ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

ならぬことはならぬものです

2012年12月26日 | 日々のつぶやき
記事の題は、かつての会津藩の子供達の間で決められていた、
「什(じゅう)の掟」の最後、結びになる言葉だ。


  一・年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
  二・年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
  三・嘘言を言ふことはなりませぬ
  四・卑怯な振舞をしてはなりませぬ
  五・弱い者をいぢめてはなりませぬ
  六・戸外で物を食べてはなりませぬ
  七・戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ

  ならぬことはならぬものです



これを初めて聞いたのは、高校生の時。
当時会津若松に単身赴任していた父から教えてもらった。
浜通りの生まれ育ちの父だったが、
会津に赴任していた4年間の間に大の会津贔屓になり、
以来、幾度となく会津地方に連れて行ってもらった。

でも、この「什の掟」に関しては、
思春期まっただ中だったわたしには、へぇ、ふ~ん、という印象しかなかった。
特に七番目の文言など
 (ケッ・・・!!)
てな感じで、内心、ま~たオヤジが煩いこと教えようとしてるな~、
なんて、あんまり真面目には聞かなかったように思う。

この「什」というのは、会津藩の子供達の、子供会のような組織だったらしい。
会津には日新館という学問所があり、
会津藩の男の子たちは10歳になるとここに入学することになっていた。
入学前の6歳から9歳までの子供たちは、日新館の生徒になる前段階として、
それぞれの町内に自分達だけの集まりを作って、その集まりでの決まり事を守るべく、
遊びを通して会津の武士としての心構えの基礎を学んでいった。
この集まり、つまり子供会の組織が「什」で、
「遊びの什」とか、「お話の什」などがあったそうな。
毎日持ち回りで各子供達の家で反省会を行い、
「什の掟」にある約束事は絶対に守るように努力をしたのだそうだ。
各町内によって少しずつその内容は異なったらしいが、
最後の結びの
 「ならぬことはならぬものです」
は、どの「什」にもあったという。

http://www.nisshinkan.jp/about/juu


現代のわたしたちの暮らしには合わないと思う人たちもいるだろうが、
ひとつひとつを現代に当てはめて考え直すことも、あってもいいのかな、とも思う。
(くどいが、七、は別として)
例えば 六、などは、わたしならこう書きたい(苦笑)。
 
 六、戸外で(公衆の面前で)化粧直しをしてはなりませぬ

一、二、三、四、五、などは、おおいに反省すべきことだ。

ただし、年長者といえども、白を黒と言えと言われたら、
現代ならそれは従う必要はないと思うけど。

幕末に会津藩のたどった悲劇をさまざまな角度から考察すると、
この教えにあるような、かたくなさ、頑固さも一因だったのではないか、
と指摘する学者もいる。(出典もどなたの説かも忘れたが)

そういう一面も、確かにあるのかもしれない。

でも、頑固さは意志の強さでもある。
そして本当の意味での優しさにもつながるように思う。
困難に直面した時には、それが武器にもなるのだ。

筋の通った生き方をしたい、と思う。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 来年のNHK大河ドラマ「八重の桜」は、前半が会津を舞台にしている。
 テーマ音楽担当者が気に入らないけど、音楽に罪はなし、
 実はかなり期待している。

 「什の掟」は前から記事にしたいと思っていたのだけれど、
 福島の宣伝も込めて書いてみた。

 そういえば、平家物語のことも書いたが、
 大河の「平家物語」はついに一度も観ないでしまった。