『何事も うれふとなしに のどかなる 春の雨夜は 物ぞ侘しき』(光厳院)
和漢儒仏の学問にも通暁し、和歌の優れた詠み人としても知られた光厳院(南北朝期、足利尊氏によって北朝初代上皇〈後伏見天皇の皇子〉となった)の哀れにも侘しい晩年を過ごした山里を訪ねたくなった。 春の終りにしては暑い日ざしの休日、京都洛北、高尾山麓から福井県へと通じる周山街道を、緑の風を切って車を走らせた。途中、川端康成の「古都」を山口百恵の2役で映画化した、そのロケ舞台となった北山杉の山間を通り、七曲の峠を越して京北町へと向かう。京北町はまだ田園地帯、菜の花、蓮華草の絨毯を望みながら北へと進んだ。
常照皇寺は、正しくは「大雄名山万寿常照皇禅寺」といい、光厳院が、1362年頃に開創した臨済宗嵯峨天竜寺派に属する禅寺。後花園天皇が小塩田260石を香華料として献納し、皇家と深い関わりを持つ。 桜の咲く頃は、ひっそりとした山里の寺は芋の子を洗うような賑わいを見せる。というのも、推定樹齢600年といわれ、天然記念物に指定されている「九重桜」が咲き、境内庭園を覆い尽くす。そして左近の桜と、当寺を訪ねた後水尾天皇(江戸期)が、その美しさに魅かれ何度も車を返したと伝えられる「御車返しの桜」があり、桜の名刹として名高い。取材で訪ねた時は牡丹が欄干に寄り添うように咲
いていた。
交通:JR京都駅からJRバス周山行き終点下車、町営バス乗り換え小塩行き山国御陵前下車。全約2時間。
和漢儒仏の学問にも通暁し、和歌の優れた詠み人としても知られた光厳院(南北朝期、足利尊氏によって北朝初代上皇〈後伏見天皇の皇子〉となった)の哀れにも侘しい晩年を過ごした山里を訪ねたくなった。 春の終りにしては暑い日ざしの休日、京都洛北、高尾山麓から福井県へと通じる周山街道を、緑の風を切って車を走らせた。途中、川端康成の「古都」を山口百恵の2役で映画化した、そのロケ舞台となった北山杉の山間を通り、七曲の峠を越して京北町へと向かう。京北町はまだ田園地帯、菜の花、蓮華草の絨毯を望みながら北へと進んだ。
常照皇寺は、正しくは「大雄名山万寿常照皇禅寺」といい、光厳院が、1362年頃に開創した臨済宗嵯峨天竜寺派に属する禅寺。後花園天皇が小塩田260石を香華料として献納し、皇家と深い関わりを持つ。 桜の咲く頃は、ひっそりとした山里の寺は芋の子を洗うような賑わいを見せる。というのも、推定樹齢600年といわれ、天然記念物に指定されている「九重桜」が咲き、境内庭園を覆い尽くす。そして左近の桜と、当寺を訪ねた後水尾天皇(江戸期)が、その美しさに魅かれ何度も車を返したと伝えられる「御車返しの桜」があり、桜の名刹として名高い。取材で訪ねた時は牡丹が欄干に寄り添うように咲
いていた。
交通:JR京都駅からJRバス周山行き終点下車、町営バス乗り換え小塩行き山国御陵前下車。全約2時間。