「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「名残の梅見」

2018年03月25日 | 晴耕雨読

    

今年はどこの梅の木を見ても、それはそれは見事に花を付けた。古木も大木も小木も一様に木全体を花が覆うような見応えであった。
あたかも満開の山桜を思わせる風情で目を引いた。その上、花の寿命が長くて、さくらの開花が叫ばれる今も、見事に咲いている。
他人様の梅の木が一様にそんなのだから、アタシたち夫婦がフーフー言いながら、枝打ちを・剪定をした梅の木や如何に?
クルマで50分、名残の梅見に出かけた。「もう遅いだろうな」という予想をあざ笑うような、見事な梅の花見となった。

よそ様に決して劣ってはいない様子に先ずは一安心。そしてしっかり刈り込んだ古木は、いい塩梅に太陽の光が根元まで差し込むようにほどよい隙間が出来ていた。これは久々に見る剪定方法の大ヒットである。6月の梅もぎが大いに期待できそうでだ。

そんな梅の木も、長年付き合ってくれて、その梅の実の有り難さを大切に守って来た一人の梅林ファンを失うことになった。
故郷を守って来た義兄夫婦。そのつれあいの義姉さんが、ついに複合型介護施設にお世話になることになった。御年81歳。
根っからの田舎育ちでお人好し、自分のことはさておいて、訪れた者に対して完璧なもてなしをしなければ気が済まない人だった。
それは、私たちがたまに里帰りする場合も同じで、やれお茶だコーヒーだ、お菓子だミカンだと、それはそれは心のこもった接待であった。

そんな義姉さんを、水頭症という病が襲った。早めに病院には行ったのだが、病状は回復には向かわず一気に認知症の重症患者となってしまった。病院を変りあれこれ治療に専念したが、自宅での普通の生活に支障をきたすようになってしまった。
今は慣れない介護所生活で、意識しないままに大変な戸惑いの毎日を送らざるを得ない状況に置かれている。完全回復は難しいとの医師の診断である。

あれほど大事にしてもらった義弟としては、お気の毒に、と思うだけで恩返しらしいこともできないままである。
せめてものつぐないとしては、田舎で一人暮らしを余儀なくされている義兄を、少しでも慰め励まし楽しく過ごしてもらうことくらいである。

何に気を付けようにもその方法さえ分からない経年劣化現象。あまりにも周囲に気を遣い過ぎないように生きるのも、一つの対処法なのかも。年を重ねたら重ねたなりに晩年の人生、一筋縄では行かないものがあるようだ。今年の梅のように、もう一花咲かせてほしいのに。

コメント
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