よし坊のあっちこっち

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日本を駄目にする、日本語の曖昧さ

2011年06月04日 | アメリカ通信
外国語を能くする人にとって、曖昧な日本語を通訳翻訳する時ほど、難儀な事は無いと痛感していることだろう。

民族的且つ文化的特徴なのか、日本国内や日本人同士であいまいな言葉を使っても、違和感は無いし、「何となく」分かるから、内輪で使う分には問題は無い。
便利な言葉に「どうも」というのがある。日頃無意識のうちに多用しているのに気が付かないくらいによく使う。感謝の言葉に使ったり、挨拶に使ったり。とりあえず繋ぐ言葉としても有効だ。

日本人はストレートに言うことを憚る民族だから、曖昧な表現を多用して、相手にわかって欲しいと願う。ストレートに言えば、大抵嫌われ者のレッテルを貼られるから、それを避ける。この事をもって、気配り、気遣い上手の日本人と「褒められる」ことがある。果たして本当に褒められた事なのか。疑問符が付かざるを得ない。

さて、国内的には賞賛される「日本語の曖昧さ」も国際社会では、マイナス以外の何物でもない。昔から言われ、今でも言われ続けている「日本人は何を考えているのかさっぱり分からない」とか、「日本人は薄気味悪い」とか言われるのは、この辺に起因しているとみて間違いない。要するに、何が言いたいのか、何を言っているのか輪から無いと言うこと。昔、T総理大臣を称して「言語明瞭意味不明瞭」と腐された事があるが、さしずめ日本人は「言語不明瞭意味不明瞭」か。

この壁がある限り、日本が世界で一流国としてのプレゼンスを今後発揮していくのは相当難しいのではないかと思うのだが。



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