ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

開業医・今昔

2007年12月10日 | 医療
 今日は月曜日。
 朝から猛烈に混んで、昼休みもそこそこに、午後の外来が終わったのはもう夜の7時を過ぎていた。最近の開業医はほとんどが夜7時ぐらいまで診療しているから、まぁ普通といえばそうなのだけれど、当院の診療時間は一応夕方6時まで、としている。
 開業するに当たって、最近の傾向に合わせて、診療時間を遅くまで設定したほうがいいのかどうか、どうしようか、ずいぶん迷った。でも、やはり診療時間は6時までにした。
 理由は二つある。
 ひとつは、具合が悪い患者さんを病院に紹介・搬送するためには、なるべく病院の時間外にならないようにしたい、そのためには、私のかかりつけの患者さんたちに、あそこは6時まで(受付は一応5時半までになっている)だから、それまでに、なんとしても、できるだけ都合をつけて受診して欲しいからだ。ほとんどの場合人は、期限が先延ばしになれば、どうしたってその時間ギリギリまで様子をみてしまうことが多い。子どもの救急は夜間が多いのは事実だけれど、実際には、夜間に「本当の」救急というのは、それほど多くはない。
 あそこは夜遅くまでやっているから大丈夫と、保育園が終わってから受診して、実は午前中から具合が悪かった、あるいは、午前中はそれほど具合は悪くなかったけれど、いつもと少し違う、午後になったらやっぱり悪くなった、という場合も結構ある。
 だから、できるだけ、いつもの違うな、という時は、きちんと診療時間内に受診して欲しいと思っている。
 それはなぜか。
 万が一、病院に紹介しなければならない場合のことを考えると、病院の人手が手薄の夜間よりも、人手の多い日中のほうが、はるかに患者さんにとっては質の高い医療を受けることができるからだ。病院といえども、夜間は医師の数も看護師の数も少ないし、検査の体制も限られているのだ。(もちろん、夜になって急に具合が悪くなった場合は別である)
 もうひとつの理由。
 うちは産婦人科だから、夜間・休日は当直・日直の看護師・助産師がいる。お産は夜間も休日も関係ないから、電話は24時間、いつでも受付ている。だから、夜間や休日に何かあれば、私の患者さんたちも、クリニックに電話を下さることがある。診療時間が短いことは、電話対応である程度補うことができると考えたからだ。
 そして実際に、殆どの場合は、電話でのやりとりで事が済む場合が多い。
 でも、中には診察が必要と思われる場合もある。そういう時、お子さんのの年齢や状態によってはおいでいただいて診察することもある。これができるのも、当直のスタッフがいるからこそだ。当直の看護師たちは産科の仕事に就いているから、普段は私の外来に付いている訳ではない。だから彼女たちにとっては大変なストレスだと思うが、頑張って対応してくれている。お産などが入っている時は、私に連絡をとる時間も勿体ないぐらいのこともあるだろうに、殆どの大事なポイントは押さえてくれている。感謝するばかりだ。
 ただ、ここ数年は、当市の夜間救急センターに日替わりで毎日小児科医が夜7時から11時までいるので、実際においでいただいて診察することは、めっきり少なくなった。

 小児の夜間救急の件数の増加は全国的にも問題になっている。
 その原因についても、対策についても、さまざまな意見がある。
 対策については、私個人が意見を述べるべきではないので、ここでは書かない。

 原因のひとつとして、誰も指摘しないのだけれど、わたしなりに考えることがある。
 それは、「開業医」の形態が変わってきたこともひとつのではないか、ということだ。
 かつての開業医は、いわゆる「町のお医者さん」として、それこそ一人で24時間態勢だった。これは産科や小児科だけではなく、内科でもそうだったはずだ。
 医院と自宅は同じ建物・棟続きが殆どだったと思う。
 テレビドラマや映画などによくあるシーン、
 ドン・ドン・ドン、とドアを叩いて、「センセイ、うちの子が、急に熱を出して!」
っていうあれだ。
 昔の開業医は、実際にあのような状況が多かったと思う。
 「ALWAYS三丁目」の宅間先生のように、夜中だろうと往診する開業医が多かった。
 では、なぜそのようにできたか。
 これが、誰も指摘していないことだ。
 昔の開業医には、そのほとんどに、住み込みの看護婦さんがいたのだ。
 住み込みの看護婦さんのほとんどは、准看護婦だった。
 彼女たちは、中学を卒業すると、開業医に住み込みで家事手伝いをしながら看護学校に出してもらい、その後、最低限数年間はそこで働いていた。
 これをお礼奉公といっていたのだが、実は法律的な決まりではなかった。
 その後、時代の流れで、住み込んでまで看護婦などしたくない女性が増え、お礼奉公の是非も問われることとなり、そういった、かつての開業医のスタイルは崩れてしまった。
 
