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 「清浄華院」(しょうじょうけいん)

2009年02月07日 12時06分30秒 | 古都逍遥「京都篇」
 寺町通広小路を上がったところに、いかにも古刹の風格を漂わせている山門が建っており、浄土宗大本山七ヶ寺の一つに上げられている「清浄華院」である。
 平安時代の貞観2年(860)清和天皇の勅願により、慈覚大師円仁(えんにん)が、天台、真言、仏心、戒律の四宗兼学の禁裏内道場として、土御門内裏(つちみかどだいり)の付近に創建され、御祈願などの清浄の業を精勤したという。当初天台宗に属していたが、浄土宗に改宗したのは後白河天皇、高倉天皇、後鳥羽天皇が法然上人に帰依したことが縁となり法然にこの寺を与えたことにより浄土宗の寺院として発展した。

 天正13年(1585)豊臣秀吉の都市改造政策により、御所内から現在の地に移されたが、その後、再三の火災にあっている。
 現在の諸堂が再建されたのは明治44年(1911)。明治維新後も数人の皇族の位牌を供養したが、陵墓(りょうぼ)は宮内省(くないしょう)の所管となった。
 本尊を「法然上人御影像」とし、境内伽藍は御影堂(大殿)、大方丈、小方丈、御廟、納骨堂、三門、勅使門などから構成されている。

 寺宝としては、室町時代初期の身代り不動として知られている不動堂の「不動明王画像」で、証空が、師の臨終をむかえて身代りになろうとしたところ、不動明王が現れ「証空の身代りになろう」といわれて、師の病難を救ったという故事がある。重要文化財に指定されている宅間法眼の筆「紙本著色泣不動縁起絵巻」と唐普悦の筆「絹本著色阿弥陀三尊画像」は、ともに国立京都博物館に寄託している。

 当院は、除夜の鐘を撞くことができ、大晦日の午後4時頃から整理券108枚が寺務所で配布される。11時30分から住職が撞き始め、続いて参拝者が撞く。境内には竹明かりが灯され幻想的な雰囲気に包まれる。また、ぜんざいの接待もある。

所在地:京都市上京区寺町広小路上ル北之辺町395。
交通:京阪電鉄・叡電出町柳駅より徒歩約10分、市バス府立医大病院前停留所より約5分。
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