ゴルフシーズンが終わってとっても暇。
練習にだけでも行きたいけれどこう寒いとその気も失せてしまいます。あ~あ、すごく下手になっているでしょうね・・。クリスマスが終わったら少しだけでも練習したいけど・・それも天気と気温次第です。
そういうわけで、家でゴロゴロしているのも何なので、久しぶりにベルリンへ行ってみました。このところ、都市観光はもはや興味ないので、なかなか思い立たないんだけど・・・(この間のハンブルグ旅行もほとんど何も見てないし)・・・でもベルリンも壁が落ちて20年経過したしね・・この眼で変化を見てみたいというのもあるので、行ってきました14年ぶりのベルリン。
初めてベルリンに行ったのは、1984年8月。壁が崩壊する5年前。
当時留学していた大学のサマースクールのバスでの修学旅行で旧東ドイツを突っ切って旧西ベルリンに行きました。友人たちと電車に乗って旧東ベルリンにも行きました。関所で旧東ドイツの通過に両替させられて恐る恐る東ベルリンに足を入れましたが、ブランデンブルグ門からテレビ塔のほうへ続く大通りのUnter den Lindenは閑散としていてあちこちに見張りのような兵士がいたりして、何かドジなことやったらしょっ引かれるんじゃないかと冷や冷やもんでしたわ。建物もとにかく醜悪この上ないデザインのものばかりで・・おもしろいものがあるでなし・・・せっかく来たからランチでもしようとレストランに行きましたが、そこも至るところに見張りのような兵士が座っていたりして全く落ち着かずに、関所を通過して電車で旧西ベルリンの駅に到着したときには全身の力が抜けたようにホッとしました。
で、2回目に行ったのは、壁が落ちて6年目の1995年。
このときは旧東ベルリン側に新しく出来ていたヒルトンに宿泊。しかし、ホテルの周りはもちろんのこと、旧東ベルリンの至るところは建設現場となっており、開発が終わってきれいになるまでにはまだまだ当分時間がかかるような状態だったのであと10年くらしたら来て見よう・・・と思ってましたが、なかなか行けずにあれかあ14年経ってしまい今回やっと3回目の訪問となりました。
壁が崩壊して20年。ベルリンは本当に変わってしまいました。きれいになりました。醜悪だった旧東ベルリンに存在していた建物は皆壊されて斬新なデザインの建物もたくさん。ブランデンブルグ門から東に延びるUnter den Lindenの通り沿いには新しい建物も建ち、昔からある博物館や美術館も改築・化粧直しをされてきれいに蘇ってます。本当に感慨深いものがありますわ。
何だか、ぐれた放蕩息子が何年ものすさんだ生活から改心して真面目に金を稼いで立派に出世したみたいな・・。
ま、旧東ベルリンがここまできれいに蘇ったのも、西側の税金をこれでもかというぐらいに注ぎ込んだからですが。それにしてもあの共産主義国家体制とか冷戦とか・・今となっては全く何だったのか・・マルクスもレーニンも冗談きつすぎるよ・・と。
ベルリンの壁を越えようとして最後に命を落とした人は、1989年3月亡くなってます。あとちょっと、あと数ヶ月我慢していれば、壁の上に上がって万歳してシャンペンが飲めたのに・・。
練習にだけでも行きたいけれどこう寒いとその気も失せてしまいます。あ~あ、すごく下手になっているでしょうね・・。クリスマスが終わったら少しだけでも練習したいけど・・それも天気と気温次第です。
そういうわけで、家でゴロゴロしているのも何なので、久しぶりにベルリンへ行ってみました。このところ、都市観光はもはや興味ないので、なかなか思い立たないんだけど・・・(この間のハンブルグ旅行もほとんど何も見てないし)・・・でもベルリンも壁が落ちて20年経過したしね・・この眼で変化を見てみたいというのもあるので、行ってきました14年ぶりのベルリン。
初めてベルリンに行ったのは、1984年8月。壁が崩壊する5年前。
当時留学していた大学のサマースクールのバスでの修学旅行で旧東ドイツを突っ切って旧西ベルリンに行きました。友人たちと電車に乗って旧東ベルリンにも行きました。関所で旧東ドイツの通過に両替させられて恐る恐る東ベルリンに足を入れましたが、ブランデンブルグ門からテレビ塔のほうへ続く大通りのUnter den Lindenは閑散としていてあちこちに見張りのような兵士がいたりして、何かドジなことやったらしょっ引かれるんじゃないかと冷や冷やもんでしたわ。建物もとにかく醜悪この上ないデザインのものばかりで・・おもしろいものがあるでなし・・・せっかく来たからランチでもしようとレストランに行きましたが、そこも至るところに見張りのような兵士が座っていたりして全く落ち着かずに、関所を通過して電車で旧西ベルリンの駅に到着したときには全身の力が抜けたようにホッとしました。
で、2回目に行ったのは、壁が落ちて6年目の1995年。
このときは旧東ベルリン側に新しく出来ていたヒルトンに宿泊。しかし、ホテルの周りはもちろんのこと、旧東ベルリンの至るところは建設現場となっており、開発が終わってきれいになるまでにはまだまだ当分時間がかかるような状態だったのであと10年くらしたら来て見よう・・・と思ってましたが、なかなか行けずにあれかあ14年経ってしまい今回やっと3回目の訪問となりました。
壁が崩壊して20年。ベルリンは本当に変わってしまいました。きれいになりました。醜悪だった旧東ベルリンに存在していた建物は皆壊されて斬新なデザインの建物もたくさん。ブランデンブルグ門から東に延びるUnter den Lindenの通り沿いには新しい建物も建ち、昔からある博物館や美術館も改築・化粧直しをされてきれいに蘇ってます。本当に感慨深いものがありますわ。
何だか、ぐれた放蕩息子が何年ものすさんだ生活から改心して真面目に金を稼いで立派に出世したみたいな・・。
ま、旧東ベルリンがここまできれいに蘇ったのも、西側の税金をこれでもかというぐらいに注ぎ込んだからですが。それにしてもあの共産主義国家体制とか冷戦とか・・今となっては全く何だったのか・・マルクスもレーニンも冗談きつすぎるよ・・と。
ベルリンの壁を越えようとして最後に命を落とした人は、1989年3月亡くなってます。あとちょっと、あと数ヶ月我慢していれば、壁の上に上がって万歳してシャンペンが飲めたのに・・。