スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(中国)

2018-10-20 14:13:44 | 日記
10月20日(土)
 中国は傲慢を通り越して、自分しか見れない、ごく狭い視野を持つ身に生まれついた人々が住む国かも知れないと思う。自民公明両党と中国共産党の定期会話なるものがあるそうで、そこで日本に来た中国共産党の偉いさんが、「メディアに働きかけて、情報を訂正して貰い、世論の形成をリードしてゆくこと」が、両国の与党の役目だと講演したそうだ。自民公明の出席議員は万雷の拍手で答えたとのことだ。しかし中国共産党がする「メディアへの働きかけ、情報の訂正」とは、強圧と暴力を持って共産党の見解を書かせるものである。民主主義国の日本へ来て、しかも与党議員を前にして臆面もなくメディア規制を言うとは、他国の国情に全く無関心であるからであろう。エゴイストとも自分本位ともニュアンスの異なる、他人無視人間の振る舞いと評するしかない。普通はよその国に行ったらその国に配慮した物言いをするものだ。言論の自由は日本の金看板である。それを平気で踏みにじる演説をするとは、中国人でなければ成し得ない芸であろう。
 万雷の拍手をした議員さんたちも情けない限りだが、これは日本流に「メディアに正しい情報を根気よく流して、気づいて貰う」という、外来文化受容の際の改編という伝統的思考方法から出たものであろう。しかし中国共産党の偉いさんは、日本人も俺を熱烈に支持した、そのように本気で国に報告するに違いない。
 日本人にはどういう訳か中国に憧れる人が多い。私の会社の先輩は中国にほれ込んで早期退職し、聞いた話では軽自動車を持ち込み、それを運転して、何年も中国各地を旅行しているとのことだ。また高校の時の英語の先生は、退職して数年間西安で日本語教師をしたと、これは同窓会で直接先生から聞いた。私は日本書紀を勉強するカルチャーセンターの旅行で、2回中国旅行をしたが、メンバーのほとんどが10回以上は中国旅行をしていて、中国の全部の省に行ったことがあるという人もおり、驚いたものだ。殆どの人がまだ近代化されていない頃の風情を懐かしんでいた。また贖罪意識も多分にあるようで、長春に行ったとき、関東軍司令部とか国務院の建物が現役で使用されているのを見て、「中国の方たちはなんと心が広いことか、あんな酷い目に遭わされたのに、日本の建物を大切に使っていてくださる」との一人の婦人の呟きに、多くの人が共感していた。この種の思い入れは現在の人の感情だけでなく、戦前もそうだったのではないかと考える。蒙古放浪歌とか馬賊の歌などを聞くと、中国に対するロマンティックな憧れが底流にあるように感じるのだ。
 私には不思議である。私はヨーロッパには憧れたが、中国にそういう感情を持ったことがないのだ。私は案外日本人も、片目でしか中国を見ていないのではないかと思う。古代中国の文化財として青銅器が有名である。戦前の財閥が収集してかなりの物が日本国内にあるという。しかしカルチャーセンターの先生が言うには、青銅器以上に中国で尊重された玉器については、日本人は全く無関心で、どの博物館にもほとんど現物がないそうだ。従って日本人の玉器の研究者はほとんどいないと仰る。青銅器は漢代で途絶えた。しかし玉器は青銅器出現以前の石器時代から存在し、漢代を通り越して今に至るまで連綿と、中国人が尊重してきた物であるとのこと。先生が言われるには、玉器を理解しなくて、中国人の理解はできない、のである。もしその通りなら日本人は明らかに中国に対する見落としがあったわけであり、これから始まるカルチャーセンターの講座で、それを自分で確かめるつもりだ。