ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

2010年02月06日 | 日々のつぶやき
           雪

     太郎を眠らせ,太郎の屋根に雪ふりつむ。
     次郎を眠らせ,次郎の屋根に雪ふりつむ


これは、三好達治の「雪」という題の詩です。
「測量船」という詩集のなかのひとつです。
たしか、中学校の国語の教科書に載っていました。

わたしはまだ子どもだったので、ヘンな詩だなぁ、というのが最初に読んだ印象でした。
が、なぜか、とても惹かれました。
たった二行なのに、ふるさとの、しんしんとふりつもる雪と、
すやすやと寝息をたてて眠る家々の子どもたちの情景が浮かびました。
寝ている子どもたちは、小さかった自分やふるさとの同級生を想像した記憶があります。
わたしは中学校から親元を離れていたので、余計にその情景が浮かんだのかも知れません。

地元に戻ってきて勤務した大学病院は、この街の盆地の南端の丘の上にあります。
病院の上の階の窓から北側を眺めると、はるか遠くに、実家の村のある山々が見えます。
当直の時には、子どもたちを実家に預けていました。
真夜中、救急外来で起こされたあとなど、すぐに眠れないことがあります。
子どもたちはもう寝たかなぁ、なんて思いながら、
晴れた夜空の北の方角を眺めていたこともありました。
冬、雪が積もって晴れた夜には、山の稜線がくっきりと見えることがあるのです。
そんな時、思い出すのが、この詩でした。
(もっとも、この詩では雪は「降っている」ので、晴れた夜空ではないですが・・)

そのふるさとも、今はダムの底。
子どもたちも、大きくなりました。

この詩の解釈として、
「太郎」「次郎」を眠らせるのは誰か、とか、
「太郎」と「次郎」はどんな子どもか、兄弟か、とか、
「太郎」「次郎」の家はどんな場所か、
などの課題を考えさせる授業を今の学校はしているのだそうです。

「太郎」「次郎」を眠らせるのは「お母さん」という答えもアリ、なのだとか・・・。
文法的には「雪」だと思うんだけど・・・。
でも、詩なのだから、解釈は自由でいいのかな。

わたしの頃にはどのように教わったのか、残念ながら記憶にありません。

 しんしんと音もなく降り積もる雪。
 山も畑も家々の屋根もすっぽり白く雪にくるまれています。
 遊び疲れた子どもたちは、ほほをまっかにして、すやすや寝息をたてています。
 ときおり、お母さんがふとんをかけ直してあげます。
 雪はやまずに降り続いています。
 あしあともなにもかも、消えてしまうぐらいに。
 しずかにしずかに過ぎていく、ふるさとの情景です。

これは、わたしの解釈。

昨日から降り出した雪、特に日本海側では、20数年ぶりの大雪なのだそうです。
当地でも数年ぶりに積もりました。

きっと今頃、あちこちで「太郎」くんや「次郎」くんが眠っています。