実感したのでしょう。

「自分の物を捨てるのはイヤだ。
自分が死んだら好きなようにしてくれ」
というのは無責任だというのです。


この言葉を読んだとき
本当にそのとおりだと思い
次の代に迷惑をかけてはいけない
甘えてはいけないと思ったのです。

とにかくいらない物は捨てて
減らさないと。

でも、その言葉が足かせになっていた
ことにも気づいたのです。





樋口さんの本を読んで
少しだけ気が楽になりました。

何の役に立つのかわからない
ごちゃごちゃした品々があっても
それはそれでいいのではないのか…。

昔、愛着を持ったものだったら
もう少し手元に置いてみようと思います。

時間がたって本当に
心が離れていることに気づいたら
捨てるのは、そのときに。





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森永卓郎さん亡くなる

2025年01月29日 | 日々の出来事
2025/01/29


昨日28日、経済アナリストの
森永卓郎さんが
お亡くなりになったそうです。

今朝知ったのですが
何といったらいいのか…
ショックでした。


その前日27日のTBSラジオでは
コメンテーターとして経済のことを
語っていらしたのを聴きました。

ただ、そのとき痛みが出てきたので
モルヒネを打っている。
自分の実感としてはそう長くもたないかもな
とおっしゃっていました。

私の父も亡くなる少し前から
モルヒネを打ち始めたので
それを聞いたとき
時が迫っているのを感じました。

亡くなる前日まで
きちんとラジオに出演する
森永さんの精神力は
たいしたものだと思います。

最後まで仕事をなさって
それを終えて亡くなったのだなと…

生涯現役という生き方を
全うした方だと思いました。

身体的には苦しかったでしょうが
その意味ではとても幸せな生き方を
なさったのだと思います。

森永卓郎さんは以前から
ラジオで聴いていました。
いつもわかりやすい経済の解説でした。

『書いてはいけない』を
読んだときは大変な驚きでした。

ほんとうに「お疲れ様でした」
と申し上げたいです。

ご家族の皆さんも
仕事を続ける森永さんを見守ることは
大変だったのではとお察しします。

心よりご冥福をお祈りいたします。




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本の買取りをネットオフに頼んでみた

2025年01月28日 | 
2025/01/28


私は、本は極力買わずに
図書館で借りるようにしています。

だからあまり増えることもありません。

図書館で借りてとても感銘を受けて
手元に置きたいと思った本でも
後から買ってみると
もうほぼ読みかえさないと
気づきました。

1回熟読すれば充分なのでした。

集めて置いておくという趣味は
私にはないようです。

(三島由紀夫に関しては
この限りではありません。
ボロボロの黄ばんだ本も
置いてありますけどね。)

蛇足ながら
稀少かと思って取ってある本
この週刊誌は自決後の12月に出た本。
週刊誌がまだ100円だった時代。



さて今、私の持っている本は
幅90㎝、高さ180㎝の本棚2つ分。

この本棚からもう読まない本を
選別しました。

我が家のマンションでは本は24時間
ゴミ置き場に出せます。
だからゴミ置き場に出してしまえば簡単。

でも、やっぱり
資源ゴミになってしまうのはいささか残念。

どの本にも思い入れがあります。

熱心に読んだ本や、いいと思った本、
時間は経っているけれど
汚れのないきれいな本は
誰かに読んでもらいたいのです。

メルカリにはときどき本を出品しますが
写真を撮って出品するのも
それなりに手間はかかり
発送にも気も使います。

それで今回はネットオフに
頼んでみました。

「買取りを申し込む」をクリックすると
指定した日に配送用の段ボールが届きました。

この段ボールの数は自分で申告します。

少し大きめの段ボールで
1箱にコミックなら100冊入るそうです。

私はコミックはなかったのですが
何冊あったのかは数えていません。


段ボールの中には本人の証明書
(運転免許証、マイナンバーなど)のコピーと
プリントアウトした送付添付書に
自筆サインを書いたものをいれました。

そして指定した日に佐川急便に
集荷に来てもらいました。
発送料は無料です。




段ボールを3つ頼んだのですが
2つで足りました。

本を入れたダンボールは重くて
自分では到底持ち上がらず
床を引きずるのが精一杯。

取りに来てもらった翌日には
メールで受付け通知が来て
査定までは9∼12日かかるとありました。

査定がいくらになったかは
またご報告します。

私は金額のことは期待してませんが
本が欲しい人の手に届いて
有効活用できれば
うれしいと思うばかりです。




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桐野夏生著『オパールの炎』

2025年01月26日 | 
2025/01/26


桐野夏生さんは好きな作家。

強くて、小説がおもしろくて
女の味方というところが好き。

『オパールの炎』を読みました。

中ピ連の榎美沙子さんの話です。

昔、話題になった中ピ連のことは覚えてます。
でも、ずっと名前を聞かないし
あの人はどうしたのかしら?

