苦し紛れのタイトルですが・・・。
「脱原発」や「反原発」ってタイトルは、突っ込まれそうなので・・・。
(「断捨離」の提唱者・やましたひでこさん、勝手にごめんなさい。)
さて、その、やましたひでこさんによれば、
だんしゃり 断・捨・離とは、
自分とモノとの関係を問い直し、
暮らし・自分・人生を調えていくプロセス。
だそうだ。
福島県で暮らす者として、原発はもうごめんだ。
原発の電力なしでは医療だって崩壊する成り立たないかも知れないことはわかっているけれど、
感情として、受け入れることはできない。
では、代わりに50年前の暮らしをせよと言われたら、それも自信がない。
モノがあふれ、便利な時代、一度楽することを覚えてしまった身には、
ひとむかし前の生活に戻ることは、できそうでできない。
猪苗代湖の南側に、布引高原という場所がある。
住所は郡山市湖南町になっているが、位置的には会津の猪苗代、という印象だ。
http://www.tif.ne.jp/jp/spot/spot_disp.php?id=3348
http://www.studioo2.co.jp/img/Photo_Library/nunobikiyamakogen/index.html
(最初にご紹介していたアドレスが開かなかったので、別のものをご紹介します。9/17)
その高原には、風力発電の風車が33基あり、約12,500万kWhの発電ができる。
これは、一般家庭約35,000世帯分の年間消費電力量に相当するのだそうだ。
http://www.jpower.co.jp/wind/win01000.html
わたしも昨年夏に初めて行ってみた。
風力発電がどのぐらいのものか、確かめてみたかったのだ。
かなり広い。
これだけの敷地に、33基。
でも、たったの3万5千世帯分の電力。
当然だが、メリット・デメリットがある。
http://jp.meritdemerit.com/topic/421
http://allabout.co.jp/gm/gc/380620/
1年前にも書いたのだけど、こんなことを時々考える。
一般家庭・マンションなど共同住宅・会社・工場・官公庁・病院など、
あらゆる建物には全てソーラーシステムを配備する。
採算はこの際、考慮しない。
とにかく、自力でまかなえる分はわずかでも、太陽光発電の電力を使う。
日本全国、全て。
国策として、これを行う。
その上で、絶対的に常に大量の電力が必要な場所には(当分は)原子力発電でまかなう。
(わたし個人の感情的には、これは暫定的に・・・)
原発立地の自治体では、万が一に備えて、
1.避難範囲の設定
2..避難先の確保(近県自治体とも連携の体制)
3.原発周辺の気象情報を常にアナウンスする(特に風向き)
4.付近住民には安定ヨウ素剤を配布しておく(これは非常食と同じく更新する)
・・・などなどのシミュレーションを最低限やっておく。
デモや集会で叫んだところで、原発はなくならないよ。当分。
なら、上記の1~4などについて、具体的に行動を起こすのが先決じゃないのかな。
ただ、4,については、どの段階で内服するのか、
住民への常日頃の啓発が必要になると思うけど。
福島県発事故では、一般市民に放射線による健康被害が起きる可能性は、かなり低いと思う。
でもそれは、前にどこかでコメントしたかもしれないけど、
不幸中の幸いでしかないんだ。
今後も、万が一どこかの原発で事故が起きても、
放射線による健康被害には至らないかもしれない。
でも、もしもその万が一、が起きたら・・・。
そのために、付近住民は、屋内待避かもしれないよ。
いや、避難生活を送るかもしれないよ。
命は永らえても、故郷を無くすことになるかもしれないよ。
「健康には問題がない」ことを証明するために、
平時なら必要なかった検査を定期的に受けなければならないよ。
毎日の食品は「測定されたもの」を確認して口にしなければならないよ。
ベクレルだのシーベルトだのが、いつもアタマの隅にこびりついている。
公園にも学校にも幼稚園にも保育園にも、モニターが設置されている。
これが、今の福島県の現実。
それでも、なにごともなかったように、暮らしていく。
わたしたちのこの地での日々の暮らしは、今までとおりだ。
でも、「あの日」から今までのことは、「なかったこと」にはできない。
忘れたふりをしてるのでも、ない。
なにも考えてない訳じゃない。
受け入れて、ここで、暮らしている。
今、原発を立地している地域の方々が、原発と共存するということは、
万が一コトが起きたら、どうなるか、
常にその覚悟と備えが必要だということだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回も、記事をアップするの躊躇してました。(9月17日)