 わたしと母の、内科・小児科外来には、4人の看護師がいる。
 一番若い看護師は、もちろん住み込みの経験などはないが、准看護師の資格を取った後、ある病院に勤務しながら、そこの看護学校を出ている正看護師だ。書けばひとことだが、今どきの若い人にしては、なかなか苦労しているので、ガッツがある。
 ほかの3人はもう還暦に手が届くという年齢だ。
 3人のうち1人は、開業産科医に住み込んでいた経験を持つ。
 彼女は義理堅く、もうお亡くなりになり廃業したその産科医の奥様とは、今も交流がある。
 3人のうち2人は、わたしが子どもの頃、母の診療所に住み込んでいた。
 わたしが小さい頃、同じ食卓でご飯を食べ、一緒にお風呂もはいり、休日には遊んでもらい、おねしょしをしたことも、宿題忘れて叱られたことも、全て知っている2人である。
 母の診療所(つまりわたしの育った家)は山の中の村にあった。
 当時は車など持たない家が殆どだったから、夜間の往診もたびたびあった。農家の仕事が終わってから来る患者さんもいたから、時間外は日常茶飯事だった。山菜取りやキノコ狩りで山で遭難した人が見つかった時も、その検死に出向いていった。
 彼女たちは、交代でそれらの仕事に同行した。
 これも、住み込みだからこそできたことである。

  そういう経験を経ているから、うちの4人は、私の出す無理難題にも付いてきてくれる。
  これはすごいことだなぁと、いつも感心してしまう。
  面と向かっては照れ臭いから、ここで書いちゃうよ。(^^)

 子どもの頃のわたしは、開業医なんて大変な仕事には絶対に就くまい、と思っていた。
 たびたび夜間に患者さんから電話があって、当時は自家用車を持たない家が多かったから、往診することが多かったのだ。
 交代で当直ができる勤務医のほうが楽だと思っていた。
 今どきの開業医のほとんどは、自宅と医院が別である。
 医院は夜になれば誰もいない。もちろん電話も出ない。
 勤務医は、開業医が夜間に対応できない、でもその殆どは決して重症ではない患者さんの対応に追われ、病棟の自分の重症患者さんにも手が回らないに等しい状態で勤務を続けている。
 実は、一般の方々の多くは知らないことに、勤務医には「当直明け」というのがないのだ。
 つまり、当直(殆ど眠れない)の翌日も、普通に外来や病棟の仕事を続けているのである。そして夕方になってまた患者さんが運ばれてくると、場合によってはその日も帰宅できなくなることもある。こうして、心身ともに疲労困憊し、勤務医は辞めていく。
 そして開業する。
 新しい医院は自宅とは別々。
 そしてまた、夜間にあぶれた患者さんは、病院や救急センターに行く。

 こんな悪循環に陥っているのが、今の日本の医療形態ではないだろうか。

 かつてのやりかたが良かったと思っている訳ではない。
 お礼奉公などは、ないほうがいいに決まっている。
 でも、実は、かつての日本の医療を底辺で支えていたのは、住み込みで開業医に務めていた彼女たちのような准看護婦の存在が大きかったということにも、思いをはせなければならないと思う。

 だからといって、時代を遡ることはできないし、現実に、「もしも仮に」開業医に看護師が住み込んだところで、今の医慮報酬制度では、その手当ても支払えないであろう。
 
 これからの日本の医療がどのようになっていくのか、皆目見当がつかない。