私が覚えている榎美沙子さんの
メディアでの扱われ方は
主張をまともに受け取られず
「冷笑」だったと思います。

榎さんが「中絶禁止法に反対し
ピル解禁を要求する女性解放連合」
(中ピ連)を結成したのは1972年。

過激なパフォーマンスで注目を集め
1977年には女性党を結成し
参議院選に出馬。

ひとりの議員も当選させることなく
榎さんは「専業主婦になる」と
言い残して姿を消しました。

その後消息はわからず。




榎さんのピル解禁運動から
約30年後の1999年に
日本でやっとピルが承認されました。

2023年に日本で承認された経口中絶薬は
88年にはフランスで承認され
世界65以上の国と地域で
使用されているにもかかわらず
日本では35年もかかったのです。

なぜ日本では女性の体を守ることに
そんなに腰が重いのか。

昨今のニュースを見るにつけても
未だに変わっていない気がします。

そんな日本で50年も前に意見を言った
榎さんはあのような扱われ方を
してしまったけれど
至極真っ当な意見だったと思うのです。

今ならSNSで自分の意見を発信できますが
当時、後ろ盾のない女性が1人で
意見を言うとしたら
どういういうやり方なら
よかったんでしょうね。




物語では、本人は消息不明ということで
ノンフィクションライターの女性が
彼女を知る人から話を聴く形で
進んでいきます。

最後まで読んでいって
ああ、桐野さんは榎さんの無念を
晴らしたかったのだなと悟りました。


〈「榎さんが主張していたことは正しかったのに、実際にピルが解禁されるまでものすごく時間がかかった。なぜ榎さんが潰されたのか。復権させたいというか、榎さんになり代わって社会に復讐したい思いがありました」と桐野さんは明かす。〉
(毎日新聞 記事より)


ほんとうにそのとおりだ。

#Metoo運動もあり
自分の身体は自分で管理するという
女性の権利がやっと注目されるように
なってきました。

50年もたっているけれど
彼女の雪辱を晴らしたいと
桐野さんはこれを書いたのでしょう。

桐野さんはやはり頼もしいなと思います。



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中居さんのことは・・・

2025年01月25日 | 社会問題
2025/01/25


テレビをつけると
ニュースでもワイドショーでも
中居さんのこと、フジテレビのことが出てきます。

最初は、ああまた、
くらいに思っていたのです。

個人的なことだったはずが会社の話になり
他社は自分たちは関係ないとばかりに
当該テレビ局を攻撃していると
感じていたのです。

でも、そういうことではないと気づきました。
これはすごく大きな問題なのだと。

中居さん個人や、ひとつのテレビ局の
問題ではないのです。

根底にあるのは
長い歴史の中でずっと続いている女性観。

女性の扱われ方や
女の立場、役割がどういうものなのか
それが今問われているのではないかと。

添え物、献上品、慰安、お楽しみ…


昔、女性学を研究している先生と
話したことがありました。

こんなことをおっしゃいました。

「最初は差別問題を研究しようと考えていた。
人種差別とか部落問題とか。
でも気づいた。
一番大きな差別は女性差別だと。
人類の半分は女性です。
ものすごい数の女性が差別されているのです。
だから女性問題をやろうと思いました」

