ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

フルバンド

2007年12月09日 | 音楽
フルバンドという言葉は、一般にはあまりなじみのない言葉であるが、
いわゆるジャズ・オーケストラのことである。
ジャズオーケストラというのは、トランペット4人、トロンボーン4人、サックス5人、
ドラム・ギター・ベース・ピアノが各1名ずつ、という編成である。
吹奏楽団に似ているけど、違うのはティンパニーやホルンなどがないこと、かな?  
いわゆるオーケストラと違うのは、バイオリン・ビオラ・チェロなどの弦楽器がないこと。
管弦楽団ではバイオリンがメロディーを担当するけど、フルバンドではサックスが担当する。
例えば紅白歌合戦のバック演奏の「三原綱木とニューブリード」、あれはフルバンドに近い。
(もっとも、最近の紅白の演奏にはバイオリンもはいってるけど)

母校の部活にもフルバンドがある。
夫もわたしも、そのメンバーだった。
学会で母校のある市に行ったついでに、学会終了後、母校まで足を伸ばしてみた。
後輩たちが、22日に予定されている定期演奏会の練習をしていると聞いたので、
古くなってもうすぐ取り壊されるという予定の、体育館の3階にある部室に行ってみた。

後輩といっても、もう自分の子供たちの年齢である。
みんな、わっか~い! んで、かわいい~! (*^_^*)

部室の入り口で、オネエチャンがヘッドホンつけてピアノを練習していた。
楽譜を見ると、「スイッチ・イン・タイム」だった。
これは、この間わたしもメンバーになってる社会人バンドの定期演奏会でもやった曲だ。
(なかなかむずかしいけど、頑張って♪)心の中で声をかけて、部室を見学させていただく。
部室では「ソウル・ボサ・ノヴァ」の練習をしていた。
クインシー・ジョーンズの有名な曲である。
う~ん、なかなかやるじゃん!
バンマスのオニイちゃん(3年生だそうだ)がテキパキと指示を出している。
1曲の練習に、約1時間。
何度も何度も繰り返し、練習している。

わたしが学生の頃のバンマスも、厳しい先輩だった。
誰かがちょっとつまづくと、そこでストップ。やり直し。
練習に遅刻したり、やる気がなくてダラダラしてると、
「へったくそだなぁ、やる気あんのか、もう、やめっちまえ!」なんて言われたり。
まるで運動部のしごきのようだったなぁ。
厳しくてアイソもないんで、その先輩は最初、キライだった。
(それが、まさか結婚することになるとは・・・。(^_^;)

後輩たちのメンバーは、医学部と衛生学部(看護科と技術科がある)が入り交じっている。
それぞれのテスト週間などのカリキュラムも違うから、練習時間もなかなか大変らしい。
でもね、それでいいんだよ。
それぞれの立場を超えて、自分たちの音楽を作り上げ、お客さまに聴いていただくために、
皆でステージに立つというプロセスが、今は大切なことだと思う。
これから君たちが就くであろう医療の仕事は、チームワークなのだから。

後輩たち、今日は突然はるか昔のOB(G?)が闖入してごめんなさい。
練習を聴かせていただいてありがとう。
定期演奏会の成功を祈ってます!
もちろん、本業の勉強も頑張って、ちゃんと進級して、国試もちゃんと受かりますように。
(って、居眠りばっかしてたわたしが言える筋合いじゃないけど。ははは。(^_^; )


教科書の1行

2007年12月09日 | 医療
 今年の小児アレルギー学会は、母校の恩師が会長でもあるので、ちょっと遠いのだけれど、頑張って行ってきた。
 小児アレルギーといえば、そのほとんどは気管支喘息とアトピー性皮膚炎なのだけれど、恩師のライフワークでもある食物アレルギーの話題もかなり盛り込んであり、とても勉強になった。

 大きな学会は内容も難しいものもあり、毎回、??? と !!! のことばかり。でも、やっぱり時々こうやって出かけていかないと、知識がついていかなくなってしまうんだよね。

 かつて、20年以上も前のことだけれど、血液検査でひっかかった食物をすべて除去するという、極端な食事制限の治療が「流行」だった時代がある。もっともそれは、一部の医師たちによるものだったのだけれど、それがマスコミや口コミで広がり、厳しい食事制限の結果、中には栄養障害をきたしてしまったお子さんもいた。

 恩師の仕事は、そういった食事制限を、何を基準に、どこまで必要なのか、どのような除去食療法が望ましいのか、与える場合にはどんな方法をとればいいのか、といったことを、学問的に証明しようとするものである。

 外来で実際に行う手技的なものは、実はそれほど難しいものではない。
 でも、その、一見簡単そうに見えることでも、その裏付けには、多くの患者さんや医師たち、検査技師さんたち、その他企業の方々の、途方もない手間と工夫と時間が費やされている。

 医学部の学生だった頃、当時の小児科の教授がこうおっしゃった。
 君たちが今使っている教科書の、このたった1行の事実は、たくさんの研究者の努力の結果なのだ、と。
 だから心して勉学にいそしみたまえ、という意味であったが、怠け者の私はいつも居眠りをしてたっけ。(ごめんなさい。^^:)

 今になって、その時に教授がおっしゃった意味が、とてもよくわかる。

 研修医になった時、教授はこうもおっしゃった。
 これから君たちが毎日診察する患者さんが教科書でもあるのだ、と。
 患者さんを診察させていただくことで、一人前になるのだから、ゆめゆめ、医師という肩書きを振りかざしてエラそうな態度をとってはいけない、という意味もこめた言葉だったと思う。

 くじけそうになって、何もかも投げ出したくなる時、いつもこれらの言葉を思い出す。