このブログをわりと前から読んでいる人にはバレバレなのだが、私の一番シンパシーを感じる民間教育研究団体がいくつかあって、その中の一つの機関誌に私の文章が載った。
論文でも実践事例でもない、いいたいことを述べた文で、内容も薄く、たいしたものではない。
正直言って、それほど気分が乗ったものではないから、早く忘れてしまいたいくらいのものだ。
だからというわけではないが、今更ながらペンネームにすればよかったと後悔している。
それともう一つ。
その研究団体の地域サークルに何回か顔を出しているのだけれど、3月の回は休んだ。
行事やら期末処理やらが重なって疲れたこともあるのだが、行く度に残るものが少なく、その研究団体自体が嫌いになってしまいそうになったからだ。
でも、そのサークルの人にちゃんと断りを入れていないのはマズイとは思っている。
折りをみてそれなりの話をしたいと思っている。
何がいいたいかというと、私がその研究会に興味をもっているのは、そこに所属している幾人かの人の実践と、それに対する哲学というか、教師の生き方、考え方に共感するからだ。
正直いって、この想いは個人的には強烈にあり、その想いを共有する同僚や友人をもてないこと自体がとても苦痛を覚える。
最近、はっきりと自覚的に考えをまとめようとしているのだが、この想いを理解できる教育者はそれほど多く出会えないと思っている。
そういった想いを整理していくと、おそらく、私は自分独りでこれからもいろいろなものに積極的にぶつかりながら、解消されない想いを抱いて力を身につけていくのだろうと思っている。
絶望はしていない。
話せばわかってくれる人も多くいるが、身近には皆無だということだ。
私ははっきり思うのだけれども、私のしていることを理解できる同僚はいない。
そう思う。
そして、そうやって、そういう中で力を蓄えてきた実践家を、私は幾人か知っている。
私は私のやり方でしか教育に携われない。
同僚も管理職も信じない。
だから、私は自由であるし、そういう自由をできるだけ確保することが大切だと考え、工夫するようになってきた。
最近、そういうことをちゃんと整理して考えられるようになってきた。