この先生は男性でした。

私はこの言葉が目からうろこでした。

人類の半分が差別されているなんて
考えたこともなかった。

これをきっかけに
社会は大きく変わっていくかもしれない。

単にセクハラ、パワハラ
コンプライアンスの話ではなく
もっと大きく女性観を変えるものに
なっていってほしい。

そういう時期に来ているのかもしれないと
ニュースを見聞きするたびに
願うのです。



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寒いけれど、春の予感

2025年01月24日 | 花・植物
2025/01/24


今日は最高気温が14℃でしたが
風もなく穏やかで
どこか日射しに春を感じました。

今日はあまり寒さを感じなかったので
ベランダの掃除をしました。

寒さに弱いバジルの葉はすっかり
枯れてしまったので取り除きました。

パンジー、ビオラは寒さに強いので
よく咲いています。








ヒラヒラした花弁のパンジー


ドラキュラは花が増えてきました。



こう見ると、今回は赤紫色を多く
選んでいたようですね。


水栽培のヒヤシンスは
しっかりした芽が伸びてきました。


根がなかなか出なかった右側の球根も
根が出てきました。


3個セットで買った鉢植えヒヤシンスは
数日前に花が終わってしまいました。




チューリップも芽が出てきました。


まわりの葉はムスカリ。

寒い日が少なかったので
順調に咲いているベランダの花たちです。







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留学生がリトミックを見学

2025年01月22日 | リトミック
2025/01/22


今日の「おとなのリトミック」に
若い男子学生二人が「見学したい」
とやって来ました。

日本人に見えたのですが
ベトナムからの留学生でした。

昨年4月に日本に来て
日本語の勉強をしているのだそうです。

簡単な日常会話は大丈夫なようでしたが
私も始まる前の準備があるので
あまり詳しい会話はできませんでした。

他の高齢女性たちが話しかけて
相手をしてくれて
ほんとうにみんな世話好きで親切ですね。

高齢者フレイルセンターに
やって来たところを見ると
そういう分野に興味があるのかもしれません。

音楽に合わせて体を動かすことや
脳トレ、歌を歌うこと
などをすると伝えました。

「一緒にやってくださいね」というと
真面目に参加してくれたのです。

私のリトミックでは
大学生が実習ということで
見学することは今までにもありましたが
日本の学生は恥ずかしいのか
特に男子学生は
律義に参加して動く子は少ないのです。

なんとなくためらって輪に入り損ねて
見ている、なんて子がいますね。


右手と左手でジャンケンをやりましたが
「ベトナムにもジャンケンはありますか」
と訊くと、あるということでした。

「ジャンケンポンは何というの?」
と訊くと言ってくれたのですが
よく聴き取れない😅 

パーは似た音でバウと言っている
ようでした。

ベトナムでもグーは石
チョキははさみ、パーは紙
というのが同じなんだそうですよ。


『いい湯だな』(詞:永六輔)
を歌いましたが
歌詞を書いた紙をボードに貼ると
スマホをかざしていました。

スマホに翻訳アプリが入っていて
それで意味がわかるようです。
今は便利なものがあるんですね。

聴くことはできても
読むのはやはり難しいらしいです。

ドリフの『いい湯だな』まで
ババンバ バンバンバンと
一緒に歌って踊ってくれました。

私も珍しい来訪者があると
はりきってやって楽しい時間でした。



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新しい家のこと

2025年01月21日 | 我が家
2025/01/21


先週、新しく住む家の引き渡しがあり
行ってきました。

新築ではありませんが
まだ人が住んだことがない新築中古
というような家です。

とてもいい家で
この家に住めることには
とても感謝をしています。

でも
すべてに満足する住まいが見つかった
というわけではないのです。

というより
すべてに満足できる家ってあるのでしょうか。

住むことになった土地の条件や
近隣の雰囲気やら
日当りのこと
買い物の便利さ
医療機関の近さ
駅の近さ、交通の便など
それら、すべてにおいて満足できるなんて
きっとないのでしょう。

縁とか、出会いというものなければ
めぐり逢えないものだと感じています。


余計な話ですが
森の中の、木立に囲まれた家に
住みたいなどと言っていた私ですが
全然違う所になりました。

家を探していくうちに
思い浮かんだのは
森の中の家はきっと買い物が不便だろうな。

虫と共生しないと住めないかも。

木立があるということは雑草が生える…
その手入れをしなくてはならないけれど
ずっと雑草抜きに追われていたら…

(雑草抜きは過去の家で充分やったし)

自然の中に住みたいなどと
思っていたけれど
私は街中が好きなのかもしれないと
思い直したりしたのです。


さて、脱線しましたが
家の引き渡しの話です。

売主のハウスメーカーの方に
新しい家に連れて行ってもらうと
多くの方がやってきて
事務手続きやら説明やらを
してくださるのです。

・司法書士との手続き
・保険代理店の方と火災保険契約の手続き
・玄関の2種類のキーの使い方説明
・ガス会社からバス、キッチンの使い方
・ガス衣類乾燥機の使い方
・床暖房の壁パネルの使い方
・システムキッチン会社から食洗器と水栓の使い方
・トイレ機器メーカーからシャワートイレの使い方
・玄関インターホンの使い方
・電気会社の人からブレーカーのこと
・ガレージにある電気自動車の充電設備のこと