「脱原発」や「反原発」ってタイトルは、突っ込まれそうなので・・・。
(「断捨離」の提唱者・やましたひでこさん、勝手にごめんなさい。)
さて、その、やましたひでこさんによれば、
だんしゃり 断・捨・離とは、
自分とモノとの関係を問い直し、
暮らし・自分・人生を調えていくプロセス。
だそうだ。
福島県で暮らす者として、原発はもうごめんだ。
原発の電力なしでは医療だって
感情として、受け入れることはできない。
では、代わりに50年前の暮らしをせよと言われたら、それも自信がない。
モノがあふれ、便利な時代、一度楽することを覚えてしまった身には、
ひとむかし前の生活に戻ることは、できそうでできない。
猪苗代湖の南側に、布引高原という場所がある。
住所は郡山市湖南町になっているが、位置的には会津の猪苗代、という印象だ。
http://www.tif.ne.jp/jp/spot/spot_disp.php?id=3348
http://www.studioo2.co.jp/img/Photo_Library/nunobikiyamakogen/index.html
(最初にご紹介していたアドレスが開かなかったので、別のものをご紹介します。9/17)
その高原には、風力発電の風車が33基あり、約12,500万kWhの発電ができる。
これは、一般家庭約35,000世帯分の年間消費電力量に相当するのだそうだ。
http://www.jpower.co.jp/wind/win01000.html
わたしも昨年夏に初めて行ってみた。
風力発電がどのぐらいのものか、確かめてみたかったのだ。
かなり広い。
これだけの敷地に、33基。
でも、たったの3万5千世帯分の電力。
当然だが、メリット・デメリットがある。
http://jp.meritdemerit.com/topic/421
http://allabout.co.jp/gm/gc/380620/
1年前にも書いたのだけど、こんなことを時々考える。
一般家庭・マンションなど共同住宅・会社・工場・官公庁・病院など、
あらゆる建物には全てソーラーシステムを配備する。
採算はこの際、考慮しない。
とにかく、自力でまかなえる分はわずかでも、太陽光発電の電力を使う。
日本全国、全て。
国策として、これを行う。
その上で、絶対的に常に大量の電力が必要な場所には(当分は)原子力発電でまかなう。
(わたし個人の感情的には、これは暫定的に・・・)
原発立地の自治体では、万が一に備えて、
1.避難範囲の設定
2..避難先の確保(近県自治体とも連携の体制)
3.原発周辺の気象情報を常にアナウンスする(特に風向き)
4.付近住民には安定ヨウ素剤を配布しておく(これは非常食と同じく更新する)
・・・などなどのシミュレーションを最低限やっておく。
デモや集会で叫んだところで、原発はなくならないよ。当分。
なら、上記の1~4などについて、具体的に行動を起こすのが先決じゃないのかな。
ただ、4,については、どの段階で内服するのか、
住民への常日頃の啓発が必要になると思うけど。
福島県発事故では、一般市民に放射線による健康被害が起きる可能性は、かなり低いと思う。
でもそれは、前にどこかでコメントしたかもしれないけど、
不幸中の幸いでしかないんだ。
今後も、万が一どこかの原発で事故が起きても、
放射線による健康被害には至らないかもしれない。
でも、もしもその万が一、が起きたら・・・。
そのために、付近住民は、屋内待避かもしれないよ。
いや、避難生活を送るかもしれないよ。
命は永らえても、故郷を無くすことになるかもしれないよ。
「健康には問題がない」ことを証明するために、
平時なら必要なかった検査を定期的に受けなければならないよ。
毎日の食品は「測定されたもの」を確認して口にしなければならないよ。
ベクレルだのシーベルトだのが、いつもアタマの隅にこびりついている。
公園にも学校にも幼稚園にも保育園にも、モニターが設置されている。
これが、今の福島県の現実。
それでも、なにごともなかったように、暮らしていく。
わたしたちのこの地での日々の暮らしは、今までとおりだ。
でも、「あの日」から今までのことは、「なかったこと」にはできない。
忘れたふりをしてるのでも、ない。
なにも考えてない訳じゃない。
受け入れて、ここで、暮らしている。
今、原発を立地している地域の方々が、原発と共存するということは、
万が一コトが起きたら、どうなるか、
常にその覚悟と備えが必要だということだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回も、記事をアップするの躊躇してました。(9月17日)