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光車よ、まわれ 天沢退二郎

この本は、読者から「復刻」のリクエストが多かった本でそれがようやく実現したのだという。決して営業的に大成功だったわけではない35年前の本書は永らく絶版となっており、これまで入手が非常に困難だったらしい。入手するには定価の何十倍ものプレミアムを払う必要があったとも言う。そうした経緯を知らずに普通に定価で入手した訳だが、そういう事情を知ると、こちらの興味はおのずと「そのように熱狂的に読まれるようになった本が何故発売当時はさほど話題にならなかったのか」という点になる。35年前といえばこちらも中高生くらいで、バドミントンの部活動に明け暮れていた。今のように熱心には読書していなかったので、この本については何も記憶がない。
さて本書の読後の感想だが、正直言って名作というにはあまりにも欠点が多すぎる。とにかく世界が狭すぎて話にならない。主人公の小学生が動き回わって解決できる範囲でしか事件が起きない。解決の鍵となる3つの鍵も全て同じ町内で見つかる。超自然的な力を持つ敵もなぜか大変間抜けである。昔、「そんな力があるならもっと大きな目標を持てよ」と突っ込みたくなるような「生徒会を乗っ取ることに血道をあげるものすごい超能力の持ち主の転校生」という設定の学園ミステリーがあったのを思い出す。しかもその世界がどういうものなのか、読んでいて全然理解できない。わずかに挿入された挿絵も何だかよく判らないし、理解の助けにならない。巻末の解説でも「世界が描き切れていない」と言われる始末だ。さらにストーリーも脇役が些細なことで殺されてしまったりで何とも陳腐である。これが正直な感想なのだが、そうした感想と裏腹に、この作品にはいろいろな傑作の萌芽とも言える様々な要素が織り込まれているようにも思える。理由のない不安、大人や社会への嫌悪、独りよがりの勧善懲悪、こうした少年時代に通過した記憶のあるものがこの作品からほの見える。これがいろいろな方面でこの作品が評価されている理由なのだと思う。(「光車よ、まわれ」天沢退二郎、ブッキング)
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