スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(日米近代史② 大西洋憲章)

2023-03-04 11:39:53 | 日記
3月4日(土)令和5年
 アメリカの門戸開放政策の真意を(ヨーロッパ諸国については外国語の知識がないので調べようがないのだが)、どうも日本の政治家は理解しなかったようだ。大正期の政治家として有名なのは山形有朋と原敬であるが、山形は門戸開放政策を「合衆国漸く其帝国主義の鋒鋩を露はし、言を支那の門戸開放に託して自らの利権の扶植を図らんとするあり」と、中国参入のための単なる方便的なものと解釈している。原はアメリカ国内の政権交代によっても門戸開放政策の変更がなかった事から、これをアメリカの一貫した政策と捉えていたが、領土保全・機会均等の原則に外れない限り、アメリカと上手くやって行くのは可能だと考えていたらしい。そこから山形はロシアと組んでアメリカと対抗する、原はアメリカに譲歩してでも良好な関係を築くとの、両者の政治スタンスの違いとなった。
 しかしアメリカの門戸開放政策は支那侵略の方便ではなかった。最終の狙いはイギリスから世界の覇権を奪い取るところにあった。
 現在イギリスとアメリカの人口比は約1対4である。当時はもう少し差が縮まっていたろうが、アメリカは移民(中国と日本はダメだが)をどんどん入れていた。イギリスは人口でアメリカに太刀打ちできない事ははっきりしていた。そして天然資源である。イギリスは天然資源のほとんどを海外植民地に依存していたが、アメリカはその全てを国内で採取できた。つまり植民地を持つ必要がないのである。それどころかアメリカにとって植民地を持つことは経済的に割の合わないものであった。例えばある土地を植民地にして、やっとの思いで貴重な鉄鉱石の鉱床を手に入れたとする。その時その鉄鉱石が他の産地に比べて品質の劣るものであったとしても、例えば精錬に手間がかかってコスト高になったとしても、その鉄鉱石を使い続けるしかないであろう。又政庁を作ったりして植民地を維持してゆく必要が生じるから、種々の経費がかかるのは避けられない。自国で必要な天然資源がいくらでも手に入るのなら植民地など持つ必要はそもそもないのである。
 イギリスは今のアメリカのように世界中に軍隊を巡らして、世界の警察官になることは、人的資源の点から無理であった。そこでやったことは覇者グループの長になる事であった。フランス・ドイツ・ロシア・イタリアなどの同様な植民地帝国の集団の中で、ボスになる事であった。そしてフランスが強くなりそうだとドイツと結び、逆にドイツが強くなりかけるとフランスと結びというような、所謂勢力均衡政策を取ってライバル国を抑え込んで、世界の覇権を握ったのだ。
 このイギリスの政策が邪魔で仕方が無かったのがアメリカである。イギリスのやり方だとフランスなりドイツなりの植民地では、その国の主権を認めなくてはならない。まあ植民地は仕方ないとしても支那においては、領土でもないのに例えばイギリスの勢力圏内では、一応イギリスの主権を尊重して商売しなければならない。これはグローバルな企業展開をしたいアメリカにとって鬱陶しい作業なのである。だから1900年当時には各国の勢力圏は尊重するとした門戸開放宣言であったが、本音は、やがて各国の勢力圏そのものを取っ払うぞという、下心が秘められたものだったのだ。またアメリカは自国が植民地だった経験を持つ国である。植民地政策は人類にとって不正義なものだとの倫理的感覚も、当然持っていたと思う。しかしその正義を掲げて全ヨーロッパ諸国と戦えるほど、アメリカの力はまだ強いものではなかった。だから門戸開放の原則は掲げたまま、機会を窺っていたのである。
 大正から昭和10年くらいまでの日本の外交政策は、おおむね対米英協調外交であったと思うが、日本を目の敵にしたのがアメリカであり、イギリスはアメリカに従ったというのが正確な所だろう。例えばベルサイユ条約で中華民国に署名拒否をさせたのは、山東問題で日本を敵視したアメリカの使嗾によるものである。リットン報告書でも穏便に済まそうとするイギリスを満州国否定の結論に導いたものはアメリカである。つまり本来はアメリカから糾弾される植民地帝国イギリスの、身代わりの役目をしたのが、日本だったのである。原は領土保全と機会均等を守ればアメリカと上手くやってゆけると思っていたが、アメリカの真意が勢力圏撤廃にある以上、そして憎むべき植民地帝国の中で最弱国でありながら勢力圏拡張を最も活発に行っている日本を、上手くやれる相手と認めた対応をしたであろうか、甚だ疑問である。
 アメリカの野望が実現したのが大西洋憲章である。アメリカが門戸開放を掲げてから約40年後の事である。その間にアメリカの経済力は進展を続け、だいたい全世界の三分の一を占めるくらいに増加していたらしい。特に海軍力では両洋艦隊法が実現した暁には、全世界の三分の二を占める程になると見積もられていた。そして独ソ戦の開始である。当時ソ連は五か年計画を経て相当な重工業国になったと見られていた。だからソ連が連合国に付くか枢軸陣営に加わるかは、第二次大戦の帰趨を決する重要な要素であった。しかしドイツはソ連に攻め入り、ソ連は連合国に加わるざるを得なくなった。これでアメリカは日独を相手にしても勝てると確信したのである。第二次大戦でのアメリカ勝利は確実になった、ならば戦後に長年の野望を実現する為に、イギリスに引導を渡しておくべきだ、そうルーズベルトが考えて実施されたのが、チャーチルとの大西洋会談である。













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