スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(日米近代史② 大西洋憲章続き)

2023-03-05 14:21:45 | 日記
3月5日(日)
 大西洋憲章が結ばれたのは昭和十六年の八月であるが、この時イギリスはドイツに敗北する取り敢えずの危機を脱していた。前年にイギリスの空の戦いに勝ち、ヒットラーに英本土上陸を諦めさせていたからである。おまけにヒットラーはソ連に攻め入ってナポレオンの二の舞を演じかけている。大英帝国は健在だとチャーチルは自信を深めていた事だろう。
 しかしその思いに待ったを掛けたのがルーズベルトである。彼は第二次大戦に参戦したくてしきりに日本を挑発して、日本に最初の一発を打たせようと躍起になっていた。そして七月の日本軍の南部仏印進駐に対して、日本に対する石油の輸出を、全面的に禁止する手段を取った。(これについてルーズベルトは知らなかったとか、実は全面禁油ではなく輸入する手段は残されていたのだが、イッキーズとかアチソンとかの実務者に妨害されてできなかったなどの学説があるが、確かに資料的にそうなのだろうが、ルーズベルトは己を正当化する詐術にたけた人物である。自分が戦争の引き金を引いたと言われない為に、相当な資料改竄をしていると、私は考える)これに慌てたのがチャーチルである。石油の禁輸は日本をインドネシアに向かわせることであり、それは当然シンガポール攻撃に繋がる事であり、延いてはインドまで日本軍に攻撃される事態になりかねないからである。インドを取られたら流石の大英帝国も根幹が揺らごう。チャーチルはルーズベルトに掛け合ったのだが、ルーズベルトは次のようにチャーチルを説得した。
 もしここで石油を止めなかったら日本はソ連攻撃をするだろう。東西から挟撃されたソ連は単独和平をするかもしれない。そうなったらドイツ軍は来年英本土上陸作戦を再開するぞ、と。ここで石油を止めれば日本は蘭印に向かうしかない。確かにマレーやシンガポールは危うくなるが、黄色いサルはロシア人や中国人には勝てても、大英帝国の軍人様なら負けることはないだろう、それに後三か月くらいしたらアメリカが参戦するから我々の勝利は明白だ、一時我慢してくれよ、と。或いはもっと簡単に、嫌なら対英援助を止めるぞと、言ったのかも知れない。チャーチルも取り敢えずドイツの脅威は去ったが、ソ連が降伏したら来年大きな波が来るだろうとは予想できた。又現状アメリカの援助に頼るしかなかった。そこで分かった、しかし必ず参戦してくれよと、頷いたのである。
 ではと、ルーズベルトがおもむろに取り出したのが、大西洋憲章である。
 重要なのは第三条と第四条である。
 第三条「~両国は主権及び自治を強奪せられたる者に、主権及び自治が返還せらるる事を、希望す」
 第四条「~一切の国がその経済的繁栄に必要なる、世界の通商及び原料の、均等条件に於ける利用を享有する事を、促進するに努むべし」
 チャーチルとルーズベルトは表面上これは、ナチスドイツによって蹂躙されたヨーロッパ諸国の事を言っているのだとしたが、その後の歴史の経過から判断するに、それは嘘である。インドをはじめとして世界の植民地は第二次大戦後に次々と独立した。まさに主権及び自治が返還されたのだ。(私はこれは日本が一時的にせよ大東亜戦争で占領した故だと思っていたが、切っ掛けはそうだとしても本質的にはアメリカの政策によってではないかと、思い始めるようになった。敗戦国よりも勝利した国の方が世界に与える影響力は強いではないか)敗戦国のドイツもベルサイユ条約のような圧力下には置かれなかった。まさに一切の国が、経済的繁栄に必要な通商と原料の享有が、出来たのである。大西洋憲章でルーズベルトがチャーチルに要求したことは、門戸開放宣言に秘められた真の目的の、完成であった。
 このアメリカの政策を実現するためにどうしても必要だったのが、アメリカが戦争に参加する事であった。アメリカの政策に歯向かうもの、あるいは口答えするものを出さない為には、アメリカの圧倒的な軍事力を示す必要があった。大西洋憲章はその後ほとんどの連合国が署名をしている。アメリカは戦後の世界支配の言質を取ったのである。
 そうしておいてアメリカは日本にハルノートを出して、最初の一発を打たせることに成功した。これについては確かに日本との戦争は出来るが、ヒットラーが対米宣戦布告をしてくれる保証はないから、ルーズベルトが陰謀を働いて(裏口から)戦争に入ったとは言えないとの説が今の所主流である。成程そうではあろうが、三国同盟の一国と戦争になってしまえばアメリカ人に好戦的な気分がみなぎり、日本だろうがドイツだろうがやってやるという気分になって、何かの切っ掛けさえあればアメリカからドイツに宣戦布告する事態になることも、十分あり得る話だと思う。ルーズベルトに明確にドイツが宣戦してくるとの確信が無かったとしても、戦争に一歩でも近づいておくことが必要だとして日本を挑発したとは、十分に成り立つ論理である。
 このように戦前の日米関係で日本はアメリカの思惑の梃にされた、その意味でアメリカの進路に大きな影響を与えたと、言える。












コメントを投稿