何人もの方が入れ代わり立ち代わり
現れては丁寧に説明してくださる。


とてもよい設備がついていて
その機能が細かくて
いや、細かすぎて
たくさんの説明を一度に受けたので
もう頭は混乱。

何も覚えていない状況😓 

よい設備はもちろんありがたいけれど
ごく単純な操作ができれば、私は充分。
昔ながらの電化製品でいいのよ。

しかし、早く操作を覚えて
徐々に慣れていかなくてはなりませんね。




家についての経過は
記録も残しておきたいので
少しづつ書いていこうと思っています。




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今年最初のフラダンス

2025年01月19日 | 習いごと
2025/01/19


今年最初のフラダンスレッスンがありました。

フラダンスの会場は
先日私がリトミックに行った所と同じ。
新装オープンしたひろばです。

今度の部屋は前より少し狭くなりましたが
大きな鏡があってダンスの様子を
見ることができます。

先生はいつもみんなのほうを向いて
踊っていたのですが
大きな鏡がついたので
みんなに背を向けて踊っても
生徒の様子がよくわかるというもの。

やりやすくなったと言っていましたね。

私も自分の踊っている様子が
今まではわかりませんでしたが
今回ははっきり見えて
欠点もわかりました😰 

なんだかフラフラと
(フラだから)踊っていて
あ、やっぱり足元とお腹に力を入れないと
締まった踊りにならないなと
思ったのです。

そして手の表情のつけ方。
指先まで神経が行き届いていないことが
先生と比べて一目瞭然。

先生の踊りも見えて
自分の踊りも同時に見えるので
違いがはっきり分かるのですね。

先生は
「あまり細かいことを言うのはどうかな」
と思って、今まで言わなかったんですって。


姿勢やら体形やら目線やら
今迄で見えなかったものが
ハッキリ見えて、よかったような
ガッカリしたような。

ただ、気をつけるべきところを
自分で悟ったのは鏡の威力ですね。



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坂本龍一のアルバム『async』

2025年01月18日 | 音楽
2025/01/18


『async』は坂本龍一が2017年3月に
発表したアルバムです。

2014年に咽頭癌を患い
寛解後に初めて製作したアルバムでした。

私はずっとこのアルバムを
聴いたことがありませんでした。

昨年、NHKEテレで
「スィッチインタビュー」(2017年の再放送)
があり、坂本龍一×福岡伸一の対談で
『async』制作の様子を見ました。

このスィッチインタビュー内容に
とても感銘を受けたので
『async』を聴いてみたいと思い
取り寄せました。



届いた『async』を
何気なく聴き始めたのですが
胸を突かれるような悲しみを感じて
しまったのです。

この悲しみは何だろう?

冒頭は短調のゆっくりした静かな曲です。

最初はピアノの音
次にはパイプオルガンになり
それに飛行機のエンジン音のような
車の音のようなものが重なっていきます。

悲しいというだけではなく
なにか寂寥感、絶望、諦観という言葉が
思い浮かびました。

なぜ音だけでそう感じるのだろう。

キーンというエンジンのような音が
たまらなく寂しい。

そんなふうな衝撃を持って
聴き始めた『async』でした。

聴いていくうちに
それぞれの曲に様々な試みが
あることがわかりました。

単なる曲の演奏というものでは
なかったのです。

スィッチインタビューの対談相手
福岡伸一さんによれば
「とても不思議な音楽で、メロディーが
だんだん雑音の中に溶けていってしまう
拡散していってしまう」

楽器の音に自然音や環境音が交錯する。
音楽と自然音の区別がつかない。

坂本は風、雨、街の雑踏などの音を
採取していました。

またピアノの弦の上に金属の箸を落として
偶然に鳴る音を採取していました。

彼はこのアルバムで
ノイズと音楽の境目をあいまいにしておく
ことをしてきたのです。

世界というのは本当は
noise(ノイズ)と名付けられる前の
ノイズだらけの世界でした。

人間の脳の特性としか言いようがないが
人はノイズから何かの意味ある情報を
受け取ろうとする。

それは夜空の星みたいなもので
人間の脳はめぼしい点を結んで
それを星座にした。

星座を取り出すのは言葉の作用です。

ロゴス(言葉、論理)の力によって
世界は切り取られて行く。

ピュシス(physis )とロゴス(logos)が
対立する概念として
「スィッチインタビュー」では
語られていましたね。

音楽を作っていく時
人はノイズを意味のないものとして
排除していく。

しかし
自然が奏でる音は秩序だっていない。
いつだってずれている。

ジョン・ケージは音を人間のコントロールから
解放することを提示しました。


それが人間が管理していない音
自然の音や偶然に左右される音
『async』(非同期)なのですね。


感想に戻りますが
『async』を聴いて最初に感じた悲しみは
このアルバムを通して
ずっと底流に流れているように
感じられるのです。

寛解、復帰後の第1作ですが
病によって心には大きな
悲しみ、空洞が生まれてしまったことを
感じさせるのでした。



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