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『宇宙の約束』

2009-05-24 | エッセイ
『 宇宙(そら)の約束 

                  山元 加津子 著 

 

 宇宙に存在するものが、すべて必要なら、
  私はどうして私として生まれてきたのでしょう?
  私は私であるために、どんなふうに生きていったらいいのでしょう?
  運命っていったいなんなのでしょうか?
  私たちは運命をどうやって受けとめて生きていくのでしょう?

  
  「本当のこと」を求めイスラエルの旅へ出た かっこちゃん
 〝もの〟や〝ひと〟や〝こと〟にも意味があることに
  気づかされるんだな~

 

 

   どうしてひとりでは完全じゃないの

 

 村上和雄さんは、宇宙のすべてのもの、人間の遺伝子やなにもかもを、宇宙のなりたちを作っている大きな力であるサムシング・グレートが設計したのだと言っています。すべてのものが、むなしく生きなくてすむように、ちゃんといろんなことがうまくいくようにこの宇宙を作っているということなのだと思います。


人間において、遺伝子というものは、きっと顔かたちだけでなく、得意なこと、不得意なこと、身体の作り方、病気のかかりやすさ、そして、ものの考え方、ありとあらゆるその人自身を作り出しているものだと思うのです。


ところでなぜ、その大きな力である〝神様〟は、人間を、誰の助けも借りずに一人だけで生きていけるような完全な存在にしなかったのでしょうか。


それは、私は、大きな宇宙は何もかもすべてのひっくるめて、全体でひとつの命だからじゃないかなと思うのです。人だけでなく、自然や物や事柄などがお互いに補い合って、全体でひとつの命だからなのじゃないかと思うのです。そして、私たち一人ひとりを含めて、どれもが、その大きな命の大切な一部なのだと考えるのです。

 

吉野弘さんが書かれた「生命(いのち)は」という詩があります。

 

生命は

生命は

自分自身だけでは完結できないように

つくられているらしい

花も

めしべとおしべが揃っているだけでは

不十分で

虫や風が訪れて

めしべやおしべを仲立ちする

生命は

その中の欠如を抱き

それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分

他者の総和

しかし

互いに欠如を満たすなどとは

知りもせず

知らされもせず

ばらまかれている者同士

無関心でいられる間柄

ときに

うとましく思うことさえも許されている間柄

そのように

世界がゆるやかに構成されているのは

なぜ?

花が咲いている

すぐ近くまで

虻(あぶ)の姿をした他者が

光をまとって飛んでくる

私もあるときは

誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき

 

私のための風だったかもしれない

                (詩集「北入曽」青土社)

 

この詩で表されているように、出会った人間同士だけが補い合うというような狭い意味じゃなく、空間も時代も超えて、あらゆるものがひとつの命として、宇宙の設計図は組み立てられているのだと思うのです。この宇宙に存在するものそれぞれが補い合って、助け合って、ひとつの命として生きていく・・・・だからこそ、存在するものすべてが、とても大切で必要なのですね。

 

お坊さんやサムシング・グレートが教えてくれたことは、世界のいろいろなところへ出かけても同じでした。ペルーに出かけたときも、ネパールやバリ島にでかけたときもみんなだれもが、私が、何も尋ねていないのに、同じことを言いました。

 


どんなことにも、理由があり、意味がある。〝もの〟も〝こと〟も〝ひと〟も、みんな意味なく、そこにあるのではない、すべてのものが大切だからこそ〝神様〟が用意をし、だからこそ存在するのだというのです。

 

 

     ひとりひとりが 宇宙の約束  とつながっているね・・・・・・・・・ 

 

                    

           最後までお読みくださって ありがとう 

  

           つながっているすべての人に ありがとう