「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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仙洞御所(せんどうごしょ)

2006年02月14日 00時23分54秒 | 古都逍遥「京都篇」
 京阪電鉄丸太町駅をおりて加茂川にかかる橋を西に渡ってしばらく歩くと、仙洞御所の築地塀と見越しの松の緑に出合う。寺院の山門のような寺町御門より御苑に入ると広々とした玉じゃりの道がはるかに続く。そこは都心とは思えないほど静かな空間が広がっており、老人がのんびりと散歩を楽しんでいた。
 私もじゃりを踏む心地好い感触を味わいながら雅人気分でそぞろ歩くと、大宮御所の正門が見えてきた。京都御所のはす向かい当る大宮御所には宮内庁の警備員2人が門を固めており、ここを入ると左手が大宮御所、右手が仙洞御所となる。
 当御所は、宮内庁が管理する桂離宮、修学院離宮と並ぶ宮廷文化の遺構で、両御所を含めて総面積9万1000㎡余りある。

 仙洞とは、上皇の御所のことで、寛永7年(1630)、明正天皇に譲位した後水尾上皇のため徳川幕府が御所として造営されたもので、それと同時にその北に接して東福門院(後水尾上皇の皇后・徳川2代将軍秀忠の娘・和子)の女院御所も建てられた。
 大宮御所は、皇太后の御所のことで、現在の大宮御所は、慶応3年(1867)に英照(えいしょう)皇太后(孝明天皇の女御)のために女院御所の跡に造営された。
 仙洞御所は、後水尾上皇の時代に3度焼失し、都度再建されてきたが、以後、霊元、中御門、桜町、後桜町、光格の五代の上皇の御所として使用された。嘉永7年(1854)の大火で京都御所とともに焼失したのを最後に再建がなされなかった。そのため、現在の仙洞御所には、醒花亭(せいかてい)、又新亭(ゆうしんてい)の2つの茶室以外に御殿などの建物はなく、南北に広がる優美で気品のある庭園が王朝の面影を残しているだけである。

 御所庭内には大宮御所御車寄(おくるまよせ)の右手の小門から入り、小橋を渡ると六枚橋という石橋に行き着く。この周辺を阿古瀬淵といい、かつて紀貫之の邸宅があったと伝えられ、淵の名前も紀貫之の幼名「阿古久曽」(あこくそ)に由来しているそうだ。北池を右に回遊して行くと白鷺が舞うという鷺の森に、それを抜けると紅葉橋に出合う。この橋を区切りにして右が女院御所の庭だった北池、左手が仙洞御所の南池となる。高雄紅葉が繁り秋にはさぞ美しかろうと想像を働かせる。南池に沿って歩くと天の橋立を連想させる八ッ橋がある。

 では庭園について説明しておこう。南北庭園は、仙洞御所の作事奉行であった小堀遠州が寛永7年(1630)の御所の完成に引き続いて作庭したもので、案内をしてくれた宮内庁職員の説明によれば、仙洞御所・女院御所ともに石積みの直線的な岸辺を有する斬新な感覚の広大な池泉回遊式庭園であったが、後水尾上皇がその直線的な感覚を好まず、完成して程なく作り直させたとかで、遠州当時の遺構は南池東岸の30mほの一部に留めているに過ぎないとか。そういえば後水尾上皇が作らせた修学院離宮も優美な曲線とふくらみが印象的だった浴龍池があった。
 この庭は南庭と北庭からなっているが、元はそれぞれ独立したもので囲いで区切られてそうで、北庭が女院御所(現大宮御所)の敷地、南庭が仙洞御所の敷地内であったという。1747年に囲いをとり南北を結合させたという。南庭池にはこぶし大のふくよかな形の良い石が敷き詰められており、その様は白浜をも連想させる。このこぶし大の石は一升石と呼ばれ、アヒルの玉子のような形をしたものや、長方形の平らな小石もあり、その数は約11万個以上もあるという。この州浜の石は、小田原藩主大久保侯が献上したものと伝えられるもので、小田原の領地にある海岸にて、石1つにつき米1升を与えて集めさ
せたところから、俗に小田原の1升石とも言われている。たびたびの造営により庭園は拡張され、2つの池は堀割によって池水が通じ、緊密な一体感を持つようになる。そして、その長い年月を維持管理していくなかで、御所様といわれる様式を確立し、仏閣などの寺様とは異なる優雅でかつ繊細な趣きをつくり出していった。 御所は広大な京都御苑の一部にあり常に湿潤な環境にあるせいか、樹木が作る影は霞みがかかったように見え、ことに時雨れている時などは山紫水明を感じさせてくれるであろう。
 中島にかかる八ッ橋には藤棚をかけ渡してあり、西半分が下がり藤、東半分が上がり藤と称され、藤の花とツツジとが調和して花開くように配置されていた。そして池畔には杜若が彩りをそえている。この水源は元は加茂川の水を引いていたが、東山蹴上疎水が完成するとその疎水の水を地下を通して引いたという。しかし現在は井戸を掘り地下水を利用しているそうだ。

 池越しに望む醒花亭(せいかてい)は、文化5年(1808)に再建された柿葺(こけらぶき)の茶室で、命名は「夜来月下に臥し醒むれば花影雲飛して」という李白の漢詩文から引用したという。付書院を備えた書院と入側の向こうに、蹲踞(つくばい)や、加藤清正が朝鮮より持ち帰り献上したという燈籠などが配された閑静な庭が広がっている。
 大宮御所はかつて英国エリザベス女王やチャールズ皇太子とダイアナ妃が来日した折、京都での宿泊所にあてられたそうだから、この庭園をどのように感じられたのだろうか。御所には外国要人が宿泊されてもいいようにベッドも置かれた洋風の間に改造しているという。
 所在地:京都府京都市上京区京都御苑3。
 交通:JR京都駅より市営地下鉄烏丸線京都駅から徒歩1分、京阪丸太町駅より徒歩10分。


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