ロバート・A.ジョンソン/ジェリー・M.ルール
管 靖彦 訳
満たされていますか?満たされるっていったいどういうことだろうか?私の中にある逆説と混乱の意味するものはいったい何だろう?って思う人にはいいですね。今回はその中から、投影のお話からです。
信号はあなたにいやがらせをしようとしているのか?
投影と満足をだいなしにするその役割を理解する有効な方法がある。交通信号を例にとって話をすすめよう。交通信号の実体とは何だろう?「実体」という言葉は本来、物質の背後にある理念を意味していた。交通信号で言えば、信号機を形作る理念にあたるものだ。
ところが、近代になると、実体の意味がどうしてか一転した。実体とは交通信号を作っている物質---何枚かの色付きガラス、金属の線、塗料、プラスティックなど----を意味すると考えられるようになったのだ。しかし、交通信号の背後にある理念は、とまれ、注意、進めという命令からなっている。それは単純そのものだ。
ところが、わたしたちはこの単純きわまりない交通信号に複雑な心境を投影する。いる。多くの人々はこう考えるようだ。「信号は黄色だ、スピードを上げて、みんなの先頭に出るチャンスだ。」もしくは、「それ見ろ、青だ!普段の行いがいいのだ。」
例えば、信号が赤いのを見て、「また、停まらなくちゃならない。遅れるわ。運命はわたしたちに逆らおうとしているのかしら?」と考えるかもしれない。あるいは、「この憎っくき信号は私の行く手を阻もうとして試みに、一週間、注意して信号との遭遇を観察した。その結果、赤、黄色、青という信号に大体同じ程度出会うことを発見した)。
交通信号と出会うという体験の中に、さまざまな「私」的な判断が飛び込んできていることに注意してもらいたい。それらは、止まれ、注意、進めという単純な現実とは関わりのない判断だ。(ところで、筆者は意するのだ。
もし投影の働きを観察したかったら、一日、交通信号に出会ったときの自分の心の動きを観察してみればよい。信号に出あうたび、止まれ、注意、進めという単純な現実に自分がどのような投影を行うかに注たされているか考えてもらいたい。
もし単純な交通信号がそんなにも多くの感情を生み出すとすれば、もっと複雑なやり取りでは、一体、何がおこるだろう?あなたの日常がどれだけ世界の知覚をゆがめる否定的な投影や肯定的な投影で満電話のベルが鳴る、郵便箱に手紙が配達される、ミーティングへの出席を求められる、そんな単純な出来事でも、かってに自分の中のものを投影し、影響を受けていないだろうか?
投影は自分自身が作り出す幻想に自分を巻き込んでしまう。東洋の精神的伝統では、これを「マーヤー」と呼ぶ。マーヤーとは限られた意識の形態を表している。
職場で投影がおきると、わたしたちの反応は、次の三つのうちのいずれかになりやすい。(1)極度に情緒的になる、
(2)強迫的になる、
(3)物事が思わぬ方向にそれていく。
わたしたちが自分の隠された性質を世界に投影しているとき、他人はよくそれに気づく。しかし、不幸なことに、本人がそれに気づくのは一番最後になるのが普通である。
投影しながら生きてるんだな~ 皆さんはどんな投影してますか?
最後までお読みくださって ありがとう
つながっているすべての人に ありがとう
意識して観察してみます。
信号との遭遇も確認したくなりました(笑)
信号っていろんな思い
投げかけられていることでしょう(笑)
最近になって気がついたことなのですが
友達に投影していたことは
実は自分のことだった~って思えるんです。
このことがあってからネガティブな投影よりも
ポジティブな投影のほうが
いいような気がしています。
それと、満たそうと思えば思うほど
満たされな~い。
とらわれない心地よさ
感じていたいですね~
いつもありがとう