「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「花見小路」(はなみこうじ)

2006年02月27日 21時43分31秒 | 古都逍遥「京都篇」
 7月1日から31日までの1ヶ月間のわたって繰り広げられる京都八坂神社の祭禮である祇園祭が終わり大文字五山送り火が幕を閉じて、秋の紅葉シーズンには再び全国からどっと人々が押し寄せるが、散り紅葉となるころ祇園界隈はひとときの静けさに包まれる。年が変わり桜咲く春まで、特別な賑わいもなく時折降る小雪が町屋の甍を薄化粧をする。
 冬枯れとなる観光客を誘致しようと、4年前ほどから祇園界隈を中心に「花街灯」なる観光イベントが行われるようになった。灯がともる夕刻ともなれば、打ち水をした花街の石畳をそぞろ歩く光景が見られるようになった。その花街の中心をなすのが「花見小路」である。

 花見小路は四条通りを境にした南北のメインストリートで、ほぼ祇園の中央を南北に横断する全長約1㌔の路で、北側と南側では町並みの雰囲気が大きく異なっている。北側はスナックやクラブなどが入居するテナントビルが建ち並び、南側は伝統的な竹矢来に紅殻格子のお茶屋や料理屋が古い町並みを残しているが、その歴史は意外に新しく、この一帯は明治の頃までは京都五山の1つで、京都で最初の禅寺ある臨済宗建仁寺の寺領であったが、明治初期の廃仏毀釈によって寺領が狭められたことを機に、明治7年に祇園甲部お茶屋組合が7万坪を買い上げ花街として整備した。
 四条通りの南東角には赤穂義士の大石蔵之助で有名な一力茶屋があり、通りを進むと両側にはお茶屋や料亭などが並び、京都らしいはんなりとした風情の景観となっている。建仁寺の参道であった花見小路の南側は、平成13年にモダンな街灯と洋風の石貼り歩道として生まれ変わった。

 建仁寺の手前に、毎年春になると「都おどり」が開催される甲部歌舞練場がある。芸妓・舞妓さんによる井上流の華麗な京舞が見られ、また舞妓さんのお点前によるお茶の接待も楽しめる。「都おどり」は明治5年に京都博覧会の特別企画として演じられたのが始まりで、「京おどり」「祗園をどり」「鴨川をどり」「北野をどり」と並ぶ京都5大おどりの1つ。開催期間は4月1日~30日までの1ヶ月間。
 歌舞練場の西側にもお茶屋や老舗の料亭、甘味処などが居並び、幕末の勤皇の志士たちにまつわるお茶屋も点在する。お茶屋は一見(いちげん)さんお断りというのが伝統的な習わしであったが、最近は手頃な料金で楽しめる店も増えてきた。私の馴染みのお茶屋は平安朝のインテリアと行燈の明かり、京風1坪庭がほっこりと心を癒す「丸梅」(まるうめ)という所だが、今では代も変わり観光客が気さくに訪れるようになって、ついぞご無沙汰している。
 
 祗園の名は、八坂神社の起源が「祗園社」であったことからこの名が付いたという。この一帯は八坂神社の門前町で、鎌倉時代には、茶屋が軒を連ねたそうだが、応仁の乱で荒廃した。江戸時代の寛永10年(1670)には祗園外六町が開かれてより賑やかになり、正徳3年(1713)、四条通の北に祗園中六町が開かれ発展を遂げた。
 南側にある京料理「美登幸」は接待などでよく使った馴染みの店で、風情ある元お茶屋、昭和47年に京料理の店として創業した。凝った京懐石が手頃な値段で味わえる。この店では、予約制でお座敷遊びができ、襖越しに虎やお婆さんの身振りで芸妓・舞妓さんとじゃんけんをする「とらとら」や、うちわを手に一緒に踊る「吊りぼんぼり」など粋な遊びを体験することができる。舞妓さんと一緒に写真撮影もできるサービスが喜ばれている(1人6、000円、前日までに要予約。舞妓さんを呼ぶ場合は別途料金が必要)。
 所在地:京都市東山区祇園町。
 交通:JR京都駅市バス206で祇園下車。阪急電車河原町駅下車、四条通を東へ5分。京阪電車四条駅下車、四条通を東へすぐ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 河合神社(かわいじんじゃ) | トップ | 「海住山寺」(かいじゅうざ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

古都逍遥「京都篇」」カテゴリの最新記事