「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「野仏庵」(のぼとけあん)

2006年10月01日 16時23分45秒 | 古都逍遥「京都篇」
 宮本武蔵が吉岡一門と死闘を繰り広げた一乗下り松に程近い所に、京都随一の名刹「詩仙堂」がある。京都を訪れの人は、この詩仙堂を堪能すると、「曼殊院」や蕪村の隠遁の地「金福寺」へと足を向けてしまう。「野仏庵」は、この詩仙堂のほんの10数歩、坂を上がったところに佇んでいる。雨が降る日にここを訪ねれば、一段と情緒を覚えるにちがいない。詩仙堂の入り口から概観を見ると、土塀から藁葺きの屋根をのぞかせ、紅葉と孟宗竹が風にそよぎ、葉ずれの音が爽やかだ。

 藁葺きの門を入ると竹の根もとと、石畳の正面に石仏が迎える。右に折れると苔に身を包み込んだ不動像が滝に打たれて立っている。奥へ、弁柄塗りの主屋が重厚な構えで建ち、呼ぶ鉦を軽く叩くと家主が顔を出し中に招いてくれる。屋敷は京都近郊にあった淀の庄屋の旧宅を移築したもので座敷の造作が豪華である。茶席の陶庵席は、丹波須知村から移築されたもの。この一つに雨月席があり「雨月物語」の作者、上田秋成ゆかりの茶室である。秋成は茶を愛し、特に煎茶を好んだという。内部の襖絵は秋成の友人呉春の筆による。床には秋成の筆の「猫恋妻」の歌幅がかけられている。

 野仏庵は、湯豆腐の老舗「順正」の創立者で、古美術愛好家で知られる上田堪庵によって設立された。漢詩人・書家として名高い石川丈山が隠遁した。庵の正門は、明治・大正・昭和の元老、公爵西園寺公望が、維新前夜、新撰組に追われ丹波須知村に潜んださいの寓居の門を移したもの。
 庭に下りれば藤原時代のものと伝えられる多宝塔が過ぎし歴史の思いを偲びながら威風堂々たる姿で立ち、楓に覆われた細道には無縁仏が無数に居並び、無常の現世を静かに見つめていた。その奥に茶室があり、四季折々の花を咲かせ、本庵の庭とはまた風情を異にしている。
 
 交通:JR京都駅から市バス5、特5で一乗下り松下車、徒歩10分。  
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「恵美須神社」(えびすじん... | トップ | 「平安神宮」(へいあんじん... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

古都逍遥「京都篇」」カテゴリの最新記事