「学力」日本のこれから
そういう番組を少し見た。
いいかげん一般参加型の番組に飽きてきた。
いつものパタンで百出する意見、感想、勘違いの多さに、結局司会者側の思惑でまとめられていく。
今回もそういった様相を呈したので見るのをやめて寝た。
こういうのって、情報の整理作業なのかもしれない。
そうとも感じた。
でも、どれほどの広がりがあって、どれほどの整理ができるのかは、結局視聴する個人まかせで終わる。
「学力の定義の曖昧さ(というかいい加減さ)」「教育内容の歴史経過性を考慮にいれない議論」「学校と塾の違い」、「日本の教育の特性」「ゆとり教育の定義」「中教審や教育再生会議の恣意性や政治性」「教員の生活」「商業社会」「競争社会」
出されたもの、整理されたもの、そうでなかったもの、いろいろあるのだけれど、今回の「学力」という本筋にあるはずのテーマについては、番組を消してしまった今の段階の予想だと整理されないと思う。
テレビ参加をしていた中高生は前向きに物事を捉えている子が多い。
それは救いなのか、偏向なのかはわからないけれど、彼ら自身に番組に対しての責任はほとんどない。
どちらかというと、自分たちの将来に対しての責任がリアルにクローズアップして見えたのは、私が年上だからで、期待すべき若者とは、自分の若いときと同じような人になるのだろうか?とちょっと私なりに前向きに受け取った。
コメンテーターの佐藤学を始め、いろいろ現場的な人が情報を整理しているように思えたのだけれど、やはり煽られている人たちからは色のいい答えは返ってこないようだ。
これはこれでリアルな縮図だとは感じる。
このメディアを通じて、そういった人達ももしかしたら見て、私とは逆なことを考えているのかと思うと、やっぱりこういった番組ってエンタメからは抜け切らないのだとも感じた。
私も成績の整理をしているのだけれど、それって個人個人に直接的に返していく方がいいのになぁと野暮なことを感じつつやっている。
まぁ、それが嫌いなだけなのだろうけれど・・・。