「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「八大神社」(はちだいじんじゃ)

2006年09月26日 21時43分24秒 | 古都逍遥「京都篇」
名刹・詩仙堂のすぐ傍にある「八大神社」はほとんど人の訪れがない。
 NHK大河ドラマ「宮本武蔵」で再び脚光を浴びた京都、その武蔵の人生にとって欠かすことができないドラマが、一乗下り松での吉岡一門との決闘と巌流島での巌流・佐々木小次郎との決闘であろう。

 「武蔵が一乗下り松に立って多数の敵にまみえた日のまだ朝も暗いうちに、彼は、死を期したこの危地へ来る途中で、八大神社の前で足を止めて、『勝たせたまえ。きょうこそは武蔵が一生の大事。』と彼は社頭を見かけて祈ろうとした。拝殿の鰐口へまで手を触れかけたが、そのとき彼はどん底からむくむくわいた彼の本質が、その気持ちを一蹴して、鰐口の鈴を振らずに、また祈りもせずに、そのまま下り松の決戦の場所へ駆け向ったという。『我れ神仏を尊んで神仏を恃まず。』と残したその信念は、その折ふと心にひらめいた彼の悟道だったに違いない。」(吉川英治「随筆 宮本武蔵」より)。

 武蔵が決闘をした下り松は、朽ち果て、その幹の一部が祀られている。武蔵の銅像は平成14年初秋、大河ドラマの人気に当て込んで製作されたものである。神社は、永仁2年(1294)勧請、祇園八坂神社と同神に坐し、皇居守護12神の1つとして都の北東隅表鬼門に位置し建立された。後水尾天皇、霊元天皇、光格天皇などが修学院離宮行幸の際に立ち寄り、世の信仰を集めた。
 社頭「篇額」は寛永20年(1643)2月、石川丈山の筆による。

 交通:JR京都駅から市バス5、特5で一乗下り松町下車、徒歩10分